先日の続きになります。
前の投稿で触れた大河関連ツイにもありましたが、昔の大河はよかったと言うのは、ひとえにその人が一番幸せだったとか、最盛期だったというのと関係があるのではないでしょうか。たとえば結婚した頃が一番幸せだった、30代の頃が一番よかったとなれば、当然その頃に観たテレビ番組や映画、聴いた音楽なども自分史上最高のものであっておかしくはないからです。
どの時代がよかったかは人それぞれです。ですからある人に取って最上の大河が、他にも当てはまるとはなりません。さらに年齢によっても好みは異なります。そして今70代の人と30代の人では、面白いと思うもの自体が異なるでしょう。ゆえに、どの時代のどの大河がいい/よくないという一般論化は難しいと思います。
特に70年代あるいは80年代頃の大河の場合、主人公は正義でありヒーローであり、主人公に敵対する存在は愚物と決めつけた描写も見られます-仮にそうでなくても、行動するうえで、自分はどうするべきかと悩むシーンがあまりないように感じられます。しかし、最近の大河の主人公はそういう形でのヒーローではなく、また敵対する存在が必ずしも愚かな存在とはなっていません。
こういう点が、昔の大河と比較すると物足りなく感じられるのかも知れませんが、何も昔と全く同じ物を作る必要もないわけです。当時の大河、私の場合ヴィンテージ大河と表記していますが、これらの作品に対して
「ヴィンテージ大河についても太平記に思うことで以前書きましたが、そのヴィンテージを今そっくり再現して、果たしてうまみを感じるかの問題でしょう」
と書いたことがありますし、今もそれは変わっていません。
また以前に書いたことがありますが、80年代頃までは特に、カツラの継ぎ目とか付け髭がはっきりわかることも珍しくありません。無論これに関しては、ハイビジョンも4Kもない時代ですから、無理からぬ話ではありますが。
それからこれは『武将ジャパン』関連ですが、武者さんが第19回のお万を「重要性が低い女」などと書いていたらしいです。徳川家康が主人公の大河に出て来る、結城秀康の生母のどこが「重要性が低い」のかよくわかりません。たとえば風呂でのシーンに対して、自分は好きではない、他の描き方もあるとでも書いたのなら、まだわからなくもありませんが。
あと武者さんの場合「大河ブランド」という表現が出て来ることがあります。しかしこれも関連ツイにありましたが、大河とはそこまで大仰なものでもなく、もっとファンがライトに楽しんでもいいでしょう。唐突ですが、何だかラグビーみたいだなと思います。ラグビーに関してはコアなファンが多く、そのため新規ファンが引いてしまうといったことを私は書いていますが、大河でもやはり似たようなものなのでしょうか。
確かに受信料で作っていて、しかも日曜の夜8時という時間帯に放送される以上、ある程度の質のものを求めるのは無理からぬ話ですが、私も何年か観ていてこのブログにも書いているうちに、そこまで気負わなくてもいいのかも知れないとは思うようになりつつあります。まあそれが私の場合、PPVでもいいのでないかという考えの、その大元になってもいるわけではありますが。
次回は民放の時代劇との関連性について書ければと思っています。
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