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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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『どうする家康』第46回「大坂の陣」あらすじと感想-1

第46回の前半部分です。


家康は大坂での戦に備え、布陣図を描いていた。阿茶局が面白き道具ですなとのぞき込む。家康は三浦按針から貰った「ぺんすう」鉛筆で図を描いていたのである。墨が要らん筆じゃと言う家康に、絵を描くのも面白そうと阿茶局。家康はその言葉に、絵を描くのが好きな千姫を思い出し、あの子にくれてやったら喜ぶだろうと、図の端にお千と書きしるす。

一方大坂城では、大野治長が秀頼と碁を打ちながら、そろそろ騒ぎ始める頃かも知れませぬと口にする。どう出てくるかを気にする秀頼に、どう出るにせよ我らが望むところと答える治長。さらに治長は、もしそうなったらこの時を待っていたと、多くの者が秀頼様のもとへ集いますると言う。側で見ていた千姫は何の話であるか尋ね、やはり側にいた茶々がこう答える。
「もうすぐ豊臣の世がよみがえるという話じゃ、お千」

秀頼は豊臣の威信をかけて大仏殿を建立するが、その時梵鐘に刻まれた文字「国家安康」「君臣豊楽」を徳川は問題視する。儒学者の林羅山は駿府城に呼ばれ、国家安康は家康を首と胴に切り分け、君臣豊楽は、豊臣を主君とする世を楽しむ意味で、明らかに呪詛の言葉である、徳川を憎む者たちはこれに快哉を叫び、豊臣の世を更に望むことであろうと断言する。

一方金地院崇伝は、豊臣方は文字通り国家の安康と、君臣共に豊楽なる世を目指すものであり、他意はないと豊臣は申すだろうと言い、それに羅山は、大御所様の名に気づかないわけがないと反論する。しかし崇伝はまたも、豊臣は大御所様を祝う意図で刻んだと申すであろうと言い、お前はどちらの味方かと秀忠に問いただされる。いずれにせよ、これを見逃せば幕府の権威は失墜すると本多正信。

正信はさらに、豊臣はますます力を増大させる、しかし処罰すれば卑劣な言いがかりをつけて来たとみなされ、世の中を敵に回すことになる、うーん実に見事な一手と例の口調で話し、褒めてる場合ではござらぬと息子正純に注意されるも、腹をくくられるしかないでしょうなとこともなげに答える。豊臣のこの態度に、阿茶局はおとなしくしていれば安泰であろうにと言い、秀忠も天下を取り戻そうと強気なのを疑問視する。

家康は言う。
「倒したいんじゃろう、このわしを」
家康最後の戦が近づいていた。既に加藤清正ら、豊臣恩顧の古参家臣たちも次々と世を去り、今や豊臣と徳川の間を取り持つのは、片桐且元だけになっていた。且元は平謝りに謝るが、本多正純は度重なる挑発は看過できないとして、秀頼の大坂退去と国替え、もしくは他の大名同様に江戸屋敷を持っての参勤、あるいは茶々を人質として江戸へ下らせるか、いずれかを選び取らせる。

且元は穏やかに収めたい、千姫様もお心を痛めておられる、秀頼様とも仲むつまじくと言いかけるが、家康は3つの求めの内、いずれかを飲むよう説き聞かせるよう且元に命じる。しかし当然ながら茶々は反発し、治長は祝いの言葉を呪いであると言いがかりをつけ、豊臣を潰す企てに他ならぬと言う。古狸の悪辣な仕打ちとまで言う治長に、且元は食ってかかる。
「修理、こうなると分かってあの文字を刻んだな!」

治長は、片桐殿が頼りにならんのでと言い返すが、且元は戦をして豊臣を危うくする気かと反論する。その且元に治長は、手をひらひらさせてこういう。
「徳川に尻尾を振って、豊臣を危うくしておるのはお手前であろう」
治長の家臣も一斉に同調し、治長と且元は互いの家臣も巻き込んでの口論となる。

茶々は彼らに控えよと命じ、且元は引き続き自分を交渉役にしてくれと秀頼に頼み、千姫は心配そうにその様子を見守る。無論頼りにしておると秀頼は言うが、ひとまずは屋敷にて十分に休むがよいと言い渡し、且元を下がらせる。治長は、あれはもう狸に絡め取られておる、害しようという者も現れますでしょうと言い、茶々は一言面白くないのうと口にする。

千姫はその夜寝所で、秀頼に尋ねる。
「あれは、片桐殿を亡き者にすると…」
さらに千姫は戦になるのですねと言い、秀頼は妻に対してこう答える。
「余は徳川から天下を取り戻さねばならぬ。それが正しきことなのだ、わかってほしい」

秀頼と千姫は互いに床の上に起き上がり、秀頼は千姫を安心させるように言う。
「案ずるな。そなたのおじじ様や父上がそなたに手出しできようか?」
そなたは安全じゃと言う夫に千姫は尋ねる。あなた様は本当に戦をしたいのですかと。本当のお気持ちですかと重ねて尋ねる千姫に、秀頼は、余は豊臣秀頼なのじゃと答える。

一方江戸では、その千姫の父秀忠が正室お江や子供たちと共にいて、戦になっても兵力の差は歴然じゃ、少し懲らしめてやれば、向こうもこちらの求めを受け入れるじゃろうと楽観的だった。お江はならば大御所様にはお休みいただき、殿が総大将となられてはどうかと促す。そのお江に秀忠は、お千のことを案じておるのかと尋ねる。

