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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-6

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその6です。今回は6ページあって大半は持説展開でした。この最終ページも延々とそれが続くので、所々省きますが、実際1ページ目の2倍は文字量があると思われます。


『麒麟がくる』とは正反対だと思います。
あの作品を書いた池端俊策さんは、光秀は自分自身だと思いながら書くこともあったとか。堅物で、頑固で、融通がきかない。頼られると損なことでも引き受けてしまう。
そういう光秀には生々しさがありました。
(中略)
思想として根底にあった朱子学も、理解度がとても高い。
一本筋が通っている。筆を握り、スッと線を引く。そんな端正で爽快感のある美しさがありました。

『麒麟がくる』とは正反対だ、あれは素晴らしかった云々。
別に武者さんがこれを好きなのは自由ですが、これを好きでなかった人もいるし、人物描写になじめなかった人ももちろんいるでしょう。人それぞれであると思います。私も馴染めない部分もありましたが、室町文化の描写などは面白いと思いました。

けれども、だからこそか。『麒麟がくる』をどうしても認めたくない、しつこいアンチが一定数います。
「駒に耐えきれなくて切ったんやがおもしろかったんか?」
とかなんとか、いまだにネットで書き込んでは仲間集めをしているかのよう。
そんな脇役が目立つ程度で切る方がどうかしていますし、駒は別段、そこまでストーリーを引っ掻きまわすわけでもありません。

脇役が嫌だから観ない人がいても、それは好き好きであると思います。自分が好きな作品が受け入れられないのがそんなに嫌ですか?ならば、その反対の例(たとえば今年)もあるわけで、他人が好きと言っていても、貴方は、しかもライターとしての仕事の中で、嫌悪感をあらわにしているわけですが。

しかし武者さんがこれを推したいのは、光秀の潔癖さとか朱子学よりも、結局駒の描写なのだろうと思います。

要するにミソジニーだろうと思います。男性が活躍する分野にいる女性を敵視し、やたらと叩く。典型的な心理ですね。
そんなミソジニーの影に「学級委員長タイプのいい子ちゃんw」を嫌う幼稚な心理も伺えます。

駒の見方もまた様々です。ただ武者さんの書き方は、駒に対して否定的な人を断罪し、ミソジニーと断定したがるだけのように見えます。なぜ駒がそのように見られるのか、その原因を一度でも考えたことがあるでしょうか。
先日の投稿で触れていますが、武者さんは『どうする家康』の団子屋の老婆についてこう書いています。

茶店の老婆も鬱陶しいだけ。
その老婆に対して、雑な関西弁で絡み、家康の悪口を喋る連中も見てられない。
このドラマは陰口を叩く場面が本当に多かった。

私はこれに関して、オリキャラゆえのひとつの形であると書いています。つまりオリキャラというのは賛否両論あるものの、どのようにも動かせるものでもあります。少なくとも大河という「ドラマ」について書いているライターであれば、そしてここまで駒への批判に否定的であるのなら、その点を理解するべきではないでしょうか。

私はあの婆さんは、家康の三方ヶ原関連の伝説の語り部でもあり、面白かったと思いますが。柴田理恵さん、好演でした。

そしてこちらの文章ですが、要は上の『麒麟がくる』評と比較してみると、冒頭で賛否両論が混じると書きながら、「賛」の部分だけを否定するかのような書き方はどんなものでしょうか。

どんな傑作だろうと、大河ドラマともなれば賛否両論が混じります。
しかし、ファンがアンチを嘲笑うような、幼稚でいじめっ子じみた口調でやたらと「wwww」を連発しながらおちょくってくる今年は際立って異常です。
・私は松潤が好きな純粋な人間です!
・徳川家康なんて何も知らなかったのに(日本史の授業中は寝ていましたか?)理解できるようになりました!
・それなのに、感想と言いつつ貶す人はひどぉい……くすん、きっと友達がいないからそーするのね♪(世間は広い。ジャニオタ以外に交友関係を広げられる人間も存在することを認識してください)
こういう界隈に忖度することがよいことでしょうか?
ここからの「いいね」欲しさに、無理矢理文章をこねくり回す歴史好きとは何でしょうか?

