驚く方円斎に新六はこう言った。
「それがしも旧犬甘派に身を置いているのであれば、小笠原出雲につながる渋田見主膳を斬ったところで不思議ではござるまい」
方円斎は、6月に出雲を斬ろうとした時には巧みに逃げた印南殿が、なぜ考えを改められたのか、実は主膳を助けようという魂胆かもしれぬなと疑わし気に言うが、新六は、それがしにはお守りせねばならぬひとがおり、そのひとの願いによってかくは参ったと答える。
方円斎は一声、笑止とかけて間合いを詰め、居合を放った。新六は後方へ跳び下がって刃を避け、片手で方円斎を制して言った。待たれよ、それがしはまことのことを申しておるだけ、早水(順太)殿と菅様だけではしくじるやも知れませんぞ、それがしが参れば万に一つも主膳を逃したりいたさぬ、直(方円斎)殿ならおわかりのはずと。
方円斎は刀を鞘に納め、ならば行くがよい、菅殿らは馬場の北の端にて主膳を待ち伏せいたしておると言い、新六はならば参ると走り出した。そして方円斎のそばを駆け抜けようとした時、方円斎は腰を静め、新六に斬りつけた。
新六は宙に飛んで白刃をかわした。方円斎はさらに間合いを詰めて斬りつけてくるが、新六は揺れるように動き、方円斎が冗談から振り下ろした刀の峰に飛び乗った。
「おのれ、足鐔(そくたん)か」
方円斎は叫び、大胆にも刀を捨てて、空中で回転して跳ぶ新六に向かって、脇差で斬りつけた。地面に降り立った新六は刀に手を添え、鍔で方円斎の脇橋を受け止めた。次の瞬間、2人はそれぞれ後ろへ跳び下がり、方円斎は笑って言った。
「勝負なしじゃな」
新六は頭を下げ、方円斎に背を向けてまたも走り出した。その頃源太郎は提灯の灯が近づくのを待ち受け、刀の柄に手をかけて、今にも立ち上がろうとした時、背後に誰かの足音を聞いた。振り向いた源太郎に、菅様かと声をかける頭巾姿の男がいた。その声は新六の声だった。なぜ来られたと驚く源太郎のそばに、新六は身を寄せた。
「奥方様に頼まれたのでござる。刺客など菅様のなさることではない。それがしが代わりましょう」
さようなことはできぬと低い声音で断る源太郎。それと同時に順太が飛び出して
「来たぞ」と言うなり駆け出した。
源太郎は後を追いかけようとしたが、新六はご免と言って源太郎の腕をつかみ、腰を入れて投げ飛ばした。地面に叩きつけられて、うめき声をあげる源太郎に、新六はすぐに立ち去られよと言い、順太を追って走って行った。そして新六は順太に追いつき、たちまちのうちに抜き去ると順太の手槍を奪って行く。
そして新六は、提灯を持った供を連れた主膳に駆け寄った。主膳は新六に気づき、
「何者だ」
と怒鳴るが、その時新六は宙に舞っていた。
新六は主膳の頭上を飛び越える時、順太から奪った手槍を投げつけた。そしてそのまま地面に降り立つと、振り向かずに走り去って行った。
主膳の供の者は、主に駆け寄った。主膳の肩先から首筋にかけて手槍が刺さっており、体が揺れてそのままあおむけに倒れた。
この供の者が主膳を屋敷まで運び、その時はまだ息があったが、4日後に主膳は絶命した。この主膳暗殺に対し、藩主忠固はすぐには怒りを表さず、出雲派の重職たちを遠ざけ、小笠原蔵人、伊藤六郎兵衛、小西四郎左衛門や二木勘右衛門らを重用する姿勢を見せた。
刺客として馬場に赴いた新六ですが、いきなり方円斎の挑戦を受けることになります。出雲の刺客とならなかったことが、旧犬甘派の不信を招いているようです。しかしそこは夢想願流の使い手の新六、方円斎の襲撃をものともせず、源太郎が身を潜めている方向へと走り出します。
当然ですが、源太郎は新六の出現に驚きます。奥方様、つまり吉乃に頼まれたのでござると言う新六は、自分が代わりを買って出ます。そのようなことはできないと答える源太郎ですが、ここで新六は少々荒っぽい手を使います。つまり源太郎を投げ飛ばし、即座に動けないようにした後、今度は順太に追いついて、手槍を奪うと主膳に近づきます。しかも相手に有無を言わさず宙を舞い、手槍を相手に投げつけます。
実に素早く、的確に仕事をやってのける新六。しかも彼の得意技である夢想願流、相手の刀の峰に飛び乗る技を披露したのは、やはり武術の腕にすぐれた方円斎に対してのみであり、主膳に対しては、相手に刀を抜く隙すら与えませんでした。主膳は4日後に亡くなり、藩主忠固は表向き平静にことを進めて出雲派を遠ざけますが、しかしこれだけでことが収まるようには思えません。
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