第36回の『武将ジャパン』大河コラム関連です。
本作は、テコ入れに必死です。
しかしストーリー展開にメスを入れるとか、脚本家を入れ替えるといった根本的治療ではなく、目先の宣伝番組に頼るばかり。
そしてその結果、残酷なことが起きていました。
『英雄たちの選択』で「家康が師とした王 〜漢・初代皇帝 劉邦〜」が放映され、この番組で2012年『項羽と劉邦 King's War』の映像が用いられました。
それを見て『どうする家康』との落差に愕然とする人がでたとか。
それはそうでしょう。同じ大河ドラマをとってみても、10年前の『八重の桜』の方がVFXでもはるかに上ですもんね。
まず
「目先の宣伝番組」
大河の場合番宣は正直言って多いです。
そして『どうする家康』との落差に愕然とする人がいたとあるのも、その裏付けがありません。ここまで書くのであれば、ちゃんと裏付けを取って書くべきでしょう。
そして『八重の桜』の方が上。こういうのは映像があるのですから、尚更比較対象を持ってくるべきですね。で ないと客観性を大幅に欠いた、単なる希望的観測でしかありません。
そして清洲城関連記述。
「私も中国ドラマを見ていて思いました。『どうする家康』の清洲城のどこが紫禁城なのかと。
せいぜいが紫禁城敷地内にある鶏小屋程度でしょう」
その清州城のシーン(『どうする家康』)録画より。
武者さんには、これが鶏小屋に見えるのでしょうか。
随分豪勢な鶏小屋ですね。
本格的な時代劇ならば海外ドラマで事足りる時代なのに、なぜ今年のような駄作大河を見なければならないのか、と感じる人は少なくないでしょう。
一言いいます。
だったら観なければいいではありませんか。
私も途中で打ち切った大河、リアルタイムで観なかった大河はあります。ただその代わりその大河に関しては、放送期間中は何も言わなかったし、後でDVDで観て、意外な面白さを発見したこともあります。
武者さんも、毎回毎回駄作だ何だと書き続けるより、視聴をやめた方がずっとすっきりしますよ。その代わり大河レビュー(個人的に、やはりこのコラムがレビューであるとは思えませんが)の仕事もなくなるとは思いますが。
そして打ち切りか完走かとあり、今年の大河は何かがおかしいだの何だの。
さらに
「『どうする家康』はペース配分がヤバい?1983年の家康大河と徹底比較」という記事のリンクがありますが、武者さんがひところ何かのように言っていた「10年ルール」はどうなってしまったのでしょう。
「於愛日記」なんてやっていて、こんなペースで関ヶ原の戦いや大坂の陣を見どころあるように描けるのか。
ヘタすりゃ、放送されないんでは?
なんて懸念も生じてしまうかもしれませんが、大坂の陣で重要な役割を果たすであろう大野治長の扮装写真がすでに発表されています。スチル用ではなくドラマ収録中に撮影されたと思われます。
となると、ものすごい早回しでもうそのあたりまで撮影している可能性はある。
大野治長(修理)のみならず、他の人物も恐らくドラマ本編からカットしたと思われるものが殆どです。そしてこういう画像は『真田丸』のような過去の大河でも目にしたことがあります。
全体相関図|登場人物|大河ドラマ「どうする家康」
(公式サイトより)
別に大坂の陣関連の人物のシーンを、発表時点で収録していても問題ないのではありませんか。
まさか武者さん、大河に限らずドラマは、放送順に収録しているなんて思っていませんよね?ロケとか同じセットのシーンの描写などは、まとめて収録したりもしているでしょうし。
なのに
時間を節約しているだけでなく、無茶苦茶な撮影スケジュールになっているのでは?と思える状況が多々あります。
箇条書きにしてみましょう。
・「ロケがまったくない」ことを出演者が明かしている
・基礎的なミスを放置したままの脚本。きちんとした直しを入れられていない可能性がある
・所作指導がついていないとしか思えない場面が多い
・脚本家のインタビューを読むと、自分が書いたはずの脚本理解が浅い
・短時間で追加撮影したような時間稼ぎの場面が多い
「ロケがない」点、これもそれを裏付けるものがほしいですね。
そしてそれ以外は、ほぼ武者さんの主観によるものではないでしょうか。また脚本家の理解が浅い、これも裏付けとなる記事はないものかと思います。
日本のドラマ、ことブランド性を重視する場合、脚本家が複数いても一人の名義にすることはあります。
このドラマも噛み合っていない箇所が多すぎて、そうではないかと思えることが多い。脚本のチェックが甘い。
何度も言いますが、ならば複数の脚本家を裏付けるものを見せてください。私が観る限り、古沢氏のみの名義にしかなっていません。また噛み合っていない箇所とはどこですか?
たとえば『鎌倉殿の13人』では、北条時政が差し入れする野菜の場面で時代考証をふまえたセリフ直しが入った。
そういうチェックがあるならば、35回で石田三成が西洋だけ星座があるような発言をしたことには、訂正が入ると考えられる。
以前ちょっと触れたかと思いますが、三成が、北斗七星は南蛮では熊になぞらえるというのは、おおぐま座のことですし、また家康が厠が兎かと尋ねているのはうさぎ座のことですね。そしておおぐま座は、古代にプトレマイオスが作った星表の星座(トレミーの48星座)に含まれています。所謂12星座もこの星表にすべてあります。またうさぎ座もしかりです。
西洋だけ星座があると言うよりは、南蛮にはこのような見方があると三成は言いたかったのではないでしょうか。またこれも前に書いてはいますが、うさぎ座の一部が厠に見えることから、参宿では厠とみなされていますね。
しかし武者さんが参宿についてなぜ触れないのか不思議です。
でその後も脚本段階で考証チェックをしていないと番宣で語られたとか、事前に構想していたと思えない時間稼ぎがあるとか何とか。ならばその具体例を出して貰えますか?
