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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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『光る君へ』第9回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-3

第9回に関しての『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。


まず直秀たちが殺された件について。

土を掘り進めながら、道長は呟きます。
「すまない。皆を殺したのは……俺なんだ。余計なことをした! すまない……すまない、すまない、すまなかった! すまなかった!」
叫ぶ道長。正確な理由は不明なれど、彼が賄賂を渡したせいで、直秀たちは殺されてしまったのでしょう。ただのケチな盗人ならば、放免で済んだかもしれない。
彼に抱きつくまひろ。
二人は泣いて、手を合わせ、埋め、弔いました。

まず
「正確な理由は不明なれど、彼が賄賂を渡したせいで、直秀たちは殺されてしまったのでしょう。ただのケチな盗人ならば、放免で済んだかもしれない」
「ただのケチな盗人なら」というのは、彼らが散楽一座であったことも関係しているのでしょうか。それが書かれていないのですが。つまるところ、彼らの今までの行動を調べていて、単なる盗人だけではないことがわかり、鞭打ちだけで済ますことができないという結論に達したということになるのでしょう。

そして何よりも、昨年末に平安時代の穢れという概念を持ち出していたはずの武者さんが、ここに来て、まひろと道長が使者を埋葬するという「穢れ」について何も書かないというのも不思議です。
これに関しても、公式サイトに詳しいのでのリンクを貼っておきます。

をしへて! 佐多芳彦さん ~平安貴族が恐れた穢れ
(『光る君へ』公式サイト)

――第9回ではまひろ(吉高由里子)と藤原道長(柄本佑)が、亡くなった直秀(毎熊克哉)ら散楽の一座を埋葬していましたが、これは穢れることをわかったうえでの行動でしょうか。
そのとおりだと思います。直秀をはじめとした散楽の一座の面々を丁重に弔ってあげたいと考え、自分たちが穢れることは承知のうえで、彼らを埋葬してあげたのでしょう。「穢れ」に触れるとわかっていても、大切な人を偲(しの)び、その感情を優先して行動するようなことは、おそらく当時もあっただろうと思います。

――まひろ(吉高由里子)と藤原道長(柄本佑)は、帰宅する前に「穢れ」を払ったのでしょうか。
ドラマではそこまで描かれていませんし、屋敷へ帰る前に陰陽師に依頼して解除してもらったかどうかまではわかりませんが、穢れに触れたことが家族にバレるといろいろと問題になりますから、二人ともそしらぬ顔をしてほかの人には黙っていたと思います。

そしてこの当時の宗教観なのですが。

ちょっと真顔でそう突っ込みたくなりました。いや、話がおかしいとか、考証ミスとかではなく、当時の思想というか宗教のごった煮感がすごい。
怨霊云々は、シャーマニズムも強い【神道】でしょう。
で、成仏させるというのは【仏教】。
これを主張しているのは【陰陽道】をおさめた陰陽師。
何が何やらわからない、本当にわけがわからない。
そもそも、同時に複数を信じてはいけないという考え方が、東洋にはないといえばそうなります。

ごった煮などとありますが、神仏習合という言葉をご存知ないのでしょうか。
そしてこれも、先ほどの公式サイトのコラムに書かれているので、本文の一部を貼っておきますね。

「穢れ」は神道、「陰陽師」は陰陽道、そして「喪に服す」のは仏教の考え方になりますから、平安時代はさまざまな概念が混じった状態だったと思います。

それから為時が惟規に贈った言葉。

一念通天(いちねんつうてん)
『周易参同契』より
ひたむきに一つのことを思いつつければ、天に通じるということ。
率先垂範(そっせんすいはん)
『史記』、『宋書』より
人の先頭に立ち、模範を示すこと。
温故知新(おんこちしん)
『論語』より
過去に学んだことをもう一度復習して、新たな意味を見出すこと。
独学孤陋(どくがくころう)
『礼記』より
人と接することなく学んでいると、意見が偏ってしまう。現代ならばエコーチェンバーか。

まず一念通天、これは強い信念を持ってものごとに取り組めば、その思いが天に届いて成就するということです。そして率先垂範は、人がいやがる仕事などを進んでやるという意味もあります。そして温故知新、これは知っていると言う方も多いでしょうが、過去のことをよく学び、そこから新しい知識を得るという意味です。
武者さんの見方、完全に間違っているわけではないけど何だか微妙ですね。

