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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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『どうする家康』第43回「関ケ原の戦い」あらすじと感想-1

第43回前半部分です。


家康が経験した様々な戦(桶狭間、三方ヶ原、設楽原、小牧長久手)と、それに対して抱いた思い、そしてそれから得た様々な教訓。今回訪れたこの戦は、家康と三成、それぞれがどれだけ多くを味方につけられるかで決まる戦だった。その三成は「より大きなクモの巣をもうひとつ張っている」と、関ケ原で1里の間を置いて家康と対峙する。慶長5(1600)年9月14日、決戦の時が始まろうとしていた。

同じ日。大坂城では具足姿の秀頼が毛利輝元に、出陣について尋ねていた。時が至ればと答える輝元だが、茶々は三成から矢のような催促が来ていること、今こそその時だと苛立たしげだった。戦の動きを見定めているゆえ、お任せくださいますようと言う輝元だが、茶々は釘をさすようにこう言う。
「そなたが総大将の器であるか否かが問われておる。機を見誤るなよ」

一方北政所寧々の住まいである京都新城では、阿茶局が、自分を匿って迷惑ではないのかと寧々に尋ねていた。寧々は自分はどちらかの肩を持っているわけでもなく、本を正せばこの戦は豊臣家中の喧嘩であり、正直なところ、豊臣と徳川が一体となって天下を治めるのが最もよいと話す。その寧々に阿茶局はあることを頼む。

美濃赤坂の徳川の陣に東軍の武将たちがやって来る。早く城攻めをとはやる福島正則に、大垣城を崩すには兵が足らないと藤堂高虎。井伊直政は、秀忠の本軍が来るのを待つように家康に促す。その秀忠は美濃に向けて馬を飛ばせるだけ飛ばし、休ませねば馬が死んでしまうと、榊原康政に諫められていた。3万の兵を預かった秀忠は、三成の策略で上田で足止めを食らって合流が遅れていた。

本多忠勝は本軍がいまだ到着しないのは相手も同じだと言うが、万が一毛利勢が秀頼を戴いて三成の方につけば危うくなると懸念する。家康は黒田長政に、調略の具合について尋ねる。既に吉川広家は内応を約束しており、その広家を通じて小早川秀秋、毛利輝元への調略を繰り返していると答える長政。しかし実際に蓋を開けないことには、何とも言えなかった。家康は直政に、秀秋への文を書かせることにする。

さらに各陣所にそれをばらまき、小早川は既に徳川に内応していると言い触らすように命じる。一方で三成がいる大垣城では、秀秋が合流する予定になっていた。しかしその秀秋は、家康の誘いを受けているとの噂で持ちきりで、三成方につく決意は変わらないと言ってはいたものの、気弱そうに見えて狡猾であり、油断ならんと秀家は言う。

三成は寝返りを防ぐ意味でも、秀頼と毛利3万の軍勢に期待しており、自信ありげにいずれにせよ我が軍は10万と言い、こうも言う。
「どうする…家康!」

家康は秀忠の援軍を諦め、大垣城を素通りして関ケ原に入ることにした。ここには大谷吉継がいるだけだった。自分たちが西へ進んで大谷勢を攻めれば、三成たちは城を出ざるを得ない。野戦に持ち込むというわけで、長政はうなずくが、直政は後ろを塞がれ、秀秋や輝元らが三成に合流すれば東軍が袋の鼠となると指摘する。しかし家康は言う。それが三成の狙いであろうが、大軍勢を率いるとは思い通りには行かぬものと。

その時雷鳴がとどろき、雨が落ちてくる。家康に取っては、大高上の兵糧入れを思わせる空模様だった。忠勝はおもむろに決戦の地関ケ原へと言い、直政はいざ出陣と声をかけて一同は立ち上がる。そして三成は、徳川勢が関ケ原へと進軍を始めていることを知らされる。大谷勢を攻めて自分たちをおびき出す手かと三成は察し、食いついたとほくそ笑むが、その時小早川勢が松尾山に陣を敷いたという知らせが入る。

合流せず松尾山に陣を敷いたということは、どちらに転ぶにも賢い場所、最後の最後まで見極めるつもりでしょうと嶋左近。三成は吉継に秀秋を監視させることにし、自分たちも関ケ原へと急ぐ。その三成に小西行長は、知恵ばかりの戦嫌いと皆お主を呼ぶが、ここまで熱き心があったとはな、紛れもなき乱世の武将ぞと言い、ロザリオを握りしめてデウスのご加護をとつぶやく。

行長、三成と関ケ原へ向かい、やがて9月15日を迎える。両陣営で15万の軍勢という規模の大きさで、雨は上がり、深い霧が周囲を覆っていた。家康の陣は桃配山、その陣を守るように忠勝が陣を敷き、そして前線の平野部には井伊直政。さらには福島正則、藤堂高虎そして黒田長政らの歴戦の猛者が顔をそろえていた。

彼らを迎え撃つ西軍は石田三成が笹尾山に陣を張り、その脇に島津義弘、さらに南の天満山には小西行長と宇喜多秀家、そのさらに南の中山道筋に大谷吉継がいた。また小早川秀秋が陣を敷いた松尾山は、この両軍を見下ろす位置だった。その東の南宮山には吉川広家率いる毛利勢、長束正家そして長宗我部盛親が陣を敷いていた。

