第5回前半部分です。
於大は今の夫久松長家と共に、子供たちを岡崎に連れて来ていた。つまり元康の異父弟妹たちである。大きなお城だとはしゃぐ子供たちは、兄に挨拶をする。兄上は父上より偉いのかと訊かれ、長家はそうじゃな、元康殿にお仕えするのだと言う。於大は思う存分今川領を切り取りなされとはっぱをかけ、長家もやる気満々だった。
まず攻めるべきは鵜殿長照の上ノ郷城からと、於大はすっかりそのつもりで、信長様もお喜びになると言う。しかし元康は瀬名や子供たちが気になっていた。妻子などまた持てると於大。元康はどうすべきか迷っていたが、家臣の誰ひとりとして妙案を出せずにいた。鳥居忠吉はそれを嘆くが、息子元忠はなれば父上がと促す。
隠居の身を頼るなと忠吉。本多忠次は氏真が談判に応じず手の打ちようがないと言い、忠勝は駿府に攻め入って力ずくで助ける案を出すが、そのためには今川方の武将たちの城を攻め落とす必要があり、それは瀬名の身が危険が及ぶことを意味していた。しかも戦を始めるには田植え前でなければならなかった。自分のわがままに付き合わせてすまぬと元康。しかし平岩親吉は、皆思いは殿と同じと言う。
すると大久保忠世が何かを思いついたようだった。ひとり、人が考えぬような気策を思いつくやつがいて、かつて盗賊をだまし討ちにして一網打尽にしたたことがあると言う。その名を本多正信と言った。しかし家臣たちは色めき立ち、あれはなりませぬ、言語道断などと言う。忠真や平八郎忠勝の縁者でもなさそうで、彼らも正信にいい印象を持っていなかった。しかも大高の兵糧入れの際には骨折で参戦しなかったが、それは嘘だった。
今は役目を解かれ、鶏の世話をしているその正信を忠世が呼びに行く。正信は元康の前であろうがかしこまる様子もなく、鶏臭いと言われ、忠吉にはひとの言葉を忘れたかと言われる始末だった。正信がお助けできると言っても、皆ほらを吹き始めたと本気にせず、元手の銭が多く要ると言うと、本性を現したと言われ、しかも何をするのかは、元康と2人きりでないと申し上げられないとまで言い始める。
正信は平然と
「今川に通じておられるお方がおられぬとも限らん!」
と言い放ち、ここにおられるは殿の信用厚き面々と言われても、その信用厚き家臣に先代も先々代も裏切られたとまで言う。なおも正信を中傷する家臣たちだが、正信は素知らぬ顔でこううそぶく。
「皆様方は何の策も思いつかぬゆえ、某が呼ばれたのでござろう」
己は策がないくせに、策を考えたる者を、騙りじゃうゆすりじゃとあ~みっともないと、節に乗せて歌うように話す正信。しかももし自分が銭を持ち逃げしても、それが何だ、それだけのことだと開き直るように言う一方で、その銭でお方様とお子様方を、取り返して参るやもしれませんと、元康の方を向いて話す。元康はついに家臣たちを下がらせ、正信の話を聞く。正信は「盗みまする」と話し始める。
服部の一党を使って瀬名と子供たちを盗み出すと言うのだが、彼らは銭でしか動かなかった。しかし忠次によれば、服部党はもういなかった。祖父清康が抱えていたのは事実だが、しかしその清康と父広忠が家臣に暗殺されたため、服部党を束ねる半三は責めを負って役目を解かれ、既に亡くなっていた。息子がその跡を継ぐも今や百姓同然で、配下の伊賀者たちも散り散りになったと数正。
イカサマ師にまんまとぶったくられたのではないかと数正は言うが、正信はその息子である半蔵を訪ね、伊賀者を集めてくれと頼むが、半蔵は武士ゆえ忍び働きはやらぬ、忍びは義も忠もねえ、銭のためなら何でもやる卑しき連中じゃと断る。これで手柄を立てれば、武士としての誉も得られると正信は言うが、あばら家で貧しい生活をしているにもかかわらず、武士である誇りを曲げたくない半蔵はその気にならず、正信は仕方なく帰りかけてわざと銭を落とす。
しかも正信はなおも銭をまき散らし、仕方なく銭を拾って渡した半蔵の懐に、頼んだぞとその銭を逆に押し込んでしまう。そして正信は押しの一手で半蔵に忍び働きを認めさせ、その半蔵は球を炭入れの中の穴に転がして反響版にぶつける。それがきっかけで穴熊という伊賀者が遠吠えを始め、それを合図に他の者たちも集まってくる。服部党28名が揃った。
正信は元康に向かって彼らの腕は衰えていない、お方様を救い出すくらいわけはないと断言する。しかも正信は夜陰に紛れて駿河から舟にお乗せすればこちらのもの、水野殿から師崎辺りの港をお借りしてお迎えすればよろしいかと言い、壺を持って来て中の物を勝手に食べ始める。半蔵殿頼んだぞと正信、しかし数正は壺を取り上げ、そなたも行けと命じる。某は忍びではないと断る正信だが、忠次はお方様とお子様方のお命が懸っている、しくじりは許されぬと言い、元康からもそうせいと言われてしまう。
その頃駿府では鵜殿長照立ち合いのもと、氏真がたんぽ槍を使って槍の稽古をしていた。長照の子、氏次と氏長も、氏真の前で稽古を行う。
於大は長家と子供たちを岡崎に連れて来て、こちらも早くことを起こすようにと元康にはっぱをかけます。駿府に残して囚われの身となっている瀬名、そして子供たちを救うための策が講じられますが、家臣たちもこれはと言った策を出せず、ついに皆がよく思っていない、本多正信なる人物が連れてこられます。
正信はいささか人を食ったところがあり、策を出すにも元康と2人きりで、誰が今川に通じているかわからないと言ってみたり、正信を悪く言う彼らに、皆様は何の策も思いつかぬゆえ自分が呼ばれたと豪語したり、勝手に上座に座って城の食物を食べたり、何とも戦国時代らしい人物であるとも言えます。
正信は忍びである服部党を使うことにします。しかし今やその頭領である半蔵は百姓同然であり、なのに武士の誇りがあるから、金目当ての忍びの働きはしないなどと言い出します。しかしそこは正信。わざと銭を落として拾わせ、銭がないと困るだろうと強制的に相手に渡してしまい、半蔵も抵抗できないと思ったか、配下の者を呼び集めます。
しかし何と言うか、随分変わった招集の仕方のようです。無論忍びの間ではあれが普通なのでしょう。やがて服部党28人が集まり、正信は彼らの腕は衰えていないと元康に言いますが、さてどうでしょうか。
一方駿府では、氏真が戦に備えて槍の稽古に余念がありません。そして鵜殿長照、忠勝が瀬名を救うための強行突破を提案した時、名前が挙がった今川の武将の1人です。そして於大も、この人物の上ノ郷城を攻めるように言っていますね。松平に取っての鵜殿がどいういう存在であったか見当がつきます。
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