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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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『光る君へ』第15回「おごれる者たち」あらすじと感想-2

第15回後半部分です。


定子の住まいである登華殿は、帝(一条天皇)と若い公卿たちの交流が行われる華やかな場となって行った。道隆は摂政から関白となり、帝を大人と認めることで皇子を儲けるように言った。一方道長は執務中、ある文書を前に考え込んでいた。そこに道綱が現れる。その文書には道綱の書状も添えられており、そのため道長が呼んだのだった。そして道長は、これをお認めになったのは何故と文書を見せる。

関白の兄上が仰せになったからと道綱。中宮様のご在所にこのような莫大な費用をついやすは、如何なものかと道長。文書には、登華殿の費用の内訳が記されていた。登華殿の室礼(しつらえ)替えについては聞き及んでいたが、その費用を公費から出すとはまったく聞いていないと、道長は語調を強める。俺もやり過ぎだと思ったと道綱は言うが、ならばなぜと道長に訪ねられ、関白様に言ってよと答える。

さらに俺がやりたいわけじゃないしと道綱は言い、道長は関白様にお伺いしますと席を立つ。その道長は道隆の屋敷へ向かう。今日は参内なさらないのかと尋ねる道長に、朝から体がだるくてのうと道隆。またその日は、伊周の弓競べが行われる予定だった。では手短に申し上げますと道長は前置きし、公費で中宮様から女房達までのきらびやかな装束や、調度をたびたびあつらえるは如何なものでしょうかと尋ねる。

そんなことかと道隆。道長は朝廷の財政は必ずしも豊かでなく、関白が正しい道を示さないと、誰もが公費を私用するようになると兄を諫めるが、細かいことを申すな、お前は実資かと道隆は取り合わない。自分は中宮のお世話を万事取り仕切る中宮大夫だとの道長の言葉に、そういうことを言わないと思ったから、お前を中宮大夫にした、わかっておらぬのうと道隆は言う。

そしてお前も弓競べを見て行けと誘う。女性たちの目の前で、伊周は次々と的の中心に矢を当て、一人勝ち状態だった。皆も本気を出せ、遠慮することはないと言う伊周。そこへ道隆と道長が現れ、伊周は道長に、叔父上もやりませぬかと誘う。皆自分に気を使って、本気を出さないので面白くないらしい。相手をせよと道隆は促すが、道長はそのような気分ではなかった。

おじけづかれずともよろしいではないですかと、おちょくるような言い方をする伊周。関白様と大事な話があって参ったのだと道長は言うが、道隆が話はもうよいと言ったため、甥と弓競べをすることになる。今回も伊周は順調に的の中心に矢を当て、一方道長は外しっぱなしだった。結局伊周の勝ちとなり、道長は引き上げようとするが、まだ矢は残っておりますぞと伊周が引き止める。

そして伊周は、この先は願い事を口にしてから矢を射てはどうかと提案し、道隆も同意する。伊周はます、我が家より帝が出ると口にして矢を射るが、これは中心を外れた。そして道長も、伊周と同じことを口にして矢を射る。これは的の中心を射抜いた。緊張した面持ちの伊周と道隆。次に伊周は、我関白となると口にして矢を射る。これは的に当たることなく、大きく外れた。

道長も我関白となると言いかけるが、道隆が中止を命じる。道長は放たれることのなかった矢を戻し、先ほどの話は改めてと道隆に告げ、矢を渡して去る。そしてその話を聞かされた明子は、本当に帝が出ることになるかも知れないと言うが、道長は、8歳下の甥にバカなことをしたと悔やんでいた。

明子は子を身ごもっており、今(胎児が)蹴りました、男子(おのこ)のような気がしますと嬉しそうだった。どちらでもよい、大切にいたせと明子を労わる道長。しかし睦まじくする2人のもとへ、左大臣雅信危篤の知らせが届く。道長は土御門殿へ戻り、義父に面会するが、雅信は婿殿の出世もこれまでじゃな、不承知と言い続ければよかったと道長に言う。

しかし権大納言なら素晴らしいと穆子は言い、倫子も父に、私は幸せでございます、ご心配なくと言う。そして左大臣を16年間務めた雅信は、74歳で世を去った。その頃まひろの家をさわが訪れていた。さわは惟規はいないのかと訊くが、擬文章生になると忙しいみたいだとまひろは答える。官職を得られれば、どこかの姫に婿入りされてしまうんですねとさわは寂しげだった。

式部省試に受かればねとまひろは言う。さわは、うちに婿入りしてくれと言えるような家ならいいが、あの両親ではと言う。最近また、家にいるのが嫌な病に取りつかれているらしい。父と今の母の子供たちが成長して、父までもが、さわをますます邪魔者扱いするようになって来た。そして気晴らしに旅に出ようとし、まひろを誘う。

行く先は近江の石山寺だった。自分をあの家からさらってくれる殿御に会えるよう、祈願に参ると言うさわ。そういうお寺なのかと尋ねられ、そうらしいとさわは答える。まひろは為時に旅に出ていいかと尋ね、気晴らしになるならと為時も許可する。そのくらいの費用は何とかなると為時。そして壺装束姿の2人は、供を連れて旅に出た。

途中2人は川辺で休み、このままず~っと夫を持てなければ、一緒に暮らさないか、年とっても助け合いながらとさわは言う。まことにそれはよいかもとまひろは答え、石山寺では殿御とのご縁より、私たちの末永いご縁をお願いしようと2人は言い、笑う。

