第12回前半部分です。
武田信玄の侵攻により、駿府は落ちた。そして徳川も今川攻めに入っており、かつて栄華を誇った今川は終わろうとしていた。しかも氏真が陣触れを出したにもかかわらず、駆け付けた家臣は岡部元信のみだった。他の家臣たちは皆武田に寝返ったのである。
やりきれない思いで喚く氏真に、元信は義元から賜った脇差を差し出し、信玄が来る前に腹をお召しなされと言う。介錯に回る元信。氏真は頸動脈を切ろうとして、父義元から将としての才がないと言われたことを思い出す。その頃武田信玄は、うじ真の居所を探させていたが、行方は知れなかった。見つけ出して首を刎ねよと信玄は山県昌景に命じる。
そして家康たちも、引間城を拠点に遠江攻めを行っていた。しかし家康は心ここにあらずといった感じだった。家臣たちから声を掛けられて我に返った家康は、氏真がどこに逃げたのかと思っていたと答える。石川数正は、相模の北条が武田のこの軍事行動に怒っていると言う。氏真の正室は北条の姫であり、北条領に逃げ込めばどうすることもできなかった。しかし酒井忠次は、落ち武者狩りに遭っている可能性を示唆する。
そこへ服部半蔵が現れる。一同は既に氏真の居所を突き止めたと思い、腹が減っていると言う半蔵に握り飯を食べさせる。家康や鳥居元忠に氏真はと尋られた半蔵は、悪びれることなくこれからだと答え、一同の冷ややかな視線が彼に向けられる。半蔵は伊賀者たちの分もと、竹皮に包んだ握り飯を持ち去ろうとして、家臣たちに急き立てられる。その頃氏真は山中をさまよっていた。
その氏真を、正室の糸が追っていた。氏真はつぶやく。
「あの足手まといが」
14年前、氏真は父の前で当時の元信とたんぽ槍での勝負に勝つ。才がないと言う元信に、諦めずコツコツやれば必ず上達すると忠告する氏真。
氏真は関口氏純の娘瀬名に思いを抱いていた。しかし武田、北条との同盟により、氏真の正室は北条の姫糸と決まる。糸は子供の頃のケガがもとで右足が悪く、輿入れが遅れていた。氏真は妻を迎えたにもかかわらず、夜も学問に身を入れ、糸に注意される。そして早朝になると、一人で武芸に励む有様だった。
家康たちは、次は懸川(掛川)城を取る予定だった。ここを取れば遠江をほぼ手中に収めたことになる。しかし半蔵がやって来て、氏真がその懸川城にいると言う。さらにその時信玄から速やかに氏真を討ち取り、首を届けるように、さもなくば武田がやるという内容の手紙が来る。家康は一念発起し、元忠と平岩親吉を連れて懸川城攻めへ向かう。
氏真は懸川城の守りを固めつつあった。しかし糸は、北条の父と兄が自分たちを受け入れると言ってくれたのに、なぜ北条に身を寄せないのかと言う。逃げるなどありえぬと氏真。そして元忠と親吉は家康の命令を仰ごうとする。しかし家康は金陀美具足を見て、かつて義元が自分と氏真を末永く支えてくれと言ったことを思い出していた。
元忠はそういう家康の心中を察したのか、今まで氏真が自分たちにどのような仕打ちをしたのか、思い出してくだされと言う。大高城に援軍を送らなかったこと、駿府の三河衆を殺したこと、瀬名や子供たちまでもが危険にさらされたことなどを元忠は延べ、家康は意を決したように、氏真は憎き敵じゃと口にする。そして兵たちに懸川城は10日で落とす、今川氏真の首級を挙げよと命じる。
ところが窮地に陥ってからの氏真は意外に強かった。4か月が経ち、季節が夏になっても徳川勢は苦戦を強いられる。そして今川方は、総大将たる氏真自らが前線に立ち、相手に矢を放った。家康の方もこれといった打開策はなく、暑さも加わり、士気は落ちかけていた。家臣たちが軍議の席を立った後、家康は一人問いかけるようにつぶやく。
「なぜそこまで戦う…氏真…」
氏真もかつて、元信がわざと自分に負けていたこと、しかしそれは相手への侮辱だと父義元に叱られたことを思い出していた。そして山中の、いつも武芸を稽古している場で刀を振り回している氏真は、いつしか夜の館の庭で刀を振り回していた。そしてそこに家康の姿を見たような気がした氏真は、刀を振り回すが、無論そこには誰もいなかった。
引間城を手に入れた家康は、遠江を攻めます。一方で武田信玄は駿府に侵攻し、氏真の生死がわからなくなります。家康が軍議の席で1人ぼうっとしていたのは、恐らく氏真の生死、それも首を取ろうと言うものではなく、かつては兄事していた氏真への思いが、多分にあったものと思われます。
しかし武田との約束の手前、家臣たちの手前、家康は氏真の首を取るべく懸川城へ向かいます。この情報をもたらしたのは服部半蔵でしたが、最早一仕事して戻って来たかと思われた半蔵が、まだこれからでござると言った時は、流石に家康以下家臣たちが
「役に立たんやつだ」
と言った目つきになったのには笑います。
懸川城攻めは家康自身が決断したものでしたが、ここで今川勢の意外な強さに苦しめられることになります。氏真も駿府を追い出され、もう失うものはないと思ったようです。しかし氏真の正室の糸(早川殿)は、北条の実家に身を寄せるように夫に勧めます。
しかし氏真は、かつて家康、当時の元康は大高城を任されたのに、自分には桶狭間の戦いで何も命じられなかったこと、父義元から将としての才がないと言われたこと、そして父の前の勝負で、当時の元信がわざと負けたことなどを忘れられずにいたようです。そして意外と言っては何ですが、この人は努力の人でもあり、それが評価されないことを歯がゆくも思っていたのでしょう。
そのせいか、糸の忠告も聞かず、家康と全面対決に出ようとします。逃げるなどありえぬと言う氏真の脳裏には、家康に対する様々な思いが、そして家康の家臣たちの頭には、氏真が三河の者たちに何をしたのかに対する思いが、それぞれ渦巻いていたようです。
ところでこの前の回で、忠次に家康が「東三河の旗頭」と言っていますが、あれは吉田城攻めによる殊勲ですね。そしてこれにより、今川氏の三河支配が終わったとされています。
スポンサーサイト