昨日に引き続き『花燃ゆ』のまとめですが、今回は人物設定についてです。主人公の美和(文)もそうですが、登場人物の多くが本来とは違った役割を持たされているのが、この大河の特徴です。美和を主人公にする以上、そうならざるをえません。登場人物の中で、本来の姿に近いと思われるのが吉田松陰、高杉晋作、杉家の人々や「そうせい侯」毛利敬親でしょう。後は美和と伊之助に合わせる形で、かなり改変されていると思わざるを得ないのです。そもそも長州大河なら準主役的存在であるべき伊藤利助や井上聞多、品川弥次郎などがどこか脇役的になっているのも、美和と伊之助が主役であるため、この2人に幕末維新の功績を担わせたことが大きいでしょう。
もちろん、美和を主人公にするには相当無理がありました。そもそも、なぜ彼女を主人公にしようとしたか、なぜその企画が通ったのかその理由を知りたいほどです。それに主人公にするといっても、何も出張らせる必要はないのです。彼女を語り手にして、幕末の長州の様々な場面を回想させるという展開でもよかったはずです。それならば、志士たちも前面に出て来ることができたわけですし、美和の存在もドラマで描くことができたのです。無論時系列を弄る必要もなかったでしょう。
主人公すなわち一番出番の多い人間にしてしまうから、脚本家が実際はありもしない美和の功績話を書くことになり、ひいては本来の主役である志士たちを脇に引っ込めてしまう結果になったのです。志士たちもそれぞれのやったことを描けばいいのに、殆どをもう一人の主役である小田村伊之助に任せてしまったため、彼が必要以上に顔をのぞかせることになってしまったのです。本物の小田村伊之助はそのような人物ではありません。結局美和の初恋の相手だったという前提で、終盤で再婚させるために延々この2人で引っ張って来たといえますが、これでは大河ではなくてメロドラマです。
また美和の描かれ方が、最初の夫の久坂とは仲が悪い、夫に死に別れたら養子である甥を家に帰して奥に上がる、群馬では病気の姉をほったらかしで(としか見えません)使用人も雇わない、何とも冷淡で自己中心的な女にしか見えません。しかもあれこれ意見したがる割に、口先ばかりでやり通すということもない。描かれ方が現代的であると書いたことがありますが、現代でもこういう女性は如何なものかと思われるかもしれません。
その一方で、美和の姉寿の描かれ方もひどいものです。夫の楫取素彦を支え続けたところはすべてカット、美味しい部分だけを美和がさらって行ったような感じになっています。また楫取が元老院の議官となって、内親王の教育に携わったのも、美和と防府に住んだこともすべてカットです。1億円かけて大河ドラマ館を作った防府市がこれでは浮かばれず、そのため最終回は井上真央さんを呼んでパブリックビューイングを行ったわけです。構成の仕方が如何にも乱暴です。しかも脚本家が変わるたび設定が変わるので、あったはずの伏線が後任者から無視され、まるで違った展開になったのも興を殺ぐ一因だったでしょう。人物のアレンジは多少は必要ですが、それは何らかの形で功績がある人物で、いくらか改変しても人物像がぶれない場合に限られます。
スポンサーサイト