では口直し?に、『八重の桜』の感想に行きたいと思います。会津で鉄砲の研究と開発に打ち込むことになった川崎尚之助と山本覚馬、そして八重の3人を軸に話が進み、覚馬は西洋式の兵学を広めるべきと主張して、藩の上層部と対立し、一度は蟄居を命じられたものの、その後砲術の指南役で取り立てられます。また尚之助も、洋学を教えることになり、象山塾で共に学んだ吉田寅次郎の刑死に涙します。一方覚馬は妻うらを娶り、子供も出来るのですが、攘夷浪士が山本家に乗り込んだ時にうらは転倒して、流産してしまいます。その後娘を授かり、覚馬は会津守護職となった藩主松平容保と共に京に向かい、洋学所を開くことになります。しかしこの京への旅が、実は苦難の始まりとなります。
この松平容保の京都守護職就任ですが、他にも候補者がいたものの、結局容保に要請が来て、引き受けざるを得なくなったというのが実情のようです。この時もし容保が引き受けていなければ、恐らく幕末の会津対薩長の対立はなかったはずです。実際藩に取っても大変な出費であり、その財政事情が後々の会津に影響を及ぼしてくることになります。また壬生浪士組、後の新選組を配下に置いたことで、会津の方では反発もあったようです。薩長、特に長州側から見れば、会津は新選組を使って京を思うままに支配していたと捉えられがちですが、会津は会津で、なかなか大変だったようです。
また会津の話の割には、薩長勢もそこそこ登場しているため、双方の事情がわかるようになっています。もちろん、薩摩のブラックなところもしっかり描かれています。『花燃ゆ』が『八重の桜』になれなかったのは、この辺も影響しているでしょう。薩摩の人物は言うに及ばず、幕臣や松平容保も出していたのであれば、もう少し深みが出て、俯瞰的な見方ができる大河になったはずなのですが。無論『八重の桜』もすべてが登場しているわけではありませんから、吉田寅次郎は出て来ても、松下村塾は出て来ません。従って高杉晋作も登場しないし、幕末物の定番キャラ、坂本龍馬もいません-それらしき人物は出て来るのですが。それこそこの時福山さんがサプライズで登場して、京で覚馬と会っていた、あるいは象山塾に潜り込んでいたなどとしてもよかったとは思いますが。特に、千葉道場を抜け出して象山塾にふらりと入ってしまったなんて設定だと面白かったかも。
閑話休題。一方国許では、八重が尚之助と一緒に鉄砲の開発にいそしみ、兄嫁のうらとも心を通わせるようになっていました。京も佐久間象山暗殺から蛤御門の変へとなだれ込んだものの、容保の守護職就任によって、とりあえずは平定され、このドラマの中でもかなり平穏な時期でした。しかし覚馬はこの時の負傷がもとで、後に失明することになります。そんな折、覚馬は八重の結婚に関して、国許へ手紙を送ります。その縁談の相手とは、ずばり尚之助でした。八重は、兄覚馬の代わりと思って付き合ってきた尚之助との縁談のことを知り、最初は断ります。
実は尚之助も、当初は断る予定でした。八重が嫌いだからなのではなく、会津で藩士待遇になっていないため、屋敷を構えることができなかったからです。しかし最終的に2人は結婚の意志を固め、山本家の離れを仮住まいとします。しかし藩士でない尚之助への風当たりは強く、婚礼の席で嫌味をいわれたりもしました。その場を取り持とうと八重の父、権八が客に酒を勧め、尚之助もそれに付き合って、2人も酔いつぶれてしまいます。八重は母と兄嫁の力を借りながらも、自分の夫を担ぎ上げて新居に向かいます。何とも型破りな花嫁なのですが、新居で兄から贈られた京紅を目にした時は、実に嬉しそうな表情を見せます。目を覚ました尚之助が、八重の唇にその紅を塗ってあげるところは微笑ましいものですが、この生活も幕末の動乱に巻き込まれ、そう長くは続きませんでした。
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