逆に言えば、なぜこの人たちが『どうする家康』を肯定的に受け止めるのか、それをきちんと考えたことがあるでしょうか。何度も書きますが、自分の好きな作品への否定と、嫌いな作品への肯定はやはり受け入れられないようですね。

これも以前、大河は歴史に興味を持つきっかけと書いたことがありますが、
「徳川家康なんて何も知らなかったのに理解できるようになりました!」
はその一例ですし、少なくともこの意見を私は否定しません。
そして「自分の感情を否定」などと書かれていますが、仕事である以上そこは割り切るべきでしょう。

私は自分の感情を散々否定されてきました。
しかし、そんなことは今更どうでもいい。むしろ、相手はなぜそうするのか、まじまじと観察してしまいます。
悪い癖かもしれません。
人間は往々にして、強い言葉で語るときは何かを隠したいもの。口汚い言葉でこちらを罵る方は、もしかして、ストレスでも隠していませんか。

「人間は往々にして、強い言葉で語るときは何かを隠したいもの。口汚い言葉でこちらを罵る方は、もしかして、ストレスでも隠していませんか」
正直言って、これもブーメランに見えてしまいます。
なぜかと言えば武者さん、自分で大河叩きをする時は、かなり「口ぎたない言葉」(私は伝法な言葉だと書いていますが)を使っています。しかしそれが自分に向けられると
「もしかして、ストレスでも隠していませんか」
となるのですね。

かなり後の方ですが、こういう記述があります。
「ドラマを話の枕として、気取った顔でうんちくを語る大人がいたら、軽蔑が顔に出る。
そのうえで大人が語ったミスを訂正し、根性の悪いクソガキだと嫌われたことでしょう。
『ねえ先生、どうして大人って、あんな嘘くせーバカドラマを褒めんの? 馬なんてどう見たって偽物じゃね?』」
「根性の悪いクソガキ」
「嘘くせーバカドラマ」
どう見ても「きれいな言葉」には見えませんね。

それにNHKに問いたい。
そういう人物に迎合することはリスクでしかありません。
事件が先日ありましたね。ミソジニーにまみれてニヤニヤしている大河ドラマを、看板番組を流しているテレビ局です。こういう恥晒しは起こるべくして起きたのでしょう。
◆取材メモ流出 NHKが協力者に謝罪 「匿名情報公表で放送中止」(→link)
◆NHKがColaboに謝罪 取材メモが批判する人物に流出していた(→link)

「そういう人物に迎合することはリスクでしかない」
何をもってそう言い切れるのでしょうか。日本は法治国家であり、個人の感情だけでリスクか否かを決めるものではないでしょう。
「ミソジニーにまみれてニヤニヤしている大河ドラマ」も、武者さん個人がそう考えているだけだと思います。『青天を衝け』もそうでしたが、否定する時は必ずミソジニー(それが事実であるかどうかはともかく)という表現を使いますね。
そして、これと大河と直接関係はないかと思いますし、のNHKは『麒麟がくる』も『大奥』も制作しているのですが。

『麒麟がくる』みたいな作品を、偽善だと切り捨てたいのであれば、それこそ『首』のような描き方がある。
あの映画ほどの残虐描写を大河ドラマで描くことは厳しいとはいえ、やりようはあるでしょう。
しかし『どうする家康』はせせこましい。
最終回まで、結局悪の尻拭いは秀忠に押し付けたようなもの。
家康はネチネチグチグチと、自分だって辛いんだもんと繰り返すばかり。自主的にできる悪事はせいぜい蒸し風呂で女に手を出すあたりが関の山。
人の痛みに鈍感なのに、自分が辛いことがあるとしつこく愚痴る。嫌なことがあるとすぐ逃避しようとする。