お江は秀忠に、(千姫を)見捨てる覚悟はしていると言うものの、どこかためらっていた。秀忠は、父上は孫を殊の外可愛がってくださる、ひどい仕打ちはしないとも安心させるが、戦となれば鬼となれるお方ではとお江は言い、姉茶々も一歩も引かぬたちであって何が起きても不思議ではない、あなたがお指図なされませと厳しい口調になる。その千姫は、豊臣家が呼び寄せたかつての武将たちに酌をしていた。

彼らは大軍を率いた経験がある者たちばかりだった。関ケ原の生き残りである長宗我部盛親や毛利吉政、そして今は出家して常真(じょうしん)と名乗る織田信雄も加わっていた。常真は小牧長久手の戦いの自慢話をし、太閤殿下にあれほど見事に勝ったのは、後にも先にもわしくらいと得意満面だった。あん時は徳川もようやったが、総大将はわしであったわとの常真の言に千姫はいたたまれなくなり、その場を立ち去る。

1人廊下ですすり泣く千姫に、常真が厠に行くふりをして近づき、すれちがいざま千姫に言う。
「戦は避けましょう」
「あなたのおじい様には世話になった。ハハ…やりとうない」
さらに自分が最も得意とする兵法は和睦であると言って笑い、わしと片桐で何とかすると、千姫を安堵させる。

その常真に千姫は、治長が恐らくその翌日、且元を手に掛けるであろうと教え、且元は姿をくらます。この失敗に治長は怒るが、駿府にもこの知らせはもたらされていた。且元は騙し討ちされそうになり、常真が危機を知らせて間一髪で助かったのである。京にいる五徳の手助けで、常真、且元とも今は伏見にいると阿茶局。これで徳川と話ができる人物が豊臣にはいなくなった。

これが豊臣の返答と言う正純は、大坂の町はおよそ3万人もの牢人で埋め尽くされており、これに秀頼の兵と、金で雇った兵を加えると10万にも及ぶと言われていると家康に伝える。とうとう始まるのですねと阿茶局。家康は正純に、諸国の大名に大坂攻めの触れを出し、大筒の用意もするように命じる。そして家康は、関ケ原の時の甲冑を前に座る。その時正信がやって来る。家康は正信に話しかける。
「年寄がこんなものを着けて笑われんかのう」

重さで腰が折れんよう気をつけなされと、正信は無遠慮に言う。お前も出るんじゃぞと家康、正信は体の節々が痛み、気乗りがしないようだった。そんな正信に家康は言う、わしとてあちこち痛いわと。


まず家康の鉛筆からです。ご存知の方もいるでしょうが、実際に家康は鉛筆を使っており、硯箱に入った状態の物が久能山東照宮で発見されています。黒鉛を使う鉛筆は、16世紀に博物学者コンラート・ゲスナーが使っていたとされています。その当時は黒鉛がなくなると、新しい物を軸木に詰めて使う物であり、家康が使っているのはそれより後のの軸木に黒鉛を挟み、芯を削って使うスタイルの鉛筆と言われています。家康以外に、伊達政宗も鉛筆を使っていたことが知られています。

豊臣家では、豊臣が天下を取り戻すという風潮が高まっていました。これから見るにこの場合、やはり豊臣が徳川を挑発し、戦を仕掛けていると取るべきでしょう。無論徳川方も、秀頼の国替えか参勤の義務か、あるいは茶々に人質となるか、どれかを選べと言うわけですが、当然豊臣がその内のいずれかを飲むわけもなく、且元は徳川のスパイではないかとまでみなされるに至ります。

大野治長は、この邪魔な人物を殺すつもりでいたようです。しかし千姫がそれに気づいていたようで、織田常真にそれを打ち明け、且元は間一髪で治長の刺客から逃れます。しかし信雄公、お元気だったのですね。この人は寛永の頃まで生きており、72歳で亡くなっていますから、当時としては長命と言えるでしょう。そして五徳、こちらも懐かしい名前です。彼女も信雄のもとに身を寄せ、その後信雄が改易された後は尾張に移り、その後京に居を構えるようになっていました。

そしてお江。夫秀忠に総大将を務めてはどうかと切り出します。義父家康が戦となれば鬼となること、千姫をやはり案じていることなどがその理由のようです。一方で大坂では、かつて関ケ原で西軍に与した強者やその子、また後藤又兵衛のように主家を出奔した者たちが次々と押しかけます。又兵衛の顔の刀傷が何とも言えません。そして毛利吉政、『真田丸』では毛利勝永として登場しています。そして実際この人は、大坂の陣当時は出家しています。さらに真田信繁も彼らの中にいました。

あと
「豊臣恩顧の古参家臣たちも次々と世を去り」
とありますが、その後に
「今や豊臣と徳川の間を取り持つのは、片桐且元だけになっていた」
とあるように、この家臣たちは二条城会見に立ち会い、豊臣と徳川の仲立ちをした人たちを主に指していると思われます。清正に加え、池田輝政や浅野幸長などがそれに当たります。池田輝政と言えば、黒田家を出奔した後藤又兵衛がここに仕官しようとしますが、奉公構により仕官できず、牢人の境遇となっていました。

また参勤、この当時参勤交代は義務化されていないものの、多くの大名が自発的に将軍に拝謁するようになっていました。そう言えば家康も、江戸屋敷をどうするかで頭を悩ませていましたね。


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[ 2023/12/04 02:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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Author:aK
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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