『花燃ゆ』に登場する富岡製糸場は、明治5年、1872年に官営工場として建てられ、その後一旦は民間への払い下げを免れたものの、後に三井家をはじめ何人かの経営者の傘下に入り、昭和末期にその役目を終わります。ちなみに鉄道が開通したのもこの年で、様々な意味で、日本の近代化が始まった年でもありました。この当時は清帝国の政情が不安になり、新たな生糸市場として日本がその役割を担ったわけですが、急ごしらえということでまだ品質が均一でなく、不良品も混じっており、生糸の値の暴落を引き起こすことになったのは、このドラマにも出て来る通りです。しかし第二次大戦中も操業を続け、1世紀以上稼働し続けた製糸場でもあるわけで、こういった歴史が、世界遺産に選ばれるその後押しとなったのも事実でしょう。また富岡の工女は、いわゆる女工哀史のようなこともなく、医療費なども製糸場が面倒を見ていました。ここで仕事をして技術を身につけた女性たちは、故郷に帰って生糸製造の指導者となりました。
しかしこの製糸場ができたいきさつやお雇い外国人、工女たちに関しては、どうもあまり詳しく描かれてはいないようです。もちろん、ここの出身者である和田英についても言及されていません。それから美和が学校を開いて、工女たちに文字を教えていますが、実は読み書きはすべて製糸場の方で、学校(工女余暇学校)を設けて行われていました。なぜかこういう事実を描かず、すべて美和がしたことになっていますね。『花燃ゆ』は製糸場を一応描いてはいますが、本当に描きたいのは阿久澤夫妻と楫取、美和の関係なのでしょう。だから製糸場そのものの描写が二番手になっているふしがあります。
群馬県の生糸産業に大きな役割を果たした人物に、やはり『花燃ゆ』に登場する星野長太郎がいます。大東駿介さんが演じていますが、この人は組合作りにも関与しています。また他にも著名な生糸商人がいますが、その中の一人に、幕末に一代で財を成した中居屋重兵衛という人物がいます。しかしこの人は、没落もまたはやいものでした。その理由として、豪奢を戒める幕府と対立したこと、違法行為を行ったことなどがあげられ、また井伊直弼とは敵対関係にあったといわれます。群馬編に持ち込むことが事前にわかっていたのであれば、こういう人物を伏線として描いておくと面白かったかもしれないのですが。またこの重兵衛は、火薬の知識もあったようです。
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