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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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『光る君へ』第12回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第12回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


道長をずっとお慕いしていた。それゆえ他の殿御の文を開いていないのだとか。
「道長様を私の婿に! 一生の願いです。そうでなければ私は生涯猫しか愛でませぬ!」

「一生の願いです」とありますが、「生涯一度のお願いでございます」ですね。

倫子は道長の目に留まっているかもわからないと返します。雅信は留まっているようだと摂政様が言っていたとか。

「留まったようであるがのう、摂政様が仰せであった」ですね。と言うかこの文章の後半、主語がわかりづらいです。
「『道長の目に留まっているようだと、摂政様が仰せであった』と雅信が話した」とでも持って来た方がいいのでは。

娘が可愛らしくて仕方ない雅信。
もはやそういう場合でもなくなっている為時。
そんな対比も浮かんできますが、倫子もなかなか困った境遇になっています。

いや雅信は雅信で、道長はどうだと兼家にプレッシャーをかけられて、なかなか複雑な思いでしょう。花山天皇入内もちょっと問題ありだったし、一条天皇は幼過ぎるわけですから。そして為時の場合は、まひろが可愛くて結婚させられないわけではなく、宣孝がこれと決めた実資が病で、当の宣孝がやめろと言い出したわけですね。

しかしこのシーン、嫌いな大河なら武者さん何と言うでしょうか。女をこのように描いて許せないといったことを言い出しそうです。

そして明子女王ですが、

衣装の色もあり、スズランを思い出しました。可憐で無力なようでいて、毒のある花です。

平安時代の衣装なら、重ね目がどうのこうのと書きそうな武者さんが、今回は
「この衣装の色はスズラン」
ですか。
昨年とか『青天を衝け』などで、衣装の色がスズランなどという表現をしていたら、真っ先に叩くでしょうね。

あとこの明子登場のシーンも、嫌いな作品なら見かけで判断するななどと書くのでは?

俊賢は妹をたしなめ、今は藤原の力がなければどうにもならないとすっかり諦め気分で、道長の妻として幸せと栄達を手にせよと進めてきます。
明子の復讐心は、そんな簡単には晴れないようで、必ず兼家の命を奪い、父の無念を晴らすと決意を語ります。
いやはや、とんでもないことになってきました。
この兄と妹は、これまで出てきた人物とはガラリと変えてきて、本作のセンスが光ります。
策士の兄と、復讐を誓う妹。おもしろいですね。

「この兄と妹は、これまで出てきた人物とはガラリと変えてきて」
「これまで出て来た人物」とは誰のことで、どのように変えているのですか。それを書かずに「本作のセンス」云々と言われてもちょっとどうかと思います。
そして策士と言うか、割とそつがない人物ではあったようです。この辺りが、藤原に恨みを持つ妹と対照的とも言えるでしょう。

あとあらすじと感想で高松殿に関して、多少誤った表記をしていたので訂正しています。明子は、道長と結婚した後ではなく、その前からここに住んでいましたね。

高松殿址
(京都観光ナビ)

まひろに甘えていた。金輪際、甘えは断ち切らねばならない。
そして行成のかな書道指導を受けています。
「ふぅ、かなは難しいな」
そう語る道長ですが、だいぶ上達してきました。これ以上、上手になってしまうと道長らしくない、そんなギリギリのところを攻めてきています。

これ以上上手になってしまうとらしくないと言うより、あのフォントは漢文用なのではないでしょうか。私も道長フォントで書いてみてはと、いささか無責任なことを書いてはいますが。婿入りする女性への文には、やはりかなは不可欠だったでしょう。
でこのかな文字、本来は倫子への文にしたためるべきものでしたが、その倫子に文は送っておらず、まひろへの手紙で使うことになるわけですね。

合戦シーンなど無くても、藤原行成の書道指導という伝説的なシチュエーションが出てくるのだから素晴らしい。
たしかに、気合を入れて書道場面を見ている人は多くはないと思いますし、芸能ネタにもならないし、視聴率にも繋がらないでしょう。
しかし、作り手の誠意とプライド、そして愛情の問題です。
伝説的な人物はそれにふさわしい場面にする。そんな誠意を感じさせる本作の書道はともかくよい。

先日も「合戦シーンなど無くても」と書いていますが、そこまで合戦シーンを否定する理由もないと思います。ただこの時代だからそう目立った合戦はありませんが(政変はあります、あと外国からの侵攻も)。

「気合を入れて書道場面を見ている人は多くはないと思いますし、芸能ネタにもならないし、視聴率にも繋がらない」
こう書くこと自体、大河のワンシーンが芸能記事のネタになってほしい、あるいは視聴率に繋がってほしいという願望に見えてしまいます。それよりもこの時代の恋愛や文について、もっと書いてみてはと言いたくなりますね。

「しかし、作り手の誠意とプライド、そして愛情の問題です。
伝説的な人物はそれにふさわしい場面にする。そんな誠意を感じさせる本作の書道はともかくよい」
「武者さんが好きな大河だから誠意がある」というわけではありません。嫌いな大河でも、誠意やプライドは込められています。それを武者さんが無視しているか、頭から否定しているかです。

そして
「そんな誠意を感じさせる本作の書道はともかくよい」
と言うより、
「そんな誠意を感じさせる、本作の行成の描き方はとてもよい」
の方が、私としてはよさそうな気もするのですが。

公任はその後、父の藤原頼忠に「摂政家の道長が本気を出してきた」ことを報告しました。
これまで公任は、己が最も賢く先頭を登っていくつもりだったと打ち明ける。

ここのシーンですが、道長が本気を出して来たことの次に
「摂政家が全てを意のままにせんとしている証し」
と公任が言っています。
これが、この父子に大きな影を投げかけているのでしょう。その後で公任が、自分がトップだと思っていたのに、道長に出し抜かれるかも知れないと懸念しているのですね。

