久々に『太平記』(大河ドラマ)です。上洛した高氏はとんだ事件に巻き込まれ、その後鎌倉に戻った時点で取り調べを受けます。しかし、その高氏を救ってくれたのは意外なあの人物でした。
*************************
京で、伯父である上杉憲房の館に逗留した高氏と従者の一色右馬介だったが、六波羅探題による土岐頼業(十郎)邸奇襲(正中の変)に巻き込まれ、六波羅探題の取り調べを受ける。一方で佐々木道誉は京を抜け出すが、この事件の裏には日野俊基や道誉が絡んでいた。この知らせを受けた貞氏は、よもやご子息が謀反などと揶揄する長崎円喜に詫びを入れる。
鎌倉では、謀反の裏に後醍醐帝ありとされ、帝から詫び状を下されるべしという動きになるが、これは前代未聞のことだった。しかし後醍醐帝は、吉田定房から、己の道を貫かれるべしと諭される。日野俊基は捕らえられ、鎌倉に送られるが、そのまえに花夜叉一座のましらの石に脇差を渡し、河内の楠木正成に渡すよう依頼していた。
また今日から鎌倉の帰途についた高氏は、藤沢で幕府軍から同行を命じられ、侍所で取り調べを受けることになった。これに激高した弟の直義は、屋敷を武装すべきとまで口にする。そして高氏の証人として、侍所に佐々木道誉が呼ばれる。道誉は、足利高氏という人物に京で会ったが、この御仁ではないと口にし、長崎をうろたえさせる。
北条一門の名家の当主である赤橋守時は、妹の登子を高氏に嫁がせ、両家の結束を図るつもりでいた。一方で新田義貞と、奥州の武将である安藤十郎が足利家を訪れ、北条を倒すべく挙兵する案を持ち出すが、貞氏は今幕府と戦をしても勝てぬと一蹴する。また高氏の件では、奥州で乱を起こした安藤も裁かねば、高氏が裁かれるのは公平でなく、しかも朝敵となるのを恐れた長崎は、高氏を放免する。
高氏は赤橋家に挨拶に行き、登子と和歌の話をする。その一方で藤夜叉は、道誉の屋敷にいた。彼女は高氏の子を身ごもっていたのである。そして石は、河内を訪れ、空腹のあまり畑の大根をかじっていて、楠木正成に見つかってしまう。正成は、雨が降らなかったからその大根はまずかろうと言い、また子供たちと木々に言葉をかけ、石を驚かせる。
正成は家に石を連れて戻るが、そこには弟の正季が武装していた。正成は、刀を抜くことで米が獲れるかと諭す。楠木邸で石は日野俊基の刀を正成に渡し、正成は、その日野殿を助けたいとは思わんかと話を持ちかける。そして鎌倉では、流鏑馬に参加した高氏が、やはり出場した道誉から、藤夜叉に会いたければ、明日の夜我が屋敷へと誘われる。
右馬介は、藤夜叉の件は自分にと申し出るが、高氏は自分で行くことを決意する。そして足利家には縁談で長崎円喜が訪れていた。しかし奥州の安藤季長の乱に、六千の兵を出すように言うが、この乱には元々長崎も絡んでおり、兵を出せというのなら嫁取りはなしとまで高氏は口にする。そして藤夜叉に会うため、道誉の屋敷へと馬を走らせ、浜辺まで彼女を連れて行き、次の夜再会することを約束して戻るも、父に諌められる。
*************************
反幕府運動で都がきな臭くなる中、とばっちりを受けた感じの高氏ですが、鎌倉での取り調べで佐々木道誉が助け船を出してくれて、事なきを得ます。一方ましらの石は、日野俊基の脇差を携えて河内まで行き、楠木正成と対面します。そして一座の藤夜叉は高氏の子ができ、道誉の館にいました。
高氏は赤橋守時の妹、登子を嫁に迎えることにしますが、藤夜叉への思いを断ち切れず、ひそかに会い、一緒に京に行くことまで考えます。しかし父貞氏から、足利家の棟梁という立場からは逃れられぬと諌められます。しかも藤夜叉と親しい石は足利家を恨んでおり、さらに新田義貞は、奥州の乱に兵を出すことを高氏に告げます。
スポンサーサイト