久々に『平清盛』です。第三巻、内容は
第8回 宋銭と内大臣
第9回 ふたりのはみだし者
第10回 義清散る
第11回 もののけの涙
です。
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保延二年(1136年)、博多にやって来た清盛は、宋からの輸入品の物珍しさに心を奪われつつも、貿易が大宰府を経由せずに行われているのを見て驚く。しかも、父忠盛までもが密貿易を行っていることを、家貞から聞かされる清盛。その一方で、藤原忠実の次男である頼長は内大臣となる。頼長は妥協を許さない苛烈な性格で、この人物がその後の朝廷を大きく揺るがすことになる。
頼長は、清盛の配下が、宋からの輸入品を扱っていることを知り、密貿易ではないかと清盛を問い詰める。しかし清盛は頼長に宋銭を突き付けながら、宋を見習うようにと反発する。そして保延五年(1139年)、朝廷では、鳥羽院の寵姫である得子が男児を出産し、その祝宴で清盛は、崇徳帝の異母弟である雅仁親王と初めて出会う。その雅仁親王こそ、様々な形で清盛と対立することになる、のちの後白河上皇、さらに後白河法皇である。
崇徳帝は即位後も常に父・鳥羽院から遠ざけられていた。また雅仁親王の方はといえば、異父兄のことなどまるで関心もなく、京の市中をうろつき、今様や踊りを好む型破りな親王だった。そして、男児出産で得子は朝廷の権力を握るようになっていた。その得子が、待賢門院の追い落としを謀ろうとする一方で、義清はその待賢門院に思いを抱き、近づこうとする。しかし彼のその行動は、堀河局と清盛とに諌められてしまう。
しかし義清は待賢門院に近づき、それが鳥羽院に露見したことで、義清は武士の身分を捨てて出家し西行と名乗る。桜の散る中、清盛に別れを告げる西行。しかも崇徳帝は、得子の策謀によって譲位し、鳥羽院と得子の皇子(近衛天皇)が幼少ながら即位する。清盛は、朝廷に信じられる人物などいないと口にするが、忠盛に結束を諭され、鳥羽院方につく。そんな折、清盛は妻の明子と連れ立って外出した。
その帰途、道に倒れていた者に救いの手を差し伸べた明子は、その夜疫病を発してしまう。しかももはや手の付けようがないほど重病となり、清盛に看取られながら、二人の子を残して世を去る。もののけといわれた清盛は、妻の死に大粒の涙を流す。
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保元の乱を起こした人物とされる藤原頼長が内大臣となり、朝廷では得子が実権を握るようになって、崇徳帝を退位させ、近衛天皇即位という異例の事態に発展します。しかも待賢門院に情を寄せる佐藤義清は出家、そして、宋との貿易を目の当たりにしながら、現体制ではどうしようもないと考える清盛は、ますます新時代への傾倒を強めて行きますが、まだまだ父がいないとどうしようもない、青臭い部分がのそきます。そんな矢先、妻の明子が他界します。
ちなみに「悪左府」こと頼長役が、『真田丸』の石田三成役の山本耕史さん、佐藤義清の妻役が、稲役の吉田羊さんですね。頼長と三成は結構似通ったところがありますが、義清の妻と稲姫とは、かなり違った役どころです。
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