水木しげるさん、亡くなられたのですね。ご冥福をお祈りします。というか、人間界から妖怪たちの世界へと移動したようなものかも。そしてグーグルのトップが『赤毛のアン』でした。実はこの本、聖書やシェークスピアの引用句がやけに出て来て、その意味で結構面白いですのですが、それについてはまた。では前回の『花燃ゆ』です。
寿が亡くなり、一方で美和は群馬に女の子のための学校を建てようと考えます。(いわゆる女紅場と呼ばれるものと思われます)しかし富岡製糸場が民間払い下げの危機に追い込まれます。楫取は何とか製糸場を存続させようと努力し、その危機を免れます。その楫取は、寿の遺言で、美和と再婚するようにいわれていたものの、その決心がつかずにいました。それを感じ取った阿久澤夫妻は、2人が似合いの夫婦になると事あるごとに口にするようになります。一方萩では、兄の民治が松下村塾を再建していました。
あらすじとしてはこうなのですが、もう終盤にふさわしい歴史イベントがないから、何とか楫取と美和を再婚させて、鹿鳴館で最終回に持って行きたいのだなと思います。この群馬での話も大部分が創作ですし。しかし実在の楫取美和子さんが、女子校を設立したという話は寡聞にして聞いたことがありません-『あさが来た』の広岡浅子さんなら、日本女子大を創設していますが。何よりも、2人が一緒になるにはもっと時間がかかったはずなのですが…。
それとやはり、どう見ても美和が10代後半の頃の文にしか見えない。要は第2回の頃からあまり変わっていないのです。もうそこそこの年齢なのだから、もう少し老けた印象にすればいいのに。事務所側が渋るのかもしれませんが、女優さんは実年齢より上の役を演じることも多いのですから、その点は承諾してしかるべきかとも思いますが。
しかしこの大河が描きたかったことは何だったのか。女性の自立でもないし、ホームドラマともいえない。ホームドラマなら、もう少し人物が丁寧に描かれてしかるべきでしょう。無論志士たちをメインに持って来たドラマでもない。しかも松下村塾から久坂が死ぬまでと、奥女中の時と、この群馬行から最終回までとではかなりキャラ設定が変わってしまっている。この3つに共通するのは、美和(文)が何にでも首を突っ込みたがり、かつ自論を振り回したがる点でしょう。特に奥女中編では、何か私怨のようなものすら感じました。こんなの大河でやることではないでしょう。韓国ドラマみたいだといった人もいます。私は韓国ドラマ観ないから-厳密には、『冬ソナ』と『チャングム』それぞれのあるエピを途中から観たことあり-よくわかりませんが、身分が上の人物に女中が毒を盛ったりするのは、普通の時代劇ではそうやらないのでは。
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