先日、taketak39460607さんのツイートに添付された『武将ジャパン』大河コラムの、第20回の家康の病気に関する記述をご紹介しています。実はこの時中略した部分ですが、例によってと言うか武者さんらしくと言うか、このような記述となっていました。
精神的にも疲労し、激務に追われた結果、自分でも気づかないうちに体調が悪化し、甲冑をつけたまま倒れる-そんな『麒麟がくる』の光秀とどうしてここまで違うやら。
ところでこの回、どの回なのかが書かれていない(これも武者さんのいつもの癖)のですが、第39回「本願寺を叩け」でいいのでしょうか。この回は石山本願寺との対立から始まり、光秀が病気で倒れたのは、その陣中でのことでした。
しかしその様子だけが描かれるのではなく、まず軍議が行われ、そして信長が入って来て、原田直政の家来を一向宗の信者と決めつけ、最初から攻め落とす気などなかったのだろうと乱暴し、光秀がなぜ苦戦したかを進言しますが、信長は聞く耳を持ちません。どころか、今すぐ打って出よと無体なことを言い出します。
しかしその後信長は自分が鉄砲を撃つと言い出し、直垂のまま敵の目前に姿を現し、自ら兵がかわるがわる火をつけて持って来た火縄銃を撃つわけです。ついでながら、『どうする家康』で、信長が次々に弾を命中させるシーンも、これと同じで、家来が火をつけた火縄銃を持って待機していたためです-武者さんはそう思わなかったようですが。
しかしついに弾を受けてしまい、光秀が走り寄って、殿のお命、殿お一人のものではありませぬと言って信長を庇います。その後光秀は伝吾の力を借り、信長を何とか砦まで連れて戻り、打つ手を考えますと言って、信長の傷の手当てをさせます。しかるのちに、光秀は松永久秀から水を受け取って飲むのですが、その直後に倒れてしまいます。
大体こういった流れです。確かに光秀に藤田伝吾が、丹波攻めから引き続いてのお勤め、少し休まれた方がと忠告しています。これにより、かなり戦疲れしている様子は窺えます。さらにその後光秀は、打って出ろと言う信長に、皆疲れておりますると言います。これで光秀自身も疲労しているのだなというのはわかります。また光秀は左腕を負傷しており、それが気になってはいるようです。しかし負傷している割に声に張りがありますし、信長にもかなりてきぱきと説明をしたりもしています。
信長の前でのいわば空元気とも取れますが、しいて元気に振舞っているようには見えず、その信長が銃弾を受けた時に庇おうとする様子を見ても、そこまで弱っているようには見えません。尚その後倒れた光秀が京の屋敷に運び込まれて、伝吾が
「受けた傷は弱い。されど毒が入ったのか…たちまちのうちに弱ってしまわれ」
と言っています。ここでいう毒とは細菌のことでしょうが、何やら久秀が差し出した水に毒が入っていたのかと思わせるセリフです。しかしその光秀、重症かと思われた割には、目を覚まして数日ほどで回復したようです。尚この回、後の方で家康が出て来ますね。
何はともあれ、実際の録画を見た限りでは、武者さんが言う
「精神的にも疲労し、激務に追われた結果、自分でも気づかないうちに体調が悪化し、甲冑をつけたまま倒れる」
ではなく、
「合戦で負傷してろくな治療も受けられず、しかも戦に次ぐ戦で体が弱っており、陣中で傷が悪化して倒れた」
といったところでしょう。一方で家康は武田からのプレッシャーを受け続け、それが体調に響いたところはあります。
それと光秀の場合、家康のシーンのように尺が短いわけでもなく、光秀だけに焦点を当てているわけでもない、さらに光秀自身の声にも張りがあり、動きもそう鈍くないといった点などから考えると、もう少し病人らしさをアピールしてよかったかとは思います。あと家康の場合息遣いも荒く、それもまた病人らしく見せていると言っていいでしょう。
あともう1回この武者さんのコラム、正確に言えばtaketak39460607さんのツイートに添付された、スクショの記述について書きたいと思います。このtaketak39460607さんのツイートというのをはっきりさせておいた方がいいので、先日先々日の分にも書き加えておきます。
そして忠世と元忠が家康を止めたのは、病気が理由でなく、浜松にいるべきという理由であることをはっきりさせるために、先日分のに多少加筆しています。それと第20回の投稿で血判状と書いていたのを、連判状に改めています。恥ずかしながら間違えておりました。何やら後の方は加筆と訂正のお知らせとなりました。
スポンサーサイト