『真田丸』も既に10回放送されています。昨年に比べると時間の経過がかなり速く感じられ、もう10回も放送されたのかと改めて思ってしまう今作品ですが、その中で羽柴(豊臣)秀吉が登場したのは1回だけ、それも明智光秀を山崎の合戦で破った後の、ほんの一部分のみです。 戦国大河の王道ともいえる、織田-豊臣路線が中心となっていないのがこの大河の面白いところで、もちろん柴田勝家や丹羽長秀といった、織田の重臣たちも登場しません。その代わり東国勢がかなりの頻度で登場します。
もちろんこの先、信繁が秀吉のもとへ人質として赴くわけですし、その前に上杉景勝に同行して大坂に行きますから、今後秀吉の出番は増えるでしょう。しかし、数日前に上信越の戦国史という表現を使いましたが、『真田丸』は、基本的に東国に軸足を置いているのも事実なので、大坂と並行して上野や信濃や越後、そして、上杉景勝が後に移封される会津についても、多少は触れられる可能性もあります。
元々上杉氏は関東管領でしたが、長尾景虎がその名跡を継いだため、以後景虎、景勝の上田長尾家が上杉を名乗ることになります。上杉氏もいくつか分家がありますが、長尾景虎、つまり上杉謙信に家督を譲ったのは、山内上杉家の上杉憲政です。この山内上杉家とライバル関係にあった扇谷上杉家は、
河越夜戦 で北条氏に滅ぼされ、山内上杉家も北条に追われるようにして、つながりのある越後の長尾家に助けを求めます。
この河越夜戦は『風林火山』に登場します。一方北条氏、正確にいえば伊勢新九郎、後の北条早雲を初代とする後北条氏は、戦国時代後期には周囲に圧力をかける存在となっていました。しかも織田信長が台頭してくるまでは、今川家が駿府を仕切っていたため、上杉、北条、今川、そして武田の四大勢力が、東海から関東甲信越の覇者としてそれぞれの地で君臨していました。
しかし織田と徳川の台頭により、今川、そして武田が滅びます。このため信濃先方衆として武田に仕えていた国衆たちは、どの大名に帰属するかで迷い、真田昌幸の表裏比興ぶりが発揮されるわけです。この上杉と北条の二大勢力、そして北条滅亡後の上杉の処遇と、徳川への対決姿勢を見れば、戦国後期から安土桃山時代、そして江戸時代初期はただ秀吉のみで括れるものではなく、上杉と徳川もまたかなりの割合で絡んでくるわけですので、今後その徳川と上杉が今後どのように描かれるのか楽しみです。
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