もう止めようかなと思いましたが、今回まで一応やっておきます。ただ前回もいくらか端折ったものの、結局6まで行くことになったことので、今回は引用部分を少なめにしようと考えています。
で、また例によって滑り気味な印象があるおじさん構文あらすじ。しかしこれを毎週のように持ってくるということは、武者さんこの手のおじさん構文好きなのかも知れませんね。少なくとも親和性は高いのかも。ところでOPでも「瀬名」としか出て来ないのに、武者さんは相変わらず「築山殿」と書いていますね。この人の目にはそう見えているのでしょうね。
一応URLだけ置いておきます。
『どうする家康』感想あらすじレビュー第11回「信玄との密約」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/ieyasu/2023/03/20/173921
今週も、何も心に響かないテーマ曲から。
大河ドラマのオープニングって、それなりの見どころがあるということを思い出したんですよ。
何も褒めるところがなかった作品、2015年大河の『花燃ゆ』ですら、オープニングだけはここ10年でもトップクラスの要素がありました。
今年のOP(暁の空)私好きですけどね。大河らしいなと思います。ピアノソロもいいし。
あと『花燃ゆ』、個人的にあまり馴染めず、主人公サイドはどうにかならないかと思いましたが、男性パートで面白いと思われる部分はありました。武者さんが褒めたくなかったのは、長州大河だからでしょうね。無論あのOPもよかったです-秋以降、雷のSEが入るようになったのはちょっと疑問でしたが。
『鎌倉殿の13人』では、官位による格式が描写されていて、プロットにうまく練り込まれていました。
ああいう描き方をしたからこそ、官位が高い北条政子が実質的に将軍であったことが理解できる。
同じく叙任をないがしろにする描写にしても、本作は『麒麟がくる』の織田信長と大違い。
足利義輝が官位をあげると言い出したら、サッサと小走りに去って行きましたが、ああいう描写になったからこそ、型破りな信長の性格が上手に表現されていました。
しかし本作の場合、所作指導のせいでみんな動きがラフなため、全員だらしなく見えて終わっています。
動きがラフとのことですが、実際宮中でもなく将軍の御所でもなく、岡崎城で家康が家臣と話しているシーンだからそれは当然でしょう。
それと
「官位による格式」
だの、
「叙任をないがしろにする」
だの、このシーンと全く関係ないのですけど。
まず政子が実質的に将軍だったのと(あの従三位のシーンのことでしょうか)、この時点でまだ官位を貰っておらず、寧ろ貰うことよりそれにかかる費用と、源氏の血を引いているかどうかを気にするシーンとどう関係があるのでしょうか。
無論麒麟の信長のように、叙任をないがしろにしてもいません。本人にその気はなかったけれど、家臣たちから勧められて、不承不承その気になってはいます。それを考えると、何だか妙な比較の仕方ですね。元々このコラム、比較対象がおかしいとは前にも書いていますが、やはりと言うか思いつきで書いてしまったのでしょうか。
「冬に咲くのは椿だけ」って、何が言いたいんだ?
「厳寒三友」という言葉を知りませんか。
松竹梅のことで、冬でも枯れない、あるいは咲く植物を高潔な精神性に重ねているのです。
田鶴が椿が好きだと描くにせよ、なぜ余計な会話を入れてしまったのか。
(中略)
椿を武士が嫌ったという話は俗説ですが、ともかく梅を忘れたような会話には、色々と嫌になってきます。
やはり本作は、日本の歴史ドラマを描く上で必須となる東洋史教養が抜けているんですね。
武者さんご存知ないのでしょうか。梅も確かに冬に咲く花ではありますが、日本では室町時代中期から椿が工芸品の意匠に使われるようになっていますし、その後茶の湯が浸透するにつれて、茶花として欠かせない存在となって行きます。
そのようないわれがある以上、将軍家と共に室町文化の担い手とも言える今川家に縁のあるお田鶴が、椿をほめてもそう不思議ではないでしょう。
また『古事記』では椿が霊木として描かれてもいます。
それと
「色々と嫌になってきます」
色々嫌なものがあります、とでも書きたいのでしょうか。あと東洋史「的」教養でしょうね。それはともかく、東洋史云々より『麒麟がくる』でも描かれていた室町文化、それも足利義政の東山文化から後の文化と椿の関係について、もう少し触れられないものでしょうか。
しかしこの「厳寒三友」、武者さん昨年のこのコラムで
「松竹梅です。今では酒か、弁当の等級のように思えますが、由来は風流です」
などと書いていましたね。
瀬名が好きなものを持ち帰ると言い出す家康。
本作は『鎌倉殿の13人』をうっすらなぞったような描写が多く感じるのですが、今回は義時の「おなごはきのこが好き」を踏襲していませんか?
『鎌倉殿の13人』だけでもないのでしょう。
田鶴のことを「女城主」と喧伝するあたりも、『おんな城主 直虎』を連想させたい気がしてなりません。
ならばなぜ、女戦国大名として知られる寿桂尼を出さないのか。
まずここでは築山殿ではなく「瀬名」となっていますね。
家康は一人岡崎城に戻った後、瀬名がミカンが好きだと言ったことを口にしていますね。今回もそれの延長線上にあるものでしょうし、第一義時のようにごっそり持ち帰るようにも見えないし、何個か拾えればいいと思っていたのでしょう。
それと「女城主」はこのお田鶴だけでなく、おつやの方にも立花誾千代にも当てはまると、以前『おんな城主 直虎』のガイドブックにありました。「女城主」だから直虎をパクったと、多分本人は言いたくてたまらないのかも知れませんが、こいう粗探し的なことやめたらいいのにと思います。尤も武者さんがそういう人であれば、こういうコラムにはなっていないとは思いますが。
あと寿桂尼にやけにこだわっているようですが、わざとこう書いているのならともかく、ここまでこのドラマを観て来て、なぜ彼女が登場しないかが理解できないのなら、連続ドラマ(含朝ドラ)を観るのはやめた方がいいと思います。
それと立花誾千代ですが、地元柳川市では、この人と夫宗茂を大河の主人公に推していますね。
本作は、瀬名が東洋医学に詳しいという設定ですが、ハーブやサプリが好きな女性でもイメージしていませんか?
東洋医学は政治と関わりが深い。
これですが、この回を観直しても瀬名が東洋医学に詳しいという描写など出て来ません。駒とごっちゃになっていないでしょうか?
飲んべえ殿こと本多忠真が、飲み過ぎで体調が悪いと聞いた家康が、
「瀬名によい薬を聞いてみよう。薬草に凝っておってな」
とだけ言っています。そして信玄が野ブドウが効くと言っているのですが、実際この成分は焼酎漬けにして飲むと、肝臓病に効果があることが証明されています。
田鶴のキンキン声は演出上の狙いでしょうか。
田鶴だけでなく、家康以下、全員無茶苦茶ですので、何かと台無しです。
すぐに怒鳴るばかりか、極端に情感に訴えるネトっとした発声にする。
お田鶴はいくらか高めの声ですが、聞いていて気になるほどのキンキン声ではありません。そして
「家康以下、全員無茶苦茶ですので、何かと台無しです」
何を言いたいのでしょうね。全員何が無茶苦茶で、何が台無しになるのですか?
あとすぐに怒鳴るのは誰で、情感に訴える声を出すのは誰ですか?その辺がすべて省かれていて、わけのわからない文章になっているのですが。
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