いよいよ第一次上田合戦です。上杉景勝の許可をもらった信繁と三十郎は、上杉の兵が待機する海津城に出向くのですが、そこで彼らが見たものはなんと…。そこに「あの」人物が現れます。
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信繁と三十郎は海津城に行くが、屈強な兵が出払っていて、そこにいたのは老人と子供ばかりだった。そこへ直江兼続が現れて、ご武運を祈ると口にする。信繁は、まさか直江様からそのような言葉をいただけるとはと、三十郎共々礼を言うが、三十郎は小声でこうつぶやく。「有難迷惑ですな」信繁が彼らに待機をさせ、上田に駆けつける一方で、徳川方では、本多忠勝は外され、鳥居元忠が指揮を執ることになった。家康は秀吉が攻めて来た時のことを考え、忠勝を残すことにしたのである。
その後徳川の兵が真田信尹の部屋にいきなり入って来る。礼儀も何もないと返す信尹。家康は、真田との戦が始まったことを告げ、囚われ人となるか、自分の家臣となるかを選択させる。そして真田の拠点となる上田では、街中に柵をめぐらす作業が、堀田作兵衛の陣頭指揮のもと行われていた。そこへ梅が粽を持って来て皆に配る。
真田の女性たちは城内のひとところに集まっていた。一番落ち着いているのはやはりとりで、戦には必ず勝つ、負け戦にはそのにおいがするが、今の所は貴女(薫)の香の匂いしかしないと口にするものの、その後で、自分の話は真に受けないようにと言い添える。そして梅は、城下と城を行きつ戻りつし、城に戻った時には、すえに乳を飲ませていた。その姿を観た薫(山手殿)は、その姿勢では飲みにくいと言って梅の姿勢を正す。薫自身、自分の乳で子供たちを育てていた。
その上田城の広間では、昌幸が息子や叔父の矢沢頼綱、そして家臣たちを前に、板の上に載せた餅をちぎり、戦法を説明していたが、駒が足りないのが悩みだった。手を洗いに立った際、出浦昌相にそのことを打ち明けるが、そこに信繁と三十郎が現れる。これで駒が揃ったため、昌幸は信之を戸(砥)石城にやり、信繁に徳川呼び寄せの役目を与える。また矢沢の叔父には沼田城を守らせ、出浦には神川を守るように命じた。城下は作兵衛がすべて請け負っていた。
信繁はすえと対面したが、梅とはまだ顔を合わせていなかった。その梅は、きりから止められたにもかかわらず、再び城下に出ていて兄や村人の加勢となっていた。そんな折、母親とはぐれた男の子を梅は見つける。お守りを忘れて来てしまったというその子の家に行き、探し出したお守りは六枚の銭だった。梅は自分の持っていた銀とその銭を交換する。ちょうどその頃、信繁は夜討ちに備えて河原へと進んで行っていたが、2人は途中ですれ違ってしまっていた。
翌朝、河原で信繁たちは『高砂』を歌い、六文銭の旗を高々と掲げて徳川方を挑発する。徳川勢は上田城下へとなだれ込むが、町中に張り巡らされた柵に手を焼きながらも、何とか上田城を目指す。その上田城では、昌幸が高梨内記と碁に興じていた。その後大手門が開かれ、さらに二の丸から本丸に至るところで、信繁は梅の姿を発見する。瞬間隙を見せた信繁は、危ういところを三十郎に救われ、梅も佐助に連れられて行った。
昌幸は碁を止めて立ち上がった。また信繁は本丸まで退却し、その後は昌幸の采配となった。鉄砲隊の一斉射撃をはじめ、城下の人々の、石つぶてをはじめとする様々な攻撃を逃れようと、徳川軍は退却を始める。しかしそこに、信幸率いる隊が戸石城からやって来て、最終的には、出浦が神川に作った堰を切り、大勢の兵が呑み込まれたことで戦いの趨勢が決まった。真田軍は勝鬨を上げる。
しかし信繁は梅のことが気になっていた。途中で徳川が柵を壊して山に入り込んだ跡があり、しかも作兵衛や梅の籠る寺の付近には、おびただしい犠牲者がいた。そこへ赤ん坊の声が聞こえる。きりがすえを連れて来たのだった。作兵衛は手負いながら無事だったが、梅は死んでいた。その死を悲しむ信繁のそばで、きりもまた涙にくれながら、すえを自分の手で育てようと決心する。
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一話まるまる戦関係でしたが、半分はその準備の様子が描かれていました。杭の立て方、あるいは城下の人々による熱湯攻撃などなど結構興味深いものがあります。一方梅がこの戦で命を落とします。きりに、すえのためにも城にいるようにと言われながら、なぜ彼女は危険を冒して外に出て行き、結局夫とも会えずじまいだったのか。それについてはまた後で。
それにしても冒頭の直江兼続、何とも嫌味というか冷たいというか。しかしこの戦は上杉には関わりのないものである以上、こうしたのもやむを得ないことでしょう。むしろこういう人物であったからこそ、傾きかけた上杉家の屋台骨を建て直すことができたわけですが、次回、この兼続と石田三成とがどういう出会いをするかが楽しみです。
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