第21回後半部分です。
瀬名は亀姫の輿入れが決定事項なのか、家康に問いただす。口ごもる家康に、なぜ話してくれなかったのかと瀬名は言い、また信康はこの縁組に、釣り合いが取れぬと反対する。その声に、厨房にいた者たちも仕事の手を止める。長篠とはどのような場所かを瀬名に尋ねる亀姫に、獣しかいない山の中だと五徳が答え、あの者(強右衛門)のように皆毛むくじゃらだなどと言い、亀姫は長篠行きを断固拒否する。
信康は尚も異を唱える。家康はまだ決まったことではない、信長が勝手に話を進めたと説明し、折を見て断ると言うが、今日この場で断るようにと信康は主張する。これを聞いていた強右衛門は不安にかられる。その夜宴席が設けられ、亀姫の酌を受ける秀吉はあからさまに喜び、これからお母上のようにお美しくなる、奥平殿が羨ましいなどと言って、家康を落ち着かない気分にさせる。
しかしここで話を切り出したのは信康で、奥平との縁談をなしにしてほしいと、舅の信長に直訴する。また家康も、わが家の事柄である、我らにお任せいただきたくと言い、信長はあっさりと、勝手に話を進めたことを詫びる。しかしその信長は、よい機会だから徳川殿にお伝えせいと秀吉に命じる。秀吉は、清須以来の盟約をこれにしておしめえとすることとしたと話す。徳川様がそうお望みだと秀吉。
今度はどうなるかと忠次が尋ねる。秀吉は声を張り上げ、この天下に生きるすべてのもんは、一人残らず織田信長様の臣下となるん、ちゅうことだわなと言う。それは家康も、信長の家臣となることを意味していた。つまり信長の庇護下に入ることであり、代わりに徳川家中のことまで、すべて信長に従うということでもあった。表情を硬くする家康と瀬名。しかも臣従しない場合は、敵とみなされることになるのである。
敵となれば今宵のうちに、五徳様もお連れしてここを引き揚げるほかねえわと秀吉は言い、家康は信長に、あまりに身勝手な取り決めと抗議する。しかし信長は勝手に決めるつもりはない、決めるのはお前だと家康に言って、手を切りたいならそうすればいい、勝頼と組んで俺を攻めたいならそうすればいいと、乗馬鞭を家臣たちの方に向ける。それを手でつかもうとする忠勝に信長は、いっそ俺の首を狙ってみてはどうかと挑発する。
挑発に乗ろうとする元忠を周囲が止め、信長は今決めよと家康に命じる。これは脅しじゃと家康、先に脅したのはお前だと信長。助けをよこさんからと言いかける家康に、俺を脅すなど許さんぞと家康は一喝する。信長は家康の方を向き。
「さあ…決めよ。さあ、さあ、どうする?家康」
家康は戸惑いつつこう言う。
「今まで…織田が徳川に何をしてくれたんじゃ。わしは桶狭間以来、この手で我が国を守ってきたんじゃ!多くの犠牲を払って」
何故今更お前の家臣にならねばならんのかと問う家康に、ならばそれでよいと信長は答え、五徳に行くぞと言う。つまり徳川は敵に回るということだった。そこへ強右衛門が現れ、長篠を救ってくれと訴える。信長は、徳川は長篠を見捨てた、武田に帰れと奥平に伝えるように言うが、武田にはもう戻ることができなかった。その時亀姫が信長の前に出て、お怒りをお静めくださいませと両手を突く。
亀姫は家康に信長と仲直りしてくれと頼む。それは彼女が長篠へ輿入れするということでもあった。瀬名も信長の前に進み出、臣下となる者を拒むのではないが、家臣一同に関わる事柄ゆえ、話し合う猶予をいただきたいと言い、ひとまずこれは脇に置き、長篠を救うことを優先してほしい、答えはその後にと懇願する。家康もそれに同意せざるを得なかった。信長は亀姫の肩に手をやり、怒ってなどいない、ほんの余興でござると答える。
信長は長篠を助けることを約束し、強右衛門は涙を流しながら、何度も礼を述べる。亀姫はその手を取ってようございましたな、奥平殿に、どうか持ちこたえるようお伝えくだされ、奥平殿の許へ参るのを楽しみにしていると告げる。毛むくじゃらでも構わないと口にする亀姫に、我が殿はそうではないと強右衛門は答え、一刻も早く伝えたいとそのまま長篠へ戻って行く。
