はなはだ他愛ない話ではありますが、以前、カップ麺(特にうどんとそば)のつゆの色の東西の違いは、どの辺りが境界線なのだろうと調べたことがあります。その時は東海地方が境界線で、特に関ケ原周辺で変わるとありました。
そして最近、もう一度これについて調べたところ、やはり関ケ原周辺のようで、この意味でもかの地域は天下分け目の役割を果たしていたことになります。一般にはやはり東が鰹だしで濃口醤油、西が昆布だし中心で薄口醤油となっているようです。
ただ最近ではメーカーによってはもっと細分化され、東日本、関西、北海道に西日本と4種類の味の商品を出していたりもします。この場合東日本は関東と東北、そして東海地方で、西日本は中国・四国・九州に北陸が加わります。
一般に調味料というのは、その土地の食物や食習慣の影響も受けるようです。また気候によっても異なります。特に昔はその土地の物でないと手に入りにくいことも多かったわけですから、なおさらでしょう。
またフォロー中の福岡PRメディアアカウントの記事ですが、九州で甘口醤油がよく使われる理由はなぜなのかが、ここに書かれています。
(『目次』の「独自の魚食文化が生み出したのが甘いしょうゆだった!?」をクリックしてください)
漁港取扱高No1! 福岡で“おいしい魚”が食べられるのには、理由がある。
(フクリパ)
実際玄界灘だと青魚や白身魚、イカなどが多いなと思います。季節ものとしてアラ(クエ、九州場所の相撲部屋の宿舎に差し入れされることもある)とかフグが多いのも特徴でしょう。
ちなみに以前ちょっと書いた、福岡藩を舞台にした『十刻半睡事件帖』の「包丁ざむらい」という短編があります。当時は御禁制だったフグをさばいて食べて、毒にあたる武士の話が出て来ますね。幸い微量であったため回復するわけですが、物語の最後の方で、この武士は長崎御番、つまり長崎警備に行くことになり、その時に卓袱料理を覚えてくると、半睡に嬉しそうに話す場面が登場します。
長崎と言えば、少し前に長崎街道(シュガーロード)について書いたことがあります。菓子もまた食文化であり、これは先日投稿した、taketak39460607さんのnoteにある嘉祥の菓子などをはじめ、様々な逸話あるいは土地の伝承などに基づいたものも、また多いかと思われます。
ところでこの街道は、小倉から黒崎を経て長崎までを結ぶことになっています。この黒崎は筑前国福岡藩にあり、かなり繁栄した宿場町でした。尚10月に『ブラタモリ』で2回に分けて北九州を歩くようですが、豊前パートと筑前パートに分けての放送となるようですね。
『ブラタモリ』放送リスト
(NHK)
そしてそろそろ『風花帖』が、白黒騒動の核心とも言うべき藩士の締め出し、そして小倉藩からの出奔となって行きます。ものものしいいで立ちで脱藩した小倉藩士たちを見て、福岡藩の役人たちは驚き、城に使いを走らせて今後の指示を仰ぐ一方で、藩士たちは黒崎の本陣にとどめ置かれることになります。
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