では、『天地人』と『真田丸』、それぞれの秀吉の最期及び五大老(『真田丸』では老衆=おとなしゅう)五奉行の合議の比較に行きたいと思います。今まで通り、緑が『天地人』、青が『真田丸』です。
『天地人』 秀吉は寝台の上に身を起こして座り、石田三成に茶を所望して飲み、自分に仕えないかと言った後急に息絶える。秀吉死後の五大老と五奉行の合議で、三成は家康から咎められ、兼続がそれに腹を立てるが、主君の上杉景勝に窘められる。その後秀頼は大坂城へ入る。そしてその秀頼と淀殿の前で、家康は三成を奸臣呼ばわりする。その場で兼続が、それは誰のことかと問い詰める。しかも、ぼさぼさ頭で胸元をはだけた直垂姿の真田幸村が、自分も同意だと言う。ちなみに服装は、五大老は羽織に立烏帽子。秀頼は小袖と袴に袖なし羽織。淀殿は打掛。そしてなぜか兼続が、烏帽子なしの直垂姿、三成も同じ。 『真田丸』 秀吉はベルを取ろうとして寝台から落ち、そのまま果てる。老衆と五奉行の合議で、秀吉の葬儀に関して老衆は合意する。しかし家康は、秀吉の遺言に従わず勝手に縁組を行い、信繫にも葬儀がまだゆえ遺言に従う時ではないと誤魔化す。しかし薨去発表後も、加藤清正と娘を縁組みさせる家康を、三成は評定の場で問いただすが、家康は忘れておったととぼける。その前に信繫と大谷刑部は、上杉景勝に頼んで、他の老衆が家康に反対するように仕向けるが、直江兼続は複雑な表情だった。景勝は小声で、忘れたで済む話ではないと言うものの、結局家康に気圧されて言葉を引っ込め、家康は三成を君側の奸呼ばわりする。視線で意思疎通をする景勝、兼続そして末席の信繁。服装は皆裃。 無論秀吉の最期の描写も、直江兼続の姿勢も違いますが、一番違うのは、『天地人』では一応陪臣のはずの兼続や、大老でも奉行でも、無論「大名でもない」幸村(信繁)が、なぜか家康に直々に物申している点です。これは「
天地人の秀吉終焉のシーンについて 」でも書いていますが、二人とも三成を弁護するような格好になっていて、後で確か家康は、いや私も大人げなかったなどと言っているわけです。何だかなあ。結局この後、三成は夜討ちをかけることになるわけだから、ここではっきり対立構図に持って行くべきでしょう。
『真田丸』のこのシーンは、それなりに駆け引きの感じられる展開であったかとは思います。せめて兼続と幸村=信繁は、目と目で会話をするくらいでいいわけです、ああいう場所で彼らが直言できるわけないのですから。しかし上杉屋敷のシーンで既に、直江兼続が渋い表情をしている件といい、お屋形様の正に精一杯といった感じの家康への抵抗といい、何とも切ないものがあります。
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