強右衛門は武田の兵を蹴散らし、再び川を泳いで長篠城へ戻り、主君信昌に援軍が来ることを知らせ、皆から胴上げされる。するとそこに亀姫が現れ、強右衛門に抱きつく。しかし現実はそうではなく、強右衛門は武田の兵に抱きついてしまい、拷問を受けるが、そこへ勝頼が現れる。勝頼は強右衛門が忠義一筋の男であると見抜いたうえで、信昌に嘘の報告をさせることにする。
嘘を言えば我が方で召し抱えると勝頼は言い、甲州金でいっぱいの袋を見せられた強右衛門は、翌朝、長篠城の信昌や家臣たちに、勝頼に言われた通りの報告をする。背後のもやの中には、武田の鉄砲隊が銃を構えていた。失望する信昌と家臣。強右衛門は約束通り金を受け取るが、その袋を落としてしまい、金を拾っている内に亀姫のことが頭をよぎり、再度城へ向かって走り、今度は援軍が来ることを伝えるが、武田の兵が彼を連行する。
強右衛門は磔刑に処せられることになる。その頃亀姫は岡崎城で、なぜか強右衛門が1人歌っているのを見ていた。強右衛門はいまわの際に、徳川の姫君は麗しい、大事にしなされや、本当に素晴らしいと信昌に言い残す。この磔刑の姿は奥平軍の軍旗となり、岡崎城では如何に長篠を救うべきか、その指図を求められた信長が、我が策を示すと一同に宣言する。そして築山では、瀬名が1人外を見ていた。
織田軍の援助は、自分の脅しが効いたからだと満足そうな家康でしたが、その後の宴席が思わぬ駆け引きの場となります。亀姫の縁談が決定事項でないことから、信康がなかったことにと信長に訴え、信長もそれで引き下がったかに見えましたが、その一方で清須同盟が終わりとなり、家康もまた信長の臣下になると秀吉に告げられます。寝耳に水の家康は、到底受け入れることができませんでした。
しかも臣従しなければ敵とみなされると言う、実に厄介な事態となります。それでも家康は信長に臣従するつもりはなく、織田がいつ徳川を助けてくれたかとまで言い出しますが、最早家康に取っては、信長に従うか否かのどちらの選択肢しかありませんでした。臣下となるのを渋る家康に、ならばと五徳を連れて引き上げると言い、挙句の果ては家康の家臣たちに、自分の首を狙ってはどうかとまで言い出します。
すると亀姫が、仲直りしてくれと信長に頭を下げます。一見おっとりした感じの彼女ですが、自分が奥平に嫁いでしまえば、この件は収まるということは理解していました。また瀬名は臣下になるのが嫌なのではなく、家臣と話し合うための時間を持ちたいのだと夫をフォローします。普段家康を「殿」と呼んでいる瀬名が、この時だけ「旦那様」と呼んでいるのは、これが織田VS徳川でなく、あくまでも徳川家の問題であることを強調しているようにも見えます。
さらに宴席の料理のため、下女が魚をさばいていますが、家康も亀姫も、自分の身の振り方を考えるうえでは、正に俎上の魚と言えたのかも知れません。また自分は如何に振舞うべきかという点では、強右衛門にも通じるものがあります。勝頼はこの男が忠義者であることから、あのまま嘘をつき通していてくれたら、実際に召し抱えようと考えていたのかも知れず、そのため城を脱出した時も捕らえなかったと考えられます。ただ信昌に忠義を尽くす者が、勝頼にも忠義を尽くせたかどうかは不明ですが。
しかし女性の存在が目立つ回でもありました。無論今回は鳥居強右衛門が中心人物であり、長篠をどうやって救うのか、はたまた家康が信長に従うか否かがメインの回でもあるのですが、瀬名や千代、亀姫の存在感も、彼らと同じくらいの重みはあったかと思います。
あと奥平伸昌ですが、この時期までは貞昌であり、長篠の戦いの後に、信長の信を貰って改名したという見方が一般的ですが、その前に既に信昌という表記が見られたとも言われ、今回はこの説を採用したと考えられます。
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