では『武将ジャパン』大河コラム関連の続きです。今回もtaketak39460607さんのツイートのスクショの記述に関してです。
戦国時代なのに、瀬名と亀が並んで眠って、親子愛を確認ってどうしたことでしょう。
母と娘に妄想を膨らませる、本作制作陣の嗜好が痛々しい。
どこをどう観たらこのようになるのでしょうね。
これも当該ツイにあるように、弥四郎たちが謀反を企てたので、一時的に避難しただけでしょう。亀姫が慣れない場所で眠れないなどと言っていますし。尤もその後すぐ寝入ってしまいましたが。そして彼女たちの身代わりに、榊原康政と井伊直政が別室で布団の中に潜んでいたのですね。勝手に色々妄想しているのは武者さんの方ではないでしょうか。
そしてこちらですが、
本当に自分たちが画期的なことをしていると言いたいのであれば、先行作品に一礼するくらいの謙虚さは欲しい。そんな度量を求めてはいけませんかね。
そりゃあ、先行作品や真面目な相手に対し、冷笑を繰り返すことは、ラクで気持ちがよいでしょうよ・
「このドラマを、面白くないとか視聴率低いとか言う奴は情弱バカwこのドラマは革新的、SNSと親和性が高いww深堀りできるww解像度の低い考察しかできないクズは黙ってろw」
そうやって冷たく笑い飛ばしている間は「自分は他人よりすごいんだww」というマウンティング幻想に満ちています。気持ちいい。
とはいえ、所詮は麻薬の類であり、何も成長はなく、せいぜい仲間内のエコーチェンバーで結束が強まるだけ。
結果、残されるのは逆張り冷笑が得意な人だけです。
これも当該ツイで指摘されていますが、正に特大ブーメランに見えますね。大河ではありませんが、昨年『ちむどんどん』で、これと反対のことを言っていたように思うのですが。
(ツイでは『そうやって』以下一部を引用)
そして先行作品に一礼しろだの、先行作品に冷笑しているだの、具体的に何を言いたいのでしょうね。自分が好きな作品と違うから面白くないつまらない、そう言いたいだけのように見えるのですけど。そもそもこの先行作品とは何ですか?同じ戦国大河の『麒麟がくる』ですか。主人公が違うから、描き方も当然違うと思いますけどね。少し前に、1つの作品の世界観が、同じ時代の、別の作品に反映されるとは限らないと書いたことがありますが、正にそれでしょう。
そして『麒麟がくる』関連で。
この箇所はまず「沐猴にして冠す」(見かけは立派だが、心が卑しいことの例え)とあり、その下に「あいつらってさ。サルにスーツを着せたみたいなもんだね」
とあります。
『麒麟がくる』では、明代の高啓の「尋胡隠君」が印象的に使われていました。
(中略)
『麒麟がくる』は漢詩が登場する貴重な大河です。
背伸びしたところで、『どうする家康』の語彙力や教養、知識では足元にすら及ばない。
無理に時代ものらしくしようとして、子どもが背伸びしたようなセリフになっていますが、使い方がおかしい。せめて添削するか、脚本協力者を起用して欲しいと切に願うところです。
そしてツイートでは、いくら漢籍知識をつけたところで、使いどころを間違え、他人を蔑んで『スーツを着た猿』と侮辱するようでは、教養の持ち腐れであると指摘されていますが、大いにうなずけます。
実際昨年の『鎌倉殿の13人』のコラム関連でも、武者さんの漢籍の引用は何度かおかしな点、勘違いしていないかと思われる点がありました。そういうミスをしないようになってから、漢詩を云々してほしいものです。そして何やら漢詩が登場するしないが大河の評価基準になっているようです、それも武者さんらしくはあるのですが。
しかし
「背伸びしたところで、『どうする家康』の語彙力や教養、知識では足元にすら及ばない」
これはないでしょうね。この語彙力とか教養、知識とは具体的に何ですか。それから子供が背伸びしたようなセリフとはどのセリフなのでしょうか。 しかも「淡色」と書いてしかるべきところを、やたら「ペールカラー」を連発した武者さんに、こんなこと言われてもねえ…と正直思います。
そしてその後、本場中国の時代劇では漢詩を用いないことがないほどなどと書かれていますが、それは当たり前ではないでしょうか。さらにその後に
「戦いの惨禍を詠んだ詩にメロディをつけて重ねてくるような、繊細かつ高度な演出が味わえます」
そう言えば武者さん、「高度」という表現も好きですね。好きな作品ならやたらに高度だと礼賛しまくっている感があります。
しかし上記の『麒麟がくる』関連の記述と言い、漢詩への言及と言い、言っては何ですが、推し依存のように見えてしまいます。何度も言いますが、これが個人ならまだしも、報酬を貰って記事を書く人のやることとはとても思えず。
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