第24回「滅亡」、北条の終焉の時。説得に行く信繁、そして再び忍城へ向かう真田父子。強気の秀吉の前に、北条家の当主氏直は降伏しますが、その父親である氏政は…?しかしこの氏政の化粧、何かピエロのようにも見えてしまいます。
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小田原城で武器を持った家臣に取り囲まれた信繁は、義兄の小山田茂誠と蔵へと入り込む。茂誠は琵琶湖畔で別れた後、かつての北条との縁をつたって、家臣となっていた。そこへ江雪斎がやって来て、信繫は氏政に会うものの、突然甲冑姿の武者数名が襲い掛かる。氏政は真田に恨みを持っており、信繫を殺すつもりでいた。信繫は、せめて徳川家康の書状を読むように頼み、その後氏政は人払いをして、信繫の話に耳を傾ける。
信繫は徳川が助命のために奔走していること、伊達も豊臣に下ったこと、支城の殆どが落ちたことを話す。どうせ秀吉と一戦交えるなら、徳川や伊達を味方に付けて、華々しく国を二分する戦がしたかったと言う氏政。そして江雪斎は、心変わりの兆しがあること、でなければ生きて帰されないと信繁に伝える。もう一度蔵の中に入り、茂誠と会った信繁は、松が生きていることを告げる。
その蔵で信繫は、数多くの銃弾用の鉛板を発見する。それぞれにしるされた刻印に、信繫は見覚えがあった。それは利休のものだったのである。また八王子城にいた昌幸は、その場を上杉にまかせて、忍城に戻れとの文を受け取る。そして七月五日、氏直は降伏するが、秀吉は氏政に切腹させることを考えていた。それはもののふの義に反すると吉継。そして家康、景勝と昌幸の三人が説得のために呼ばれた。
しかし氏政の考えは変わらなかった。家康は「恥は一時でござる」と言い、景勝は髻を切る覚悟でいると、それぞれ氏政を説得する。しかし昌幸は開口一番、
「死にたければ死になされ」
そして、生きていればまだまだ楽しい物が見られます、このまま秀吉の天下が来るとは思わないとまで言い、氏政は、それはあの世でしかと見物させてもらうと答える。
三人は、控えていた家臣、または息子を連れて去って行き、江雪斎はことの次第を悟る。しかし、景勝は自分に何か言いたそうな直江兼続に「何も約束はしておらん」と言い、安心させる。七月十一日、氏政は切腹し、出家した氏直は高野山へ向かった。翌十二日に忍城に戻った昌幸は、まだ忍城を落とせず苛立つ三成に、卑怯な手ではあるがと策を授ける。
それは、小田原から持ち帰った、氏政の血のついていない兜を見せ、氏政は命乞いをしたという噂を流すことだった。それにより士気は下がり、あっさり降伏すると昌幸は踏んだのである。果たしてその二日後に忍城は落ち、三成は、そのやり方は好きではないが、戦の何たるかを教えてほしいと昌幸に頭を下げる。
そして宇都宮仕置で、会津を除く本領を安堵された伊達政宗は、正式に豊臣配下の大名となり、宴を開いてずんだ餅を作り、秀吉も餅つきに加わる。何か調子よさげな政宗に、家康は不満げであった。また昌幸は、上杉や伊達、徳川と組んで、ひそかに大坂城を攻めようとし、伊達の家臣の片倉景綱に話をつけるつもりだったが、その光景を見て計画をとりやめる。
その後信繁が一人でいたところへ、政宗が一人で現れる。自分のことを小さい男だと思ったかと問う政宗。これは生き残るための策である、自分だって大軍を率いて戦をしてみたい、そして、もし二十年早く、京に近い場所で生まれていたら、この大広間の主人は自分だと言って、剣を抜いて空を斬る。また会おうと言って政宗は去り、そして京に戻った秀吉は、家臣たちの前で、鶴松を膝に抱いて、天下の統一を高らかに宣言する。
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「父の日」の放送だけあって、北条父子の父、真田の父上、そして鶴松を膝に抱く父親としての秀吉などがそこかしこに登場しました。しかしここに来て、秀吉の下について以来、やや影を潜めていた真田昌幸の黒さが久々に全開といった感じです。やはりこの人は戦場においてこそ輝く人であり、秀吉の天下が長続きしないというのも、戦をしたさゆえの願望と取れなくもありません。実際、大坂城攻撃まで計画していますし。しかし目に見えるもので噂を本当に見せるなどと言ってのけるあたり、ホームズかとも思ってしまいます。そして信繁は、ここではさしずめ「裏官兵衛」的存在というべきですね。
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