今回は番外編というより、「続き」のような格好になります。『八重の桜』、戊辰戦争中から戦争後のDVDがレンタルされているため、会津戦争の入り口で足踏み状態です。ところで会津戦争では、飛び道具、つまり鉄砲や大砲も活躍し、八重は女性としてただ一人鉄砲隊に加わっていました。そんな八重もかつては父の狩猟について行き、撃ち落とした鳥を拾ってくるように言われて、戸惑うところもありました。鉄砲の持つもう一つの面を八重は見たわけで、父の権八は、これでもう懲りるだろうと思っていたのですが、懲りなかったのですね、八重は…。ところで会津戦争時、女性たちは多くは薙刀を構えて敵と対峙したわけですが、やはり飛び道具の前にはひとたまりもありませんでした。当時の会津では、無論そのような戦い方は潔しとされなかったでしょうが、薙刀や槍も、ゲリラ戦であればいくばくかの功を奏したかもしれません。実際、ベトナム戦争では竹槍でのゲリラ戦が行われたわけですし。機会があれば書きたいと思いますが、それを指導したのは、現地に残留した日本の軍人でした。
それにしても、戊辰戦争を丸ごとすっ飛ばして、奥の様子ばかり描いていた『花燃ゆ』ですが、群馬編でもかなり端折っているようです。結局県庁所在地をめぐる地元の反発は描かれないのでしょうか。第一、美和は最初からついて来たわけでもないのですが、どうせ楫取と再婚するのだからと、始めから一緒に行くという設定にしてしまっているようです。この辺りが投げやりなんだなあ。しかも弟が危篤だからすぐ山口に帰る、そして一旦群馬に戻るものの、今度は萩の乱が起こったからまた山口に帰る、そうそう簡単に移動できるわけでもないのに帰らせすぎですね(苦笑)。登場人物がいるべき所にいて、そこでなすべきことをするという設定ではなく、とにかく何か起こったらそっちに向かわせて、しかも史実ではありもしないことをやらせるという時空越え的展開は、もうこの大河で終わりにしてほしいものです。だからこそ、無理やりな展開があまりない、少なくとも『花燃ゆ』に比べるとかなり少ない『八重の桜』が新鮮に見えてしまうのです。
この『花燃ゆ』が終わった時点で、どの史実が描かれていないか、あるいは端折られたかをリストアップしてみようかと思っています。鹿鳴館で最終回だと、日清戦争もなし、無論その後のフグ料理の解禁も描かれないか、ナレーションのみということになりそうです。あと8回ありますが、しかしこの大河は何だったのでしょうね。幕末史でもなく志士たちの生き様でもなく、まして山口県のPRでもない。歴史にあまり関わったともいえない一般女性を引っ張り出して、あることないことやらせただけのような感じです。それと美和が、十代の頃とあまり印象が変わっていないのも何だか変ですね。明治9年の時点では、もう30代になっているはずで、もう少し年を取った印象にしてもいいはずなのですが。
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