西軍が東軍を包囲するような布陣であり、左近はまんまと大きな狸がかかったと嬉しそうだった。三成は、形の上では我らが勝ちと言いたいものの、小早川勢の動向が気になっていた。秀頼と毛利本軍の到着で勝利が見えてくると左近、勝利に意欲を燃やす三成。かたや家康の許には直政と忠勝が来ていた。霧が晴れるまで、どちらも動けぬと直政。忠勝は西軍に取り囲まれたことから、ここが我らが果てる地じゃと洩らす。

不思議と気分は悪くないと家康は言い、忠勝も、私は殿と共に戦うことが好きでござると口にする。ここまで来たらじたばたしても仕方ない、思う存分楽しみましょうぞと直政。家康は、既に亡くなった者たちの心が、ここに集まっているのを感じると言い、直政と忠勝もうなずく。やがて霧が晴れ、忠勝と直政も陣へ戻る。

去り際に忠勝は、福島殿が先陣を切るといきまいていると言うが、直政は先陣は徳川でなければならぬと、家康に先陣を切ることの許可を得る。思う存分暴れてまいれと激励する家康。陣を去る時直政は、家康に向かってこう言う。
「おいらを家臣にしてよかったでしょう?」
ああとうなずく家康に、おいらもでございます、取り立ててくださってありがとうございましたと直政は礼を述べる。

戦は井伊勢の、宇喜多勢への銃撃から始まった。先陣を井伊に取られた正則は、後れを取るな、かかれと兵たちに命じる。こうしてあちこちで戦闘が始まり、当初は地の利を生かした三成側が優位にことを進めていた。様子を見ていた左近も、かかれと声を上げるものの、三成は尚も小早川勢の動きが気になっていた。

その小早川陣では、徳川についたと言い触らされていることを、秀秋の家臣たちが気にしていた。しかし秀秋は意に介さず、戦の成り行きのみを見極めよと命じる、その戦はこの時点で五分五分で、吉川広家が敵の背後を突けば小早川も動くと左近。そして家康の陣でも、同じような会話がなされていた。渡辺守綱が、吉川勢が背後を突いて来たらどうなるかと尋ね、家康はおしまいよと答える。

しかし家康はこうも言う。毛利は家臣の広家らはおろか、小早川秀秋もまとめ切れておらず、調略の成果を祈るのみであると。そして三成には、広家が動かないという知らせが届く。広家は腹ごしらえをしていると言うのである。その吉川陣では、広家が兵たちに時間稼ぎのため、ゆっくり食べるように命じていた。広家は長宗我部勢からもせっつかれていたが、すました顔でこう命じる。
「腹が減っては戦ができぬと言っておけ」


いよいよ関ケ原での戦いとなります。この戦い、小早川秀秋をはじめ毛利勢の動きが、勝利に関わっているとも言えました。三成の方は、なかなか動かない小早川秀秋に苛立ちつつも、秀頼と毛利3万の兵がいれば、勝利は転がり込むと思っていたようです。勝ちたい意欲は確かにあるのでしょう。しかし頼みの毛利軍はなかなか来ず、しかも秀秋が寝返ることにいくばくかの不安を抱えている状態です。

一方家康。小早川勢をはじめ吉川、そして毛利輝元本人への調略を、黒田長政を通じて行っていました。あとはこの調略が、どれだけ功を奏するかの問題でした。さらに勝敗の帰趨を握る毛利が一枚岩でないことから、吉川広家が自分の背後を突く可能性は低いとも見ており、三成とは対照的に、毛利勢を如何に寝返らせるか、行動を起こさせないかを重視しており、しかも念には念を入れて、小早川は徳川についたという情報を、直政に流させるに至ります。

これを直政にやらせる辺り、直政もまた長政と共に調略に噛んでいたというのが窺えます。そして小早川秀秋も、前回でどちらにでも転べるようにと言っており、最早その潮時を待つだけと言えます。三成の頼みの綱の秀秋は、実は参戦前からどちらにつくかを決めてもいたわけです。

そして吉川広家。「宰相殿の空弁当」と言われます。戦闘参加を拒否し、兵に兵糧を使わせていると言って時間稼ぎをしたこの逸話ですが、ここでは本当に食事をさせています。しかもわざと時間をかけて食べさせているようで、黒田長政の調略がかなり効いていると言えそうです。もちろんこれは毛利家の所領安堵が目的でしたが、後に輝元が西軍の連判状に花押を残しており、これがもとで本領安堵は反故となってしまいます(その後減封処分)。

さらに阿茶局、何か思うことがあるようです。一方で秀忠は遅参しぞうになって馬を飛ばし、休ませないと馬が死ぬと、榊原康政から注意されています。あと井伊直政、福島正則を制するべくこの戦いの先陣を切ることになりますが、あそこで急に一人称が「おいら」になるとは予想外でした。この人物は戦いの中で負傷し、これがもとで世を去るわけで、あれは実質「最後のご奉公」的な意味合いもあったのでしょうか。しかし「おいら」だと、直政でなくて万千代のイメージですね。


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[ 2023/11/13 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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