先日の続きです。
先日同様、引用部分は少なめにしています。
それにしたって道端でひょっこり……って、なんなんですか?
「信玄はきちんと護衛を付けていた!」というのでしたら、家康サイドのセキュリティがあまりに脆弱だ。
そして『麒麟がくる』の道三だったら、家康も信玄も信長も氏真も毒殺三昧でしょう、戦国大河で求められるのは謀略だなどと書いていますが、この大河は上ノ郷城攻めでも瀬名奪還でも、謀略が出て来ているのですが。そして
「謀略がない戦国大河など意味がない。真面目に作り直して、毒殺謀殺しまくるようにしてください」
だそうです。
真面目に作り直してと要請するのではなく、武者さんが「真面目に観直す」べきだと思います。
と、そういう冗談はさておき、戦国時代って、山道を歩くだけでも命懸けなんですよ。
『麒麟がくる』では道を歩いているだけの光秀が、危険な目に遭う場面が相当ありました。
なのに今年は、遠足に来た小学五年生みたいなノリ。
ものを拾ったり採取して食べるにせよ、有毒か無毒か、その見極めは大事です。そういう危険性を何も考慮してませんよね。
「戦国時代って、山道を歩くだけでも命懸けなんですよ」
とありますが、そのために徳川は兵を連れて来ていますよね。酒井忠次が彼らに気づかれないように合図を送っていますし。それと家康が探しているのは、その辺りに落ちている栗なのですが、これも有毒か無毒か見極めろと言うのでしょうか。しかもそれ、ここで食べるのではなく、瀬名に持って帰ろうとしているのですよね。
信玄が「ズべべべべべ……」ってお茶を飲むシーンが辛すぎました。
阿部寛さんを使ってまで、なぜ、あんな汚らしい茶の飲み方をさせるのか。
『麒麟がくる』の茶道の場面では、出演者の皆さんが相当練習したようで、今井宗久役の陣内孝則さんも苦労したことを語られていました。
あるいは光秀が背筋を伸ばして茶を飲んでいた美しさも印象的でした。
外で如何にもカジュアルな雰囲気のなかで茶を飲んでいる以上、それもありではないかと思います。茶室で飲んでいるのではないのですから。
そして
「当時の茶は、経済的にも、禅宗的にも重要です」
だの、
「『鎌倉殿の13人』では、茶の導入が丁寧に描かれていたのに、今回のような雑な扱いでは、今後の本作では全く期待できませんね」
と、またも鎌倉殿との比較。茶の導入と、こういう己の身分を隠して外で茶を啜るのと、どのような関係があるのでしょうか。思いつきで書いているのかなと思う所以です。
で、茶についてあれこれ書かれていますが、ドラマと直接関係ないのでここでは省きます。
それよりとにかく見ていて頭を抱えたのは、茶碗を片手で持っていることでした。
抹茶用の茶碗は大きいから、両手を添えて飲みます。
それなのにあの信玄はどうしたことか。やはりバーベキューでビールジョッキを持つおじさんのように描きたいと思ったのですかね?
本当にどこが時代劇なのでしょう。
武者さん、また頭を抱えているようです。これやはり何かテンプレでもあるのかと思ってしまいます。すぐおじさんに結び付けるのも、武者さんらしいですね。
しかし片手で茶碗を持つのは他の大河でも見た覚えがありますし、それにあの信玄のような巨漢なら特に、片手持ちもうなずけます。逆に作法通りに両手で茶碗を持っている家康たちがそれを見て、こいつただならぬ者だと気づいたようにも取れます。
そして駿府の武田軍。
・統制が取れていない
→サッカーを応援するフーリガンのように怒鳴り散らす軍勢ってチンピラ集団ですか?
「怒鳴り散らす軍勢」て何ですか?駿府で暴れ回っている兵のことですか?あの当時は乱取りなどもあったから、あのような状況になるのも当然でしょう。逆に怒鳴り散らすことがない戦場など、この当時あるのでしょうか。
・目立ちすぎる信玄
→「俺、信玄! ここにいます!」と堂々と立つということは、狙ってくれとアピールしているようなものです
あの周辺には赤備えの兵がいますし、駿府があらかた落ちたから様子を見に来たのでは?