貴方に取って、自分が認める戦国時代が舞台の映像作品は、『麒麟がくる』と『首』しかないのですか?
そして、「悪の尻拭い」て一体何ですか。
秀頼に死を申し付けるというのは、秀忠自身が自分の責任に於いてそうしたのであり、家康から尻拭いを要請されたわけではありませんが。

「自主的にできる悪事はせいぜい蒸し風呂で女に手を出すあたりが関の山」
家康はその気はなかったのに、お万が積極的であったとここで再度書いておきます。そしてこの2人の間の息子は、最初羽柴家、そして結城家の養子となり、越前松平家の祖となっています。

「人の痛みに鈍感なのに、自分が辛いことがあるとしつこく愚痴る」
寧ろその逆でしょう。自分が今までやって来たことは人殺しだと、瀬名と信康に話していましたよね。そして悪いけど、これもブーメランに見えます。

あとまた『パリピ孔明』。

『パリピ孔明』のオーナー小林がそう語っていました。
このドラマは、やたらと絶賛も多い。
SNSのハッシュタグで検索すうと、大仰な絶賛ばかりだとか。
しかし、それは結局のところ玉璽だ。

「すうと」は「すると」でしょうが、そしてあまりこの話を蒸し返すのも何ですが、この番組の平均世帯視聴率は4パーセント台でした。無論これを面白いと観ていた人もいるわけで、視聴率が作品の質を表すものかどうかは何とも言えません。
ただ、『どうする家康』では世帯視聴率ワースト2位だと何かにつけて言いたがる武者さんが、これについては何も言わないのですね。

そして風間俊介さんが、今年をもってジャニーズ事務所を退所し、フリーで活躍する旨が書かれています。他に生田斗真さん、岡田准一さんについても書かれています。それはいいでしょう。
しかし

沈む船から降りた生田斗真さん、岡田准一さん、そして風間俊介さん。
大河でまた見たい俳優がケジメをつけたことは、私にとって朗報です。
これからもどうかご活躍ください。大河にもまた戻ってきてください。

貴方、『どうする家康』で岡田さんが演じた信長のことを何と書いていましたか?

それに比べて本作はどうでしょう……。
あまりに「テレビ業界が考えるベタな信長」ではありませんか?
不良漫画に出てきそうな信長と申しましょうか。
真っ赤っ赤。
いかにも昭和から平成前期にあったヤンキー信長像で、セリフも中二病というスラングそのまんまでした。

本作は、信長が五徳の頬を掴む場面を「めっちゃかっこいい! これぞイマドキ!」と思っているようで、今週も回想シーンを入れて来ました。
全大河ドラマを振り返っても、これほどまで暴力的な場面を宣伝素材にするケースは、そうそうないでしょう。
ニュースにも使われていることから、自信たっぷりに宣伝素材を用意したんですね。

マザーセナのおかげで信長は天下を狙えたのだから、その恩を我々に返さなければならない。
信長という大名が恵みを受けて大きくなれたのは、マザーセナが祝福したから。
マザーセナの祝福を受けた者は 必ず恵みを返さなければならない。恵みを施さなければならない!
信長は“慈愛の国”をどうするつもりなのか? マザーセナを追い詰めたじゃないか! 信長の政治はどうなると思う?
滅びるしかないだろう。光秀に教育を受けにこいと伝えろ。わかったか?

以上のようなことを書いていますが。
そして、これに関して何か釈明されたわけでもないようです。

夫(そ)れ兵の形は水に象(かたど)る。『孫子』
兵士は水のように変化する。
このドラマは教養が嫌いです。

あの
「それ兵の形は水に象(かたど)る」ですが、これはやはりその後の
「水の形は高きを避けて低きにおもむく。兵の形は実を避けて虚を撃つ」まで紹介できませんか?水が高所から低い場所に向かって流れるように、兵は状況に応じて、相手の隙を突くことが大事だと言っているわけですから。
そして「このドラマは教養が嫌いです」などともありますが、武者さんのこの漢籍紹介ももうちょっと充実させてほしいものです。

そして

「このドラマを見れば徳川家康の生涯を学べるんだ! だってえらい先生もそう言ってたもんw」
こう主張できるよう、兵士の心が流れる仕組みが作られてゆきます。

上記の漢籍、兵士の「心」ではなく、隊列とか陣形を変えるという意味ではないのでしょうか?

