実に久々に『応天の門』です。道真と基経の出会いが描かれます。
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道真が出会ったのは藤原基経だった。吉祥丸の弟かと基経は問いかけ、道真は兄に関係あるのかと思うが、兄の日記に基経の名はなかった。病で身罷られたのは残念よと基経は言うが、その兄を殺したのは当の藤原だった。
基経は話しかける。
「余に問う 何の意ぞ碧山に棲むと
笑って答えず 心自ずから閑なり」
道真が後を引き取る。
「桃花流水杳然として去る
別に天地の人間(じんかん)に非ざる有り」
昔そなたの兄に習ったと基経は言い、道真に対し。忠臣はまだ子供と言っておったが、なかなか鋭い目をしていると言う。
忠臣と聞いた道真は、これが基経かと悟り、なぜ兄のことをと尋ねようとするも、そこへ常行が現れる。常行が基経と呼ぶのを聞き、この人物は間違いなく基経であることがわかる。
常行は車を出すため基経を呼びに来たのだが、その基経と道真の取り合わせを不思議がる。道真も車の所へ戻ったが、父是善は泥酔しており、お前はこのような所に来てはいかんと強く言う。しかし才を役立てるには力が必要だった。是善を女官たちに任せ、道真は兄の日記を見る。それには手古という名がしたためられていた。基経のことである。これが闘犬に噛まれる前日のことだった。しかし基経に関する記述はそれのみだった。
吉祥丸は基経の兄たちに仕えていたものの、その扱いはひどいものであり、元服の後見ほしさとしか見られていなかった。少し離れた場で、その吉祥丸を見ていたのが手古だった。その手古は叔父良房から、自分の養子になるように勧められる。それには心身共に健やかであらねばならぬと、良房は手古の衣装を脱がせ、裸で立たせる。自分をどう思うかとの問いに、父上とは違うと答え、兄たちを超えたいかとの問いに、兄たちに興味はないと手古は言う。
良房はそなたを稚児のようにはせぬ、衣を着ていいと手古に言い、その度胸のよさを褒めて、褒美として特別に良い物をやろうと言う。それは「藤原」だった。
手古は兄たちとも行動を共にせず、蔵に閉じこもっていた。そこへ吉祥丸が現れる。彼の兄たちから置いてきぼりにされたのだった。出世したいのなら兄たちより自分に媚びろと言い。何ができるかと言われた吉祥丸は、父が学者なので手習いをしている、ただし学者になるだけの才はないと答える。ならばそれでよい、私は賢いから父に捨てられるのだと手古。そして吉祥丸に詩を教えろと言う。その詩こそ、道真との会話に登場したあの詩だった。
その詩の半分ほどを吟じたところで、国経と遠経がやってくる。詩を習っていたと言う手古に、格下から何を習うのだと兄たちは嘲笑うが、兄上たちこそ学を身に着けるべきと手古は言い、それが兄たちには面白くなかった。ともあれ、彼らは吉祥丸を連れ戻しに来たわけで、詩の残りの半分はまた教えてくれと手古は言う。吉祥丸もそれを約束するが、二度と現れることはなかった。
手古は思っていた。しばらく後病で倒れたと聞いたが、あるいは兄共が原因であろう。かわいそうなことを。
時代は戻る。基経は屋敷に戻り、そこに控えていた島田忠臣に、「あれ」は見つかったかと尋ねる。忠臣の返事だと、まだ見つかっていないようだった。基経は、異国のものは目立つ、目立つのはあまり好ましくないと言い、忠臣に手駒は好きに使うように言う。
基経はまた、菅家の道真に会ったと言う。そして詩の後半の部分を吟じ、そういう歌だったのだなと言う。忠臣は、それが李白の『山中問答』であることを理解していた。そして自分は休む、そなたも下がれと言うが、忠臣は何か思うものがあるようだった。
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基経と亡き兄との関係、そして養子である基経自身の境遇などが明らかになります。道真の兄、吉祥丸をいじめていたのは、基経の兄である国常と遠経で、手古と呼ばれていた基経自身は、この兄たちからは一線を引いていたようです。
それが原因なのでしょう。基経はその後、島田忠臣と何者かを探しているようです。しかも「異国の者」と言っています。異国と言えば、かつて道真がその正体を暴いた百鬼夜行を思い出しますが、どうやらそれと関係あるようで、手駒を好きに使えと言う辺り、その者を処分しようと考えてもいるようです。
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