先日アップする予定が、1日延びてしまいすみません。『真田丸』ももう25回、折り返し回とは早いものです。今年のはツボに嵌っているせいもあり、進行が非常にテンポよく感じられます。さて、いよいよ天下統一を果たした秀吉にも、陰りが見え始めます。
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天正十九年(1591)八月、秀吉の長男鶴松は淀城で重い病に罹っており、利休の怨念ではないかと噂されてもいた。千利休はそれより前に、例の鉛板の件で謹慎処分、そして切腹を大谷吉継から申し渡されていた。また秀吉自身、実弟の秀長からもこの件について、鶴松の将来のためにも、一人に権力が集まるようなことにならないよう諌められていた。その秀長もこの年の一月に世を去っていた。
また茶々は利休を父のように慕っており、彼に似せた木像を作らせたが、予想していたよりも大きかったため、大徳寺で預かってもらうことになった。その木像の位置が山門の上にあり、山門をくぐる秀吉を間接的に踏みつけると三成と吉継が進言し、利休は切腹となったのだが、これには追い落としの意味もあった。信繁は利休の目付け役になり、堺の利休の屋敷で茶を振舞われる。
利休は自分は商人であること、戦は儲かるということを信繁に話す。実際鶴松の治療のために金子を差し出した時に切腹を申し渡されたため、金は生きた使い方をするべきと、その金子を引っ込めた人物でもあり、自分一人のために三千の兵が屋敷を囲んでいるのを、冷ややかに見ていた。木像では足元をすくわれたが、それは宿命(さだめ)だと口にする。
一方淀城には多くの大名が、秀吉に取り入る目的もあって見舞いに訪れていた。昌幸も妻の薫(山手殿)と共に明国渡来の薬草を携えて現れ、薫は片桐且元と薬を作るが、且元が煎じた汁を流してしまう。やむなく二人は、残ったわずかな薬草で再度製薬を試みる。また利休の祟りを気にする三成に、吉継は言う、もし災いがふりかかるようなら、自分にまず及んでいると。
上野の沼田城では、城主となった信幸が、勝手に濠を拡張した大叔父の頼綱に苛立ち、また正室の稲は相変わらず仏頂面を向けて、打ち解けようともしなかった。信幸は、かつての妻で侍女のこうの元を訪れ、彼女を抱きしめてしまう。そして上田城では、病床のとりに茂誠と松が、岩櫃城に移ることを告げる。松は茂誠に会ったことで、過去のことをすべて思い出していた。とりは、高梨内記が守ることになる。
再び淀城。三成や吉継は、早くも鶴松の葬儀の手筈が整えられていた。そこへ福島正則と加藤清正が領国から駆けつけ、水垢離をやるからと三成にも勧める。三成は一旦は断るが、後で仲間に入って水をかぶる。また家康は、淀城に集結している大名たちに夜食を振る舞いにやって来る。その一方で、秀吉はいくつ城を持つつもりだと呆れつつも、鶴松の死が今後大きな意味を持つ、秀次はひ弱すぎると本多正信に打ち明ける。
昌幸もまた同じようなことを考えていた。昌幸は信繁に鶴松の病状を訊きたがるが、信繁は話すわけに行かず、出浦が佐助を使って様子を探らせる。そうこうするうちに薬が出来上がり、薫と且元が昌幸の元にひとかけらを持参する。試作品と思ってそれを口にした昌幸に、二人は悲しげな表情を浮かべる。わずかな薬草で作りなおしたため、そのひとかけらがすべてだったのである。
淀城の別の間では、秀次を始め豊臣一門が集まっていた。秀次はきりに、今後そばにいてくれと頼むが、きりは言葉をあいまいにする。そして昌幸は廊下で家康と顔を合わせる。「持ちこたえてくださると嬉しいが」と声をかける家康に、ご全快を祈ると答える昌幸。しかし鶴松の容態は悪化し、秀吉はいたたまれずに病床から去ってしまうが、且元に呼び戻される。鶴松は二年と二か月の生涯を閉じ、茶々は放心したようにその場を去る。そこへ寧が現れ、茶々を抱きしめるのだった。
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今回は回想が多く、様々な局面が登場し、そして伏線も多い回でした。これが今後秀次事件や、秀頼の誕生に向けてどうつながるのでしょうか。
まず利休の切腹、ここは『天地人』でも『江』でも上杉の兵が屋敷を警備しているシーンが登場しましたが、今回は信繁のみでした。ここまで利休を悪人風に、しかも細かい部分から描くというのもなかなか面白いものです。三成はともかく、きれいな吉継と汚い吉継のバランスが絶妙です。 そして薬作り、片桐さんがやる気を出すと大抵裏目に出ます、落首の件しかり…。さらに信幸、こうとの縁は未だ切れず。そして松は晴れて茂誠と再会です。匂い袋、互いに持っていたのですね。 それから何といっても、二頭の古狸(失礼)の腹の探り合い、豊臣倒しを狙うために、鶴松の病気と死を大いに利用したい二人は、薬を献上しようとしたり、夜食を持ってきたりとなかなかの曲者でもあります。 また上杉が今回描かれていないのは、この両者、ひいては利休の黒さの前に敢えて「義」を出さないということなのかもしれません。利休の屋敷に「愛」の兜が登場するかどうか、そこだけ見たくはあったのですが。
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