最近ちょっと書いていなかった『ラグビー黒書』関連です。この中尾氏のコラムでは、どう考えても、他者を誹謗しているようにしか見えない表現を使用していることは、前にも書いています。「コウベ真理教」などはその最たるものですが、こういうのもあります。
連日のカジノ通いだって、だれにも相手にされない孤独なソンシの夜な夜なのテレフォン攻撃から逃げるためだったという見方(ジョーク)だって成り立つわけです。
この「カジノ通い」ですが、南アの治安の問題からして、なかなか外出する機会がなく、一部の選手が繰り出していたという話は見聞きしたことがあります。しかしそれをはっきり伝えた記事は、残念ながら見聞きしたことがありません。そのように言われていたということ、そして平尾氏もその1人だったというのはわかっています。これは後で平尾氏自身もそれに言及したというのを、ある書物で読んだことがあります。
しかし、この書き方はないだろうなと思います。ここで「ソンシ」というのは、その少し前のページで「スモール・ブッシュ」と書いていた、当時の代表監督小藪氏のことと思われますが、表現方法が色々変わりますね。その方法のいずれもが、これは如何なものかと思われますが。
そしてブルームフォンティン(1995年大会の日本の合宿地そして3試合を戦った都市、南アの司法上の首都)ではこういうことがあったと書かれています。
「それは白井さん(当時の白井協会専務理事で強化委員長)にきいて」
「平尾が決めたことだ」
「ボクはアドヴァイスしただけです」
三日間の間で、こんな責任のなすり合いが毎日あったといいます。それは、初戦のメンバー選考の時に顕在化しました。吉田義人、田倉政憲をはずすという不可解な人選は、結局のところ責任者が曖昧なまま行われました。
吉田選手(左ウィング、1991年大会ではアイルランド戦でのトライを評価された)、田倉選手(プロップ)外しに関しては他に大友信彦氏も書いていて、こちらの方がことの経緯がわかるようになっています。無論この2名を強豪ウェールズ相手に外した理由については疑問が残るところです。その一方で、
「毎日あったといいます」
とは、無論本人が取材したわけではなく、他の誰かからの伝聞と言っていいし、実際このような会話があったのかどうかの裏付けももちろん不明です。
しかも中尾氏は、このコラムの最初の方で、この95年大会の中継局をめぐってひと悶着あったといった意味のことを書いており、しかもそちらの方では
という、というの繰り返しでお分かりのように、この話はすべて複数の民放関係者経由の伝聞の伝聞で成り立っています。
となっています。ならば、前出「毎日あったといいます」も、現地で取材した記者からの伝聞ですとでも書いておけばいいのですが、なぜかそうなっていません。
それとこのコラム、タイトルは
「どうして誰も惨敗の責任を取らなかったのか?」
となっていますが、実際のところ平尾氏の、主にキャリアに関する文章がその大部分を占めています。最終的には平尾氏がモラトリアム体質、傍観者であるといったことが、いくらか揶揄を込めて書かれており、そしてこう締めくくられています。
平尾誠二の後半生は、もう決まりました。145点の烙印、汚名をすすぐ。これしかありません。これまで、ラグビー・フットボールから受けた恩恵ーそんなものはない。個人的なフィフティ・フィフティの関係なのだから、他人にとやかく言われる筋合ではないと、この期に及んで反論するかも知れないが-を、少しずつ還元するしかありません。が、その前に、ファンに対して潔く謝罪すべきでしょう。次いで、宿題-松尾・釜石に何故勝てなかったのか―を解くことです。
95年ワールドカップでの惨敗とその責任について書くのはいいのですが、中尾氏の場合どうも枝葉にこだわるようなところがあります。
しかも
「145点の烙印、汚名をすすぐ」
などと、まるで今後の代表強化責任者就任を期待するような発言をしながら、いざ監督に就任すると、監督制度の批判者だった平尾氏が監督とは皮肉だといったことを書いたりしています。そもそも「恩恵を少しずつ還元する」「何故(同志社が)釜石に勝てなかったのかを解く」というのは、具体的にどういうことを望んでいるのでしょうか。
そして、
一番の特急戦犯のスモール・ブッシュには、今後ラグビー場で見かけたら、皆で後ろ指をさしてヒソヒソ話の種として末永く、語り継ぎたいと思います。あたかもトウィッケナムにおける前列の観客―レフェリーが反則を見逃すと立ち上がって反則のあった地点をずっと指差して、いやがらせをする―のごとく、ブラック・ユーモアの毒をたっぷり味あわせてあげたいと思います。
嫌な人ですね(苦笑)。トウィッケナムの観客の場合は、それがかの国のラグビー文化の一部として根付いているとも思われますが、日本の場合、こういう形でいわば個人攻撃をするのが、文化として根付いているか疑問です。要は中尾氏が「ファンにやってほしいこと」でしょう。
しかし、これも前の投稿に書いていますが、この当時の代表を「サイテーの指導者に率いられたサイテーの男たち」「人間の屑」呼ばわりする一方で、このようなことを書くのもどうかと思いますね。
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