さらに
『青天を衝け』でも事前のガイドにあった場面が消え、時間稼ぎが加えられていたことがありました。
あまりに歴史に反することを描くと、そうなるのではないかと私は推察しますが。
『青天を衝け』は前作『麒麟がくる』の放送が、コロナ禍による収録休止のため、翌年2月までにずれ込んだことに加え、前年に予定されていたオリンピックが、この年行われたため、かなり脚本に修正を加えざるをえなかった部分はあるかと思います。
それとこの「時間稼ぎ」て具体的に何ですか?『青天を衝け』の場合もそうですが、武者さんの文章は、時間稼ぎだのミスだのと指摘されているわりに、具体性に乏しいので今ひとつ信用できないのです。
そしてこのジャニーズ主演ドラマに打ち切りの可能性が一切なければ、あまりにも甘い判断などとあります。さらにジャニーズ関連の記述がだらだらと続くので、ここでは省略します。これに関してはこのような記事もあるので、一応リンクを貼っておきます。
日本テレビ、ジャニーズ主演枠は継続 所属タレントの起用に「変更の予定はございません」
(ENCOUNT)
今年の大河は提灯記事や番宣もしつこい。まだ続けようとする力はあるらしい。ただし、それもいつまで持つのか。
毎年似たようなものだと思いますよ。好きか嫌いかで見え方が違うだけではないでしょうか。
打ち切りになってもおかしくない理由としては、数字の低迷もあります。
以下のような指摘もありますが、
◆NHK「どうする家康」…ジャニーズ4人出演の“メルヘン大河”でも視聴率10%キープのナゾ(→link)
今回の放送で、ついに三度目の二桁割れを記録しています。
三度目の二桁割れについてですが、いずれも裏番組に数字を持って行かれた可能性があります。
3月12日 7.2パーセント(裏にWBCの中継)
8月6日 9.4パーセント(裏に特番、恐らく『ウルトラマンDASH2023夏SP』が来たことが考えられる)
9月24日 9.9パーセント(裏にバレーボールW杯の中継)
そしていつも思うのですが、昨年あれだけ「NHKプラスの再生も多いに違いない」と言っていたのに、今年はそれがまるで聞かれず、『青天を衝け』の時同様、世帯視聴率のみを持ち出していますね。
それでも提灯を灯し続けるメディアは消えず、例えばこちらの記事がそうでしょう。
◆『どうする家康』“石田三成”中村七之助、“家康”松本潤の最高の笑顔を引き出す(→link)
『どうする家康』のノベライズを担当した著者による、このドラマを楽しむ作法指南です。
木俣冬氏でしょうか。少なくとも武者さんよりはいいかと思います。
要するに、歴史なんてどうでもいいんですよ。
(中略)
上の記事にある通り、このドラマの鑑賞に求められる知識とは、歴史ではありません。
芸能界の裏話、芸能人同士の関係性ですね。
俳優同士がお友達だから出演しただの。俳優同士がなかよしだから楽しそうだの。そういうゴシップ雑誌や芸能ニュースを楽しむ気持ちで鑑賞すればいいのです。
『どうする家康』をきちんと観ていれば、どう考えても
「歴史なんてどうでもいいんですよ」
「芸能界の裏話、芸能人同士の関係性ですね」
などという文章は出て来ないかと思われます。
こういう文章しか「レビュー」に書けないということは何を意味しているのか。つまるところこのドラマを少しも理解できていないし、またそうしようともしていない、それに尽きるかと思うのですが。
さらにマウンティングがどうのこうの。
日本史好きである人が、こんなことを言っていたりします。
「こういうことをするのは日本人だけで、だからこそおもしろいんです」
「いや、それは中国に先例がありますね」
こう返したりすると、空気が一気に冷え冷えとしてしまうことが往々にしてある。
相手はマウントされたと思ってしまうのではないかと、私は推察します。それにどうしたって差別意識も感じる。
これが、
「いや、それは同じことがイギリスにもありますね」
であれば、相手はそれほどムッとしない気がするんですよね。
歴史知識は「日本スゴイ!」に使う道具ではないと思うのですが、どうしてそうなってしまうのでしょうか。
日本にしかない、あるいは外国渡来のものを日本式にアレンジしたという例は多いものですが、そういう意味で
「日本凄い」
を指摘するのは、特に間違ってはいないでしょう。
武者さんは中国好き(多分)だから、そういわれることに抵抗感を覚え、また差別意識だと思うのかも知れませんし、時にこの日本凄いが行き過ぎと思われるケースもなきにしもあらずですが、もっともだと思われることも往々にしてあるものですが。
逆に武者さんは漢籍とか華流時代劇を引き合いに出して、素晴らしいとか中国凄いといった論調になることがしばしばありますが、これも同じようなものではないでしょうか。
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