この当時都では石山詣がはやっていた。誦経をするまひろとさわだが、さわは早くも飽きて来たようだった。すると、その2人の私語を叱る者がいた。それは道綱の母、藤原寧子だった。その後寧子はまひろとさわと話、まひろは『蜻蛉日記』をお書きになった方でしたかと感慨深げで、さわに、道綱様のお母様と教える。そしてまひろは幼い頃『蜻蛉日記』を何度も読み返し、胸を高鳴らせていたと話す。

おませなお姫様だったのですねと寧子。しかし子供のまひろには、兼家が何日かぶりに訪れたのに門を開けず、
「嘆きつつ一人寝る夜の明くる間は 如何に久しき者とかは知る」
という切ない歌を贈った意味がわからなかった。今はわかりますけどと言うまひろに寧子は、心と体は裏腹であると教える。

まひろは道長との逢瀬で、心の中では一番でも、いつかは北の方がと言いかけ、道長がそれを否定したことを思い出した。それでも殿との日々が、私の一生のすべてであったと寧子は言い、日記を書くことで己の悲しみを救った、兼家との日々をつづった日記を公にすることで、妾の痛みをいやしたのだと話す。そして実は兼家も日記が世に広まるのを喜んでいた。

あの方の歌を世に出したのが自分に取って自負である、それでも妾であることには変わりはないと言いつつ、寧子は2人に独身であるかと尋ね、命を燃やして人を思うのは素晴らしいが、妾は辛いからできることなら嫡妻になれ、高望みせず嫡妻にしてくれる、心優しき殿御を選びなされと忠告する。

そこへ道綱が現れる。この息子が来るのが遅れたため、寧子は2人と話をしていたのである。2人は挨拶をし、まひろは日記に出て来た道綱様にもお会いできるなんて、来た甲斐があったと嬉しそうに話す。その夜、寝ていたまひろは起き出して月を見ながら、書くことで己の悲しみを救ったという寧子の言葉を思い出していた。すると彼女たちの寝所を道綱が訪れる。

寝てしまわれましたかと小声で訊く道綱。するとさわが寝言で道綱様と口にし、道綱はさわを抱き寄せる。さわは道綱を見ても動じる様子はなかったが、道綱は間違っておったと言う。自分とまひろを間違えたのかとさわは尋ねるが、妻も妾もおる自分が、そなたを抱こうとしていたのは間違いであったと道綱は言い、疑うさわに、これ以上悲しむ女子を作れないと言ったうえでまひろ、あ、さとと言ってしまう。

名前を間違われたさわは、不満そうにさわでございますと言う。翌日も2人の旅は続くが、さわは自分には才気もなく、殿御を引き付けるほどの魅力もない、家にも居場所がない、もう死んでしまいたいといきなり走り出す。後を追うまひろは川辺まで彼女を追いかけるが、その川には死体が浮かび、川辺にも多くの死体があった。この頃から、都の近辺で疫病がはやり始めていたのである。


関白となった道隆は、一条天皇に皇子を儲けるように促します。それは自らが帝の外祖父となって、政権を握ることを意味していました。そして公費から多くの額を中宮と女房達のために使い、道長はそれに驚き、直談判をしようとします。しかし道隆は話に乗って来ず、そういう話をしないであろうから、お前を中宮大夫にしたとまで言う始末です。結局道長は、伊周の弓競べに付き合わされるはめになります。しかも残り2本となったところで、伊周の提案で、自分の願いを口にしてから矢を射ることになります。

しかも不思議なことに、願いを口にした伊周の矢は外れ、外してばかりいた道長は中心に当ててしまいます。それを見た道隆は、悪い予感がしたのでしょう。道長が2本目の矢をつがえ、我関白になると言いかけたところでやめさせてしまいます。実際この言葉どおり、道長の家系から帝は出たものの、道長は関白にはなっていません。また伊周の方ですが、伊周自身の家族から帝は出ておらず、関白にもなってはいません。この人は周囲が自分に遠慮していると口にしていますが、その権威も父の後ろ盾あってこそのものでした。

その道長と明子には、再び子供ができていました。その一方で、倫子の父雅信が他界します。これで道長の出世も終わりかと雅信は思っていたのでしょうが、寧ろ道長の出世はこれからでした。そしてまひろの家をさわが尋ねて来ます。さわもまだお婿さんを取っておらず、実家に居場所がないとぼやき、その当時、都の人々の間で流行していた、石山詣に行こうと言い出します。為時もOKを出してくれました。この時為時が、そして後半最初の方では道長が「かかり」(費用)という言葉を使っていますが、同じかかりでも恐らくかなり金額が違うのでしょう。

その石山詣で、2人は道綱の母、藤原寧子に会います。子供の頃から『蜻蛉日記』を読んでいたまひろに取っては、憧れとも言うべき存在だったでしょう。そして道綱も石山詣に来ていました。しかしその夜、道綱はまひろたちの寝所に忍び込み、まひろと思しき女性を抱こうとします。しかしそれはさわでした。道綱は間違えたことに気づき、言い訳を述べてさわから離れますが。当然というかさわを失望させてしまいます。

これがよほど面白くなかったのでしょう。翌日の旅の途中で、さわは死にたいなどと言って川辺まで走って行きますが、その川辺には多くの死体がありました。ナレでは疫病とありますが、所謂疱瘡、天然痘ですね。種痘のないこの時代、この病気が翌年にかけて流行します。さらには落雷で金剛峯寺が炎上し、その後長徳と改元されますが、この長徳年間に道隆の子、伊周と隆家が政変によって流罪となります。また「体がだるい」と言っていた道隆は飲水病、今の糖尿病だったと言われています。

飲み物-琥珀のエール
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[ 2024/04/16 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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