大河ドラマの中には、しばしば現代的視点で描かれているような作品もあります。昨年の『花燃ゆ』もそういうところがありました。やはり大河、ひいては歴史ドラマや時代劇は、本来は極力その当時の視点で描かれるべきものでしょう。無論そうはいっても、全くその時代の視点だけで描くと、今そのドラマを観ている視聴者に訴えかけられない部分も出てくる恐れがあります。そこで、適当に現代風味をも混ぜる必要があると思われます。
しかしこのさじ加減は結構難しいといえます。『花燃ゆ』も『天地人』もそうですが、あまり現代風味が強いと、歴史ドラマの旨味が損なわれてしまいます。しかも戦国時代を描く場合には、江戸時代とはまた違った描かれ方をしないといけません。これは以前に似たようなことを書いてもいますが、たとえば戦国の夫婦関係と江戸後期のそれとは、かなり異なっています。戦国時代には夫婦はそれぞれの独立性が高く、妻は実家のために尽くすこともしばしばで、また所謂内助の功的なものも、江戸時代になって作られた概念といわれています。
しかしかつての戦国物には、大河であっても、そういう江戸時代的な倫理観や生活習慣が盛り込まれていることもあります。そうした方が受け入れられやすいというのもあるのでしょう。しかしそれが定番となってしまうと、史料に則ったかたちで戦国を描いた場合、かなり食い違う部分が出て来てしまい、その点に違和感を覚える人も多いだろうと思います。なかなか難しいところではあると思いますが、やはり当時の視点に近づけた方が、その時代の人物の行動形態がわかりやすいのも事実ではあります。
さて『真田丸』第14回「大坂」では、信繁が春日山に戻り、上杉景勝の上洛に同行して、大坂城を目の当たりにします。父昌幸はその知らせを聞いて、早速信繁に豊臣の様子を探らせようとします。それが兄信幸を不機嫌にさせてしまうわけですが、昌幸にしてみればチャンスは逃すべからずというわけで、今まであまり聞いたことのない豊臣秀吉という男が、どのような人物であるか、その情報を得たいというのは当然のことでしょう。
しかし、今回一番気の毒な存在であったのは、その豊臣に寝返った石川数正です。この寝返りも、昌幸が仕組んだという設定になっているわけで、彼もまた真田昌幸の被害者となってしまうわけですが、どのような過程を経てそうなったのかについては、次回で詳しく。
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