そして独学孤陋ですが、師匠や友もなく一人で学ぶと見識が狭くなり、他人の意見を聞かなくなるからよくないということです。なおエコーチェンバーですが、これは周囲が自分と同じような意見の人たちばかりになり、その結果考えが先鋭化されることですか、周囲に人がいることも含め、意味としては違うのでは。

彼は身分制の矛盾を突きつけた回が、問題提起としてあった。

直秀のことですが、前にも書いたように、身分制より摂関政治の歪みに疑問を呈した、それを盗みや散楽という形で表現したのではないかと思います。

日本ではフィクションでも【正史】が強くなり、【稗史】が弱いということは指摘されています。
大河ドラマにせよ、かつて架空主人公の作品もありましたが、いつしか消え、稗史目線のために出した人物は「オリキャラ」「邪魔だ」と罵倒されてしまうこともある。
『麒麟がくる』の駒、東庵、伊呂波太夫が罵倒されているファンダムを見て、私はそういう稗史軽視に危惧を覚えていました。
あの作品はなんとなく気に触る要素があるけれども、そこを指摘できないモヤモヤ感が、稗史目線人物にぶつけられていたとは推察できるのですが。

武者さん、この間も同じようなことを書いていました(よほど書きたくてたまらないのでしょう)。
私はそれに対して、『どうする家康』の阿月の登場も、同じような「稗史」であると書いています。しかし武者さんは、彼女のことを話題作りのために都合よく死ぬ、「冷蔵庫の女」としか評価していません。そしてあの大河には、家康のことを悪く言う団子屋の老婆という存在もいましたが、こちらもきちんと評価しているようには見えませんでした。あと寺内町の一向宗徒もいましたね。

結局のところ、この人の場合は「自分が好きな大河」限定なのですね。先日のBL、あるいは同性愛的描写も嫌いな大河ならNG、自分が好きな大河なら美しい、萌えたいから描いてほしい、随分都合がいいなと思います。

そしてまた『麒麟がくる』。別に私は駒や東庵が批判されても、それはその人の見方であると思いますし、実際駒の描かれ方は疑問に思えたところがあります(伊呂波大夫はオリキャラとしては一番よかったです)。

何度も書きますが、あのまま薬屋として生きていたらそうも思わなかったでしょう。毎度同じようなことを書いていると思いますが、武者さんが何かについて同じことを書くので、これもやむなしかと。

まあ武者さんがいくら「危惧」を覚えようが、ネット上での批判を封じることはできないわけだし、スルーしたほうが精神衛生の面でもいいのではないでしょうか。

一方でまひろは、直秀から鴻鵠の志を受け取ってしまったように思えます。
世を変える――そう思ったからこそ、女であるという壁に激突します。大学に行けないじゃないか……と。
隣に並んで座っているけれど、見ている方向は違う。そんな状況がますます決定的になったように思えます。

武者さん、何だかやけに「世を変える」にこだわっているようですね。直秀は、貴族たちが帝と縁を結ぶことに腐心する中で、貧しい人々に盗品を与え、散楽で彼ら貴族を風刺することをやってはいましたが、世を変えると言うよりは、こんな面倒臭いことのない地に、山を越えて行きたいという思いの方が強かったかと思いますが。

そしてまひろですが、彼女自身は自分が男だったらこれこれこうしたいとは言うものの、その当時は女性は大学に行けず、従って惟規のように決まったコースを歩むわけではありません。だからこそ、自分が何をすべきかで思い悩んでいるのでしょう。道長と結ばれることもなさそうですし。

『麒麟がくる』の明智光秀と織田信長も、志が違って本能寺という結末に向かってしまった。
『鎌倉殿の13人』だって、あんなに仲が良かった北条義時と北条政子が、最終回でむごい決裂を迎えてしまう。
今年はこうした関係性をさらに突き詰めてきます。
まひろの「世を正す」思いはどこを見ればわかるのか?
まひろと道長は、どう決裂し、対峙するのか?
盛り上がってきました。
戦があるかないか、それはどうでもよいのです。人が人として生きる上での心の動き。これをきちんと描けば盛り上がります。