これから暗くなる夕刻の光が満ちていて、公任の顔に当たっている。
橋爪淳さんの優しくも弱々しい頼忠。そして町田啓太さんの公任にヒビが割れてきたところが素晴らしい。
これまでの公任は、自分より賢いものはいないという自信に満ちていました。傲慢でした。
その自信に微かなヒビが入り、焦りが滲んだ顔はさらに磨きをかけたように美しい。

「町田啓太さんの公任にヒビが割れてきた」
て何を言いたいのですか。最後の行にあるように、「自信に微かなヒビが入り」と言いたいのでしょうか。ただこの表現は、たとえば人間関係などにヒビが入るなどという意味では使いますが、この場合は
「自信が多少揺らいで来た」
とでもした方がよくありませんか。

町田啓太さんは、大河枠として山本耕史さんと比較されます。
二人とも土方歳三を演じ、上半身を脱ぎました。
しかし、それだけではないと私は思います。
高慢なぐらい自信に溢れ、己の知性に絶対的な信頼を見せていた男。
それがライバルに追い抜かれ、置いていかれ、だんだんとプライドが崩れていく、いわば崩落の美貌が両者にはあります。
『鎌倉殿の13人』では、三浦義村を演じた山本さんが実に素晴らしかった。
後半になって、主人公である義時に出世から離されて苛立ち始めます。苛立ち、扇子を叩きつける場面は最高としか言いようがありません。

まず
「大河枠として山本耕史さんと比較されます」(誰が比較しているのですか?)とありますが、
「大河で演じる役のうえで、山本耕史さんと比較されます」と言うことでしょうか。
そして土方歳三を演じまではいいのですが、その後「上半身を脱ぎました」て…話が飛びますね。
この「上半身脱いだ」は山本さんは『真田丸』、そして町田さんは今回の打毬のシーンでしょう。どの作品であるかをきちんと書いてください。あと町田さん関連の記述は、山本さん関連の後に持って来た方がいいかと思います。

そして山本さんが演じた役ですが、『真田丸』の石田三成は「ライバルに追い抜かれる」と言うより、政敵(家康)に失脚させられると言った方がよく、また『平清盛』ではこれもライバルに追い抜かれると言うより、信西に邪魔されたと言うべきでしょうか。

公任にもこれからそんな瞬間がきっとある。
落ちゆく公任は至上の美を見せてきます。彼が公任を演じて本当によかった。
作り手もそんな公任の落ちる様を見るべきだというように、道兼につくという父の指示を見せてしまいました。
確かに、このあと出てくる道兼は周囲に一目置かれ、摂政の後ろ盾を持ち、本人も精力に満ちた姿を見せていました。

「作り手もそんな公任の落ちる様を見るべきだというように、道兼につくという父の指示を見せてしまいました」
「父の指示を見せてしまいました」とありますが、ここは
「道兼に付くようにという、頼忠の言葉をここに持って来たのは、制作サイドが、公任の落ちて行く様を示唆しているかのように見えます」
とでも書いてほしいのですが。
落ちるというか、出世を阻まれてなかなか参議になれないのですね。

それから町田さんは『西郷どん』で小松帯刀を演じていますが、何の言及もありませんね。

西郷どん32吉之助と小松帯刀
『西郷どん』第32回で小松帯刀を演じる町田啓太さん


庚申待(こうしんまち)の夜となりました。
一体なんのことなのか?
道教では、人の体の中には三尸虫(さんしちゅう)がいると考えていました。
この虫が庚申の日になると、天帝に悪事を告げに行ってしまう。それを防ぐために、寝ずに起きていることが庚申待ちの夜です。
今でもこの信仰にまつわる庚申塚が全国各地にあるほどですね。
「虫の居所が悪い」という言い回しも、この信仰をもとにしています。
そうした由来は、なにも怖いことだけではありません。夜人と集まって楽しんだり、地域の団結力を高めたりする役目がある行事といえます。

庚申信仰は、道教をはじめ様々な信仰が混ざり合ったものですね。
そしてこれもあらすじと感想で書いていますが、猿田彦神社の行事としても行われています。陰陽五行説とも関わりがあるのですが、なぜ武者さんはこういうことについて書こうとしないのでしょうか。

そして人と集まって楽しむのは、庚申御遊です。宮中で宴が行われましたが、まひろの家でも、ささやかながら宴が持たれていました。

まひろがまるで妹のようだとさわを持ち上げると、俺がいなくても寂しくないなと惟規。

「私ね、このごろさわさんを妹みたいに思ってるの」
が、持ち上げているということですか。あまりそういう印象はないのですが。この1つ前でも、道長が土御門殿を立派だとお世辞を言ったなどとありましたが、本人の素直な感情から出た誉め言葉のように思えますが。

外にでた惟規が、百舌彦の存在に気付きました。

惟規は厠に立って、その後戻るところだったのでしょう。この当時厠は外にあったと考えられます。

そして中を読み、「道長とは誰か?」とまひろに迫る。三郎か?と、からかう惟規。まひろがあわてて奪い取ると、さわは優しい文字だと感心しています。
よかったですね、道長! 行成の指導を受けた甲斐がありましたよ。

先ほども書きましたが、本来倫子への文を綴るために習ったかなが、まずまひろへの文に使われています。この両者の関係が、何となく尾を引くのではないかと思わせます。


飲み物-パブのアンバーエール2

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[ 2024/03/28 02:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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