久々に『太平記』コミック版のあらすじに行きますが、そろそろまた大河のもアップしたいところです。この第四章は後醍醐天皇の笠置行幸に加え、楠木正成が登場します。
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後醍醐天皇一行は笠置に行幸し、近在の武士に行在所を守らせたが、人数も少なく、名のある武将もいない有様だった。そんな折、天皇の夢に登場した紫宸殿の庭に、木が一本立っており、しかも南の方角に枝を茂らせていた、その場に居合わせた人々は、天皇にその木陰の玉座を勧めた。この夢から後醍醐天皇は、楠という名の武将が近くにいないかを探らせ、楠木多門兵衛正成の存在を知る。
この楠木正成は、その当時の言葉でいう悪党と考えられる。この悪党は、鎌倉時代後期には既に武装集団を形成して、幕府や荘園領主の脅威となっていた。正成も、日野俊基と接触があったと考えられる。勅使の命で正成は後醍醐天皇の行在所に赴き、関東の兵は手ごわいものの、こちらにも戦法がある、心配なさらぬようにと言い残し、その後六波羅の兵に刃向うべく河内で挙兵した。
六波羅兵は攻めに手こずり、鎌倉からも出兵することになった。その兵を率いたのが大仏定直、金沢貞冬、そして足利尊氏らである。これは大軍で、太平記には二十万と記してあるが、これは誇張されており、実際には数万程度であったといわれる。しかし坂東武者に手柄を横取りされたくない一部の六波羅兵が、笠置城を攻め落とし、後醍醐天皇に従っていた貴族や僧、武士が捕らえられた。
上洛の途中でこれを聞いた関東の兵たちは、方針を変更して、正成が立てこもる赤坂城を目指すことになった。しかし楠木軍は、相手を悩ませるゲリラ戦法を多用し、赤坂城そのものにも、敵を欺く仕掛けが施されていた。ついに関東方は兵糧攻めに持ち込む作戦を採る。それから二十日以上が経ち、楠木方の兵糧も底をついてきた。
すると正成は、自ら赤坂城に火を放って忽然と姿を消した。この如何にも型破りな発想は、それまでの武士たちは、持ち合わせないものであった。
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大河ドラマではましらの石が、日野俊基から依頼された剣を届けに行き、そこで楠木正成と接触して、楠木軍の一員として戦う様子が登場します。また、赤坂城に移るに当たり、家屋敷を焼くシーンもありました。いずれにせよ、この「悪党」正成の戦法は、当時としてはかなり常軌を逸した、それゆえに相手を欺きやすいやり方であったといえます。
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