やはり『花燃ゆ』に比べると、『八重の桜』の方が史実も登場するし、人情が細やかに描かれていたのは事実です。八重の兄への思い、覚馬の八重と尚之助への思い、尚之助の八重への思いなどなど、かなりきちんと描かれていたと思います。DVDだと2巻目になりますが、八重が照姫の祐筆(秘書)の候補になって、尚之助がどこか落ち着かない表情を見せたり、結局時尾が祐筆に決まったことで、逆に「ほっとしました」などと言うところを見ると、この人は本当は前から八重のことが好きで、それに気づいてほしかったのだなというのがわかりますし、八重もどこか尚之助を意識しているのも垣間窺えるのですが、今年の大河にこういう、何か心温まるような描写は残念ながら見当たりません。それどころか、心が冷えてしまうようなシーンが多いのが実情です。
また覚馬や秋月悌次郎が、京での長州に対しての懸念やあれこれ気をもむ場面とか、京都守護職で会津藩主である松平容保と、家臣たちの関係、また孝明天皇と容保の信頼関係といったものも、『花燃ゆ』には登場しません。無論その逆に、薩摩と岩倉具視の工作の場面などもこれまた登場しない。そもそも歴史上の主だった人物の登場がきわめて限られるうえに、人物の描かれ方が表面をなぞったようにしかなっていないので、それだけの深みが出ないというべきでしょう。限られた人物しか登場しない一方で、楫取素彦が1人で何役も請け負っているという、まるでキメラのような設定になっています。楫取はもう1人の主人公といえますが、この人と美和とですべてを、かなり強引に切り開いているような設定になっていますから、他の人物の存在感がきわめて薄く、それが面白みのない状態を作り出しているといえます。
楫取は明治編で、明らかに木戸孝允や大久保のお株を奪っているわけですが、一方美和も姉の寿のお株を奪っているわけで、しかもしょっちゅう楫取と2人きりになっている。そして寿が如何にも幸薄い印象になっています。実際は寿は楫取を支える妻で、群馬県令時代の功績は、寿の内助の功に負うところも大きいらしいのですが、この大河では、病気に倒れた寿は手柄は美和に持って行かれるし、しかも夫と不倫(と言っていい)をされるとあっては踏んだり蹴ったりです。前回、『花燃ゆ』が日本人のメンタリティからかけ離れていると書きましたが、少なくともその当時の日本人の考えでは、こういう展開にはならないと思います。2人の主人公の不倫と、向上欲があからさまになっている気がするのですが、 あと7回の放送はずっとこの路線なのでしょうか。
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