では今週もあれこれに行きたいと思います。上田合戦そのものもさることながら、その準備のシーンが時間をかけて描かれているのは評価したいです。乱杭、千鳥掛け柵、撒き菱などなど、当時の市街戦を見るうえで興味深い物がありました。あと熱湯をかけたり網をかぶせたりで、城下の人々も共に戦っている様子が窺えます。そもそも城下というのは、当時はそういう性格のものであり、いよいよ危なくなると、人々は城の中に逃げ込んだとされています。ですから梅の参戦も、ある意味やむを得ない、というか自然なことであったのかもしれません。しかし子どもに授乳するために行きつ戻りつし、それでも最終的に城にとどまればよかったものを、徳川兵がなだれ込んだ裏山に行ったのが仇となったわけです。
それから、梅が出会った男の子も結構不思議な存在です。この子のために、本来城下で出会うはずだった信繁と梅はすれ違いになり、しかも男の子がいう「お守り」なるものが、6枚の銅銭なのですから、何か非常に暗示的でもありますし、これまたミステリー風な展開でもあります。梅はその銅銭が真田の紋の六文銭であることから、銀と引き換えにその銅貨をもらいわけ、紐に通して信繁に渡すわけですが、これも実際に渡したのはきりでした。しかし、きりは真田の紋に六文銭があることを知らなかったのでしょうか…恐らく雁金は知っていたのでしょうが。
さて先日、上杉景勝と信繁の「師弟愛」について書きましたが、この「師弟」は30年後、大坂で敵味方として見えることになります。そもそも上杉家は、この後春日山から会津に転封され、さらに関ヶ原の戦いではないものの、東の関ヶ原といわれた慶長出羽合戦で、徳川方の最上と伊達の連合軍に敗れます、その後石高を大幅に減らされて米沢に移り、大坂の陣では徳川についたことから、信繁と敵対することになりました。尚上杉家はその後幕末まで米沢藩藩主としてこの地を統治し、戊辰戦争では奥羽列藩同盟に参加して、新政府軍に敗北を喫することになります。
この大河では東日本が中心であるために、徳川家康が頻繁に出てくる割には秀吉の出番がなく、次回でやっと本格的に登場します。無論信越地方や関東地方においては、秀吉よりも家康の方が脅威であり、これもまた1つの描き方です。幕末大河では『八重の桜』で会津が登場しましたが、戦国大河では意外にも、武田氏滅亡後の東日本メインというのがありませんした-というか、『天地人』でもう少し詳しく描かれていればよかったのですが。無論全く家康、秀吉が絡まない戦国大河というのも存在しないでしょうが、出番を少なくし、そのぶん東日本ローカルな視点で描くのもいいと思いますので。
そして最後になりましたが、海津城の直江兼続、いい味出しています。屈強の者は出払っていたから100人ほどかき集めた、嘘は言っていない、沼田城は認めたから徳川をやっつけろ、わかったかこの裏切者一族が!といわんばかりの表情で、左の口角を上げて去って行くのが何ともこの人らしい。無論それがどういう人員構成であれ、上杉の援軍があるというのは、徳川にとっては脅威になったのもまた事実です。本多正信は「先だって裏切ったばかりで…」と言っていましたが、真田はその上を行っていました。その切り札が信繁であったわけです。
しかしこの直江兼続の処し方を見ていると、正に外交とは利害関係、損得勘定で動くものといえます。真田を助けることは、上杉を助けるということでもあるわけです。ちなみに最新の『文藝春秋』に、堺雅人さんと『真田丸』の歴史交渉担当3名の対談がありますが、信濃はドイツ連邦みたいだという発言があります。ドイツ連邦は神聖ローマ帝国の後身で、後にプロイセンによって統一されますが、この連邦は35の領邦と4つの自由都市とで構成されていました。尤もそれ以前に、戦国時代の日本が神聖ローマ帝国的な、小国家が寄り合った状態であったともいえます。
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