またも『花燃ゆ』です。今回は群馬で、美和が子供たちのために学校を作ろうとするものの、なかなか受け入れられないのに加え、萩の乱が起こったからと山口に帰ってしまいます。しかも姉の寿が病気で倒れたのに、夫の楫取も留守にしていて、寿が1人で寝込んでいるわけで、何かこの部分が不自然です。県令の家に住み込みの使用人が誰もいないのでしょうか。しかもこの時、阿久澤の妻せいがやって来て、「お手伝いさん(美和のこと)」はいないのかと訊くわけですが、何せその「お手伝いさん」は、ことあるごとに1人で山口に帰ってしまいますから-しかし、この時代「お手伝いさん」という言葉はあったのでしょうか。おまけに美和が萩に行くのがまたありえないほど速い(苦笑)。しかも萩の乱がなぜ起こったのか、その説明もなく、おまけに玉木文之進の切腹のシーンもなしです。そして美和がまたすぐ泣くし、挙句の果ては前橋に戻った時点で、義兄である楫取と外で抱き合ったりしているわけです。どうも脚本に問題ありです。
しかし、この大河では、美和の行動を咎めだてしたり、諌めたりする存在(特に男性)がいないようです。そういう点にもまた、大河らしからぬ印象を受けます。この当時、萩の乱に行くなどと言い出したら、女がそのような場所に行くのは止めろといわれるでしょう。美和がスペンサー銃を撃てるほどのスキルがあるのなら、また別かもしれませんが、普通はそういわれるでしょうね。しかも美和の場合、これが初めてではなく、かつて馬関にいる夫の久坂玄瑞に会うため、この時も義兄の伊之助(楫取)と一緒に行っている。この辺りがどうにも現代感覚で、その時代の発想とは乖離している印象を受けます。『八重の桜』では、まだしもそういう存在がいたように思われます。これは以前ちょっと触れていますが、『八重の桜』で、弟の三郎が戦死した後、八重が鉄砲を持ってそのまま家を出て行き、山川大蔵と夫の尚之助に止められる場面があります。しかし、あれがもし仮に美和だったら、止める人がいないからそのまま出て行って、方々で鉄砲を乱射しかねないかもしれません。
しかし萩の乱も中途半端だし、美和が戻ったら叔父の玉木文之進は遺髪と位牌になってしまっているし、視聴者の興味が悉く削がれている感じです。クランクアップで井上真央さんが「厳しいこともいわれた」とコメントしていたようですが、その厳しい言葉を一番受け止めなければならないのは、プロデューサーであり脚本家であり、演出担当なのですが。それから『八重の桜』の演出の末永創さんが、この『花燃ゆ』でも演出を担当されていて、主に史実絡みの回が多いようですが、それでもチーフプロデューサーが変わるとこうも変わるのかと思います。やはり指揮官を誰に委ねるかで、相当違って来てしまいますね。
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