それでは今週のあれこれです。秀次事件というか、秀吉と秀次の確執回後編といった感じですが、結局大坂城まで逃げて来た秀次は、やはりきりに匿われます。しかし外で、既に秀頼を関白殿下と呼んでいる茶々の声に恐れおののいた秀次は、聚楽第には戻りたくないと言い、職場放棄状態で結局京の真田屋敷に行き、最終的には自ら高野山へ向かいます。何かもう「逃避」そのものが目的になっている感じです。しかし前にも書きましたが、この時代袴も着けない着流しを外でしていたのでしょうか。あるいは身分を偽るための策だったのでしょうか。
その高野山で、供として連れて来たと思しき、信幸と心を通わせます。信幸もまた、秀次を励ますつもりだったのでしょう。自らが家族に散々振り回されたことを語りますが、やはり秀次にとっての「家庭」と信幸にとっての「家庭」は、根本的に異なるものでした。しかし信幸が父や稲、本多忠勝のことを語るのはまだしも、婆様とおこうさんを持ち出すのはちと気の毒では。結局秀次は、その高野山で腹を切って果てます-しかし介錯人のいない切腹は、かなり苦しいだろうと思われます。頸動脈を切る設定にはならなかったのでしょうか。
その前に使者として、福島正則が高野山を訪れ、秀次の気の優しさに言及します。確かにこの二人は、孫七郎、市松と呼び合う仲だったでしょうから、互いの気心も知れてはいたでしょう。こういう存在がそばにいなかったのも、秀次の不幸といえます。しかしこの秀次、秀吉からあらぬ疑いをかけられて死に追いやられたという意味では、方向性こそ違えど、千利休と似た物があります。確かに秀次が亡くなった直後、北条に味方したとはいえ、利休に切腹を命じた時点で、秀吉は暴走を始めていたといえそうです。
その一方で秀吉は、自分に黙って勝手に出奔した秀次を許せず、謀反の罪をかぶせ、謀反人の妻子をすべて皆殺しにしろと命じます。しかし今回は、秀次が表だってことを起こしたのではない分、この妻子の処刑、あるいは連座はあっさりすまされ、代わりに娘のたかと信繁の出会いに重きがおかれています。このたかが隠れていた部屋の十字架や聖餐の道具やテンペラ画といった、キリシタン関係の小道具、秀次がこれらにどこまで関わっていたかもまた、今後の伏線となりそうです。
信繫は既に秀吉からいわれた通り、大谷刑部の娘春を正室に迎え、このたかを表向きは側室として、その後秀吉の気が変わらないうちに、呂宋に逃がすつもりでした。しかしきりは、やっと自分にお鉢が回って来たと思ったのに、また裏切られてしまったわけで、しかもたかは、自分を側室に迎えようとした秀次の娘でした。きりが泣き叫ぶのは、秀次の死というよりは、むしろ信繁のこの仕打ちに対してというのもむべなるかなです。
そして呂宋といえば、呂宋助左衛門の登場です。これもちょっと唐突な印象があるにはありますが、たかを送り届けるのみならず、堺商人の代弁者となる予感もしています。登場の仕方も、多分に『黄金の日日』を思わせるものがあります。その一方で、ただ同然の壺を秀吉や大名に高値で売りつける辺りは、流石に抜け目のないものがあります。当時の東南アジアは、ヨーロッパと日本の橋渡し、中継点の役割もありましたから、彼らが商人として大きな力を持てた所以です。
その他にも薫(山手殿)が菊亭家出身でなかったことが、ほぼ明らかになります。その前に、薫は稲に目を合わせるように厳しく命じます。それと関係あるかどうかはさておき、その後稲が、真田屋敷に匿われた秀次の前で、薫が菊亭家の出であると喋ってしまい、しかも秀次の正室が菊亭家の出身だったこと、信幸が母にそれを確認しようとしたことで、薫の分が悪くなってしまいます。尤も最大の見どころは、それを家康に知らせようとする稲と、止めようとするこうのやり取りなのですが。
そして伏見城普請に全く興味が無く、もちろんやる気もなく、こちらも職場放棄をする昌幸。しかも佐助→出浦ルートで手筈が整ったなどというから、また何か不穏なことを始めるのかと思ったら、遊郭に出かけて吉野太夫と会う始末。今回は昌幸の側室などは描かれていませんが、こういう部分でそれとなく女好きと表現されているようです。その一方で、娘を結婚させることになったものの、病に取りつかれる刑部。豊臣家は関ヶ原後こういう家臣がいなくなり、淀殿と近江派、特に大蔵卿局と大野修理の力が増したのも、ある意味不幸ではありました。
スポンサーサイト