・甲冑はいつ装着するか?
→甲冑は重い。ゆえに移動する間はつけておらず、戦う前につけます。あんな意味なく高いところに甲冑をつけて立って、何をしたいんですか?
ほんと『47 RONIN』の方がよっぽど本格的時代劇に思えてきましたよ。
戦場では甲冑を着けますよね?あの時の駿府は武田に取って戦場ではないのですか?
それから『47 RONIN』が面白いのなら、大河など観ずにそちらの方を観ていた方がいいのではないのですか?
雪が降っていて寒いはずなのに、開けっぱなしの部屋。
同じく寒いはずなのに、夏場と変わらないペールカラーの服ではしゃいでいる瀬名と田鶴。
雪が降っているのに、太陽光が強すぎて、まるで初夏のように見える駿府の街中。
最低限の季節感すら出さないって、一体どういうことですか?
あの当時廊下には戸がないはずです。確かに寒いですが、それが普通だったようですね。
それとペールカラーて…こういう言葉を使いたがるのが武者さんらしくはあります。ただ今までの大河でも、夏と冬とで同じような色調、あるいは同じ着物を着ている例はかなりあったと言うか、寧ろそちらの方が多いでしょう。『真田丸』のきりも、同じ着物を何年も着ていたかと思いますが。
それと雪が降るシーンは空も曇っています。積雪の白さで明るく見えているとは思いますが。それに季節感は「椿」で十分表現されていないでしょうか。
あと瀬名の着物が、岡崎では恐らく麻を着ていますが、駿府では絹ですね。寧ろこの辺りの違いにこそ、言及してほしいものです。
田鶴たちは、降伏するように告げてきた者たちを本気で撃ちました。
(中略)
当時だって最低限のルールはあり、まっとうな大名家は使者殺しを禁じています。
これ寧ろ威嚇射撃ではないでしょうか。退却した元忠に対して、それ以上銃は向けていません。
でこの後に
「軍事のことを真面目に考え、あえてそうしたのなら、それに至る背景や説明が必要ではありませんか。
結局、ノリだけでそう描かれてるとしか思えず、苦しくなってくるのです」
軍事のことを真面目に考えたから、相手を殺さなかったのではないのですか。そして頭を抱える、苦しくなる、そしてこの前は、脳みそが溶けかけていた。ならばますます、この大河は観ない方がいいでしょう。
このドラマと並行して華流時代劇を見ていると、色彩感覚が目に染みるほど美しく思えます。
伝統を踏まえつつ、現代的にアレンジしているのです。
「ドラマと並行して」比較するために観ているというのがわかりますね。
そして昨年もよかったと言い、それなのに今年は…という例のパターンです。
女性の衣装がペールカラーだらけだし、武田の赤備えはうっすらと汚らしいし。
信玄のふさふさも、穴山梅雪の頭巾も、不潔に見えてしまいます。
信玄の衣装が特におかしい。
肉襦袢のようなものを衣装の下に入れているのが、なんとなくわかってしまうと言いますか。どうして衣装すらまともに作れませんか?
また「ペールカラー」(苦笑)
「淡色」くらい書けないものでしょうかね。
武田の赤備えが汚い、信玄のふさふさ(笑、諏訪法性兜のヤクの毛ですね)、穴山信君(ドラマでは梅雪でなく信君)の頭巾が不潔。こういうのはすべて武者さんの主観だと思いますが、今までこれでやって来ているからか、少しも改まらないどころか、エスカレートしまくりです。あと肉襦袢のようなものではなく、下の着物が地厚なせいでそう見えているのでは?
このドラマは画面写真を見ているだけで気分が落ち込みます。
なぜか?
日本の伝統色彩色パレットを無視しているように思えるからです。
「日本の伝統色彩色パレットを無視」
どのように「無視」しているのでしょうか。瀬名やお田鶴の着物の色などは、日本の伝統色の薄紅色や淡黄色ではないのでしょうか。
それにこんなことで気分が落ち込むなら、ますますもって観ない方がいいですよ。
あれが悪い、これが嫌だ、頭を抱えたくなる、苦しい、気分が落ちこむ。
毎度、このパターンのような気がします。 無論共感はしませんが。
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