◆ NHK大河に歴史学者が大満足のワケ…最新研究でわかった家康の生涯と江戸期に作られた家康像の決定的ちがい(→link)
この記事なんてまさしく典型的で、聞き手は歴史好きという演出まで為されています。
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<上>(→link)
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<下>(→link)

まず最初の記事(プレジデント・ウーマン)ですが、著者の黒田基樹氏は『真田丸』の考証をしていた方だと思います。武者さん、『真田丸』の考証は褒めていなかったでしょうか。
そしてあとの2つの記事、読売新聞の記事ですが、こちらは柴裕之氏の考証とドラマのかかわりについての記事で、読んでいて面白いと思いました。

それにしても、一体どういうことなのかと混乱してきます。
例えば、関ヶ原での小早川秀秋への「問鉄砲」は後世の創作なので却下とあります。
それなのに、それを前倒ししてスライドさせた、姉川でも信長から家康への問鉄砲はよいと。
何が駄目で、何がよいのか?

姉川の戦いの問鉄砲は創作ですね。
家康をその気にさせるためのものでした。しかし小早川秀秋の「問鉄砲」は、長らく史実だと信じられてきていたものが、そうでなくなったから外したと思われます。これも『功名が辻』辺りまでは使われていました。
逆に関ケ原での描写ができなくなったため、姉川の戦いにああやって創作として入れたとも取れます。

そしてまた光秀の描き方がなってないだの、清須城が紫禁城のようだの。
光秀については、またも『麒麟がくる』が出てきます。

一体どれだけ、あの優等生が嫌いなのか。宣教師は光秀を貶しているのだから、こちらの方がむしろ近いという。
それはどうでしょう。このドラマの光秀は、下劣で、愚かで、小狡く、死者への敬意すらない。
(中略)
優等生ぶっていて実は狡猾な光秀像であれば、『首』なら理解できます。
あの西島秀俊さんの光秀は折目正しい人格者でありながら、残虐行為を働く。そんな二面性のある人物でした。
それに宣教師の言うことは、異教徒への悪意や偏見があるから、全て受け止められるかどうか、史料批判も必要に思えます。

そしてまた『麒麟』に『首』。
ここは『どうする家康』について書くコラムのはずですが、他作品を持ち出す回数が多すぎです。
要は『麒麟がくる』の光秀は自分の理想、『どうする家康』は駄作だから光秀も小物、こう言いたいのでしょうか。そしてまた『首』だと褒めるのですね。わかりやすいと言えばそうですが、作品による違いを見ていないなと思います。

そもそも最新の説をつまみ食いしたところで、城が異国情緒たっぷりではどうしようもありません。
映像作品でそこを間違えてどうするのでしょう。このトンデモ城については「威圧感の表現だ!」だのなんだの擁護もありましたが、結局間違いであることが上記の記事にも記されまいた。

「最新の説をつまみ食い」
また「森乱」でしょうか。つまみ食いではありませんけどね。
あと清須城、以前にご紹介しましたし、これはたけたけさんと平原学氏、それぞれのnote記事でも紹介されています。信長が城主だった当時はこのような形ですね(Jyo-saiサイトより)。

清須城守護館キャプチャ

で、当該記事中で柴裕之氏は
「言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、時代考証の仕事は基本的に台本を作り上げるまでで、映像にするところは関与していないんです。『家康は壮大さに驚いた』という台本の文字から、紫禁城のような映像を思い浮かべることはできません。だからこそ、制作陣と意見をぶつけ合って、文字と映像にずれが生じないようにする努力が欠かせません。清須城の件で、それが足りなかったのは反省点です」
とコメントしていますが、私は、あれはあれで面白かったかとは思います。実際入って行くシーンを見ると、それほどに距離はありませんでしたし。