貴方は本当に好きな大河しか引き合いに出しませんね。
そして本当に「世を正す」ことにこだわりますね。

『青天を衝け』で名を成したものの、それゆえにトラブルも引き受けることになる主人公、『どうする家康』で悩みながらも身を立てて天下を取ったものの、最終的には秀頼と茶々を死に追いやらざるを得なくなった主人公、それぞれの思いはどうなったのでしょうか。そして家康と茶々の別れもまた、決裂ではあるのですけどね。

「人が人として生きる上での心の動き。これをきちんと描けば盛り上がります」
『青天を衝け』や『どうする家康』に、それがなかったと考えているのですか?武者さんは。

ただし、いつまで直秀ロスでいられるかどうか――それが本作の恐ろしいところです。

貴方「○○ロス」て嫌いではなかったのでしょうか?

藤原為時がたどたどしい中国語を話す一方、越前には中国語の発音がバッチリできる朱仁聡と周明が漂着。
朱仁聡を演じる浩歌さんは中国語がペラペラです。
そして周明は、松下洸平さんです。

ここですが、嫌いな大河なら
「宋人にネイティブの俳優さんをキャスティングしないなんて許せない!」
となるのでしょう。『鎌倉殿の13人』の陳和卿を演じたのは中国人の俳優さんでしたが、やはりこうでなければと言っていたのですけどね。

昨年、穴山信君が「変装」した明国人滅敬の衣装がおかしいと散々言った武者さんです。変装なのだから、多少おかしくても周囲の目を欺ければいいはずなのですが、そこのところにやけにこだわっていました。

無論私は、ネイティブの人であろうが日本人であろうが、その登場人物の立ち位置にふさわしい演技をしてくれたら、別にいいのですが。

そして最後にお礼です。
私も漢籍関係で間違ったことを書き、ご指摘を受け修正しました。
全くもって情けないと思うとともに、独学孤陋とはこのことかと痛感しています。

「漢籍関係で間違ったことを書き、ご指摘を受け修正しました」
「どの」漢籍関係で、「誰から」指摘を受けたのかまるで書かれていないのですが。指摘されたのはSNS投稿か何かだったのでしょうか。お礼だと言うのなら、まずそれをはっきりさせてもいいのではないでしょうか。

マウントを取ったり勝ち誇るのではなく、様々な意見を聞いて学ばねばならない。
今年の大河ドラマはそう感じさせるので、秀逸だと思います。
実資のようにクワッと目を見開いて主張したいのですが、学びがない大河ドラマはやはり間違っていると思います。

ここでの「学びがない大河ドラマ」の出し方が如何にも唐突ですね。
そもそもこの文章、「学びがない」が「学んでいない」のか、それとも「自分が学ぶところがない」のかがあいまいです。今年の大河の場合は「自分が学ぶところがある」、学びがない大河は、「大河自身が学んでない」という意味に取れてしまいますし。

何がどのように学びがないのか、自分のケースとどう結びつくのか、学びがないという点では、その大河も自分も同じレベルであるのか、そういった点をちゃんと書いてください。
そして
「今年の大河ドラマはそう感じさせるので、秀逸だと思います」
これも唐突。どういう点がどのようにそう感じさせるのか、ちゃんと書いてくださいね。

あと
「マウントを取ったり勝ち誇るのではなく、様々な意見を聞いて学ばねばならない」
正にこの言葉、武者さんが肝に銘じておくべきものだと思います。

それからこちらのスクショなのですが


武将ジャパン第9回コラムスクショ


上の方に「こちらは3ページ目になります」とあります。
しかしよく見ると、最初の小見出しが「花山天皇の心を掴んだ道兼」となっています。この小見出しは、4ページ目の最初の小見出しで、つまり本当は4ページ目なのに3ページ目と書いているわけです。

今まで入力や変換のミス、あるいは文章がちょっとおかしいと思われることはありましたが、ページを間違えているのは、私が知る限りこれが初めてです。それと同時に、やはり校正を入れた方がいいのではと、またしても思った次第です。


飲み物-グラスに注がれたエール
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[ 2024/03/08 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(-)
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Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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