あるインスタント食品の広告が、あまりにくだらなくてむしろ買う気が失せたことがあります。こんな調子でした。
あの和食の達人が褒めた!
あのイタリアンのシェフも絶賛!
伝説の中華の鉄人までもが降参!
何がどう美味しいのかさっぱりわからない。
しかし、広告としてはこれが通じてしまう。肩書きの偉い人が何か言うと、信じたくなる方向へと心理は誘導されます。
軍事心理学の古典である『孫子』は、まさにそうした現象を「兵形水象」と表しました。

「偉い人が言うことになびく」ことがそれでしょうか。
上の方でもこれについて書いていますが、柔軟な思考がないと、戦に勝てないというのが元々の意味ではありませんか?そして武者さんも自分が好きな対象であると、それになびくように思われます。

インターネットの普及は、こうした心理を加速させます。
みんなが好きなものはともかく褒めよう、取り入ろう。否定する奴はめんどくせー。嘲笑ってやる。
そんな、ことなかれの冷笑主義をこじらせた結果、先回りして忖度する。
批判者をクズだと貶める瞬間はとても楽しい。ハッピーなことしかありません。

では、『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』にも同じことが言えると考えていいのでしょうか。
つまりこの2つを否定する奴は面倒臭い、嘲笑ってやると、この2作品を支持する人たちのすべてが思っていたのでしょうか。

今年、私は、深刻な「武士成分不足」に陥りました。
何を言っているのかわかりませんよね。自分自身、正直驚いています。
何が起きたか。浮世絵のジャンルである武者絵を定期的に見なければ精神的に安定しなくなりました。
あの構図。色。真剣なまなざし。命をかけた戦いぶり。
そういうものがどれだけ好きなのか、武者絵を見て再確認する作業が必須となっていったのです。
大河を見れば、武士は目に入る。それが今年は欠けていたのでしょう。

浮世絵を見るのも武者さんの勝手ですが、今年の大河に「武士」はちゃんといましたし、命をかけて戦ってもいました。ただ武者さんが思い描く
「戦のシーンで馬を走らせる」
「弱い部分を見せない」
といった、いわば定番としての武士とは違っていたわけで、逆に、その違いを見て取る必要があったかと思われます。

そして江戸時代から明治にかけての武者絵というのは、当然ながら戦国期のものではないわけですが、武者さんはつまり後世の想像が入っていてもいいから、自分が納得する武者像を見たいということのようです。何か、目の前の現実とか一次史料より、自分の理想を優先させたいという見方がそこに感じ取れます。

2023年末と言うのは、象徴的な出来事があります。
長いこと権力の座についたものは腐敗する。
悪だとわかっていようが、利益で釣られて加担するものはいる。
半世紀以上の年月を経た大河は、残念ながらそうした薄汚れたコンテンツになりました。
『どうする家康』を曖昧な、キラキラワードで褒めるということは、悪に加担することではないでしょうか?

なぜキラキラワードで褒めるのが悪に加担するのでしょうか。
そもそもこのキラキラワードとは、具体的にどのような言葉であり表現なのでしょうか。
そして
「長いこと権力の座についたものは腐敗する」
という表現ですが、
「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」
では?

『どうする家康』は何かの未来を確実に潰したと思います。それが何かは、もう少し様子を見てから言えることなのかもしれません。
先ほど、人間とは偉い肩書きの先生が言うことを信じると書きました。
残念ながら日本では泥舟とわかっていても『どうする家康』を褒める忖度の空気が漂っています。
それはなぜか?
結局はお金ではありませんか。どうしたって戦国時代は金になる定番コンテンツですからね。そこに群がれば甘い汁は吸える。
戦国時代をモチーフにしたキラーコンテンツを作れば、金が回るシステムはあるとみてよいのでしょう。

どの大河でも、イベントなりグッズ販売などでお金が回るとは思いますし、それがその地域の活性化につながっているとは思います。昨年の『鎌倉殿の13人』だってご当地グッズはありました。なぜか武者さんは、それ(特に義時の名がついたアイテム)を貶めるようなことを言ってはいましたが。

そして
「人間とは偉い肩書きの先生が言うことを信じると書きました」
偉い肩書というか、
「立派な肩書を持つ第一人者」
とでも言いたいのでしょうか。別に立派な肩書と言うより、その人がどのような研究をしているかにはよりますし、また大河の場合、考証を担当している人がなぜそうしたのかを知る上では、その人の記事やコメント、SNS投稿は注目するべきではあるでしょう。

私は驚いたことがあります。こんな言葉がネットにあった。
「大河ドラマの記事を書いて金を儲けているくせに、批判するとは何事だ!」
一体なんなのでしょう。批評家の存在意義すら理解できないのか。

武者さんが自分が好きな大河にも批判をきちんとしており、嫌いな大河でも見るべき部分を指摘しているのであれば、それは納得できます。ただ今まで、そのような例が今までどのくらいあったでしょうか。

日本史ではない、歴史研究者のオンライン講義でのことです。
大河ドラマの話題が出ました。その先生は明らかに苦々しい、苛立った口調で話していました。
そして中国で教鞭をとる日本史研究者と、そのフォロワーでのやり取りにこんな内容がありました。
「講義で大河ドラマを教材に使おうかと思っています」
「えー、でも、『どうする家康』を使ったらむしろ学生の知識が落ちますよ」
「むろん、まともな大河ドラマだけを使います!」
忖度がない意見ならば、こうなるわけですね。
海外の日本史ファンは相当冷たい目でこの駄作を眺めています。

ではそのオンライン講義のテーマと、研究者の名前を挙げてください。
それから、海外の日本史ファンの意見も、スクショか何か取れないのでしょうか。それがないと、ただ武者さんがそう言いたいから言っているだけに過ぎません。

それはそうでしょう。当たり前です。国内でコタツ提灯記事をビカビカ光らせたところで、何の意味もない。
私はそんな意味のないことに加担したくありません。今だけではなく、一手先、二手先を見てゆけば、こんなものを褒めれば後悔すると予測できます。

それは貴方の好きな大河でも同じようなものですよ。いくら武者さんが好きでほめそやす大河の関連記事でも、それを提灯だと言っている人もまたいたでしょう。

私はそんなことには加担できない。そんな恥ずかしいことだけは御免です。
こんな大河は忘れましょう……

忘れましょうと言いつつ、

色々とまとめることはあるので、後日、あらためて記事を出させていただきます。

貴方どっちなんですか。忘れるならとっとと忘れてください、このコラムだけでも6ページも使って、結局いつもの繰り言と、ゴシップを並べているに他ならないのではないでしょうか。
そしてこれよりもう少し前で

群れるというのは、そんなに楽しいことなのでしょうか?
どうにもわからない。私はこれまでも、これからも、“ぼっちクソレビュアー”で結構です。

武者さんが「ぼっちクソレビュアー」だろうが、別に私は共感や同情はしません。一方で群れるということを否定していながら、何かにつけて自分の主張を押し通し、同調者を求めるような姿勢が見えるかとは思います。

この大河から学べるものは多かったと思います。しかしこのコラムでは、嫌いな大河への対応としてありがちな、のっけからの叩きまくり、すべてを否定する姿勢が、『青天を衝け』に続いて、また繰り返されましたね。

あと平原学氏のnote記事が久々に更新されています。

【どうする家康】ラストの東京タワーの意味。最終回でも輝いた松潤の演技のスゴみとは。最終回「神の君へ」雑感

第45回の氏真の「本当のおぬしに戻れる日もきっと来る」、現代人への問題提起としての現代の日本の姿、そして「ドラマを楽しんでいた者も『反省会勢』も、両者が反省すべきこととは。『乱世の亡霊』に憑りつかれるな」等々書かれています。



飲み物-ポーターとクルミ
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[ 2023/12/24 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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