第3回前半部分です。
元康の岡崎入りを聞いた氏真は手紙を送る。自分は今川を立て直して父の仇を討つから、そなたは岡崎にとどまり、三河から織田勢を打ち払えという内容に元康は喜び、氏真の側近となる日を夢見る。しかしそれは、元康軍だけで三河を平定せよということであり、それをやらねば駿府へは戻れなかった。するとまだ傷の癒えない鳥居忠吉が、とある洞窟へ元康と他の家臣を連れて行く。
そこには夥しい銭があった。元康が城主となった時のために、勘定方である元吉が銭をくすね、貯め込んでいたのである。おまけに武具も揃っており、戦ができると家臣たちは喜んで、忠吉も参加して海老すくいを踊り出す。一方で織田は今川への攻勢を強めており、元康たちは刈谷城を攻めることになる。そこには母於大の兄の水野信元がいた。
信元は博打好きで、どちらに張るかを間違えるやつは生き残れん、あのバカのようになと言う。それは元康のことだった。一方元康の方では、本多平八郎忠勝が、刈谷城を攻め落とせると申すなら、先駆けを任せると言われる。あれは城でござったか、てっきり犬小屋かとと、相変わらず減らず口を叩く忠勝。そして元康に、信元は母君の兄だが、首を取って構わぬかと平気で尋ねる。忠真の怒声が飛ぶが、生き別れた母君を慮っておると忠勝。
16年前。母の於大は実家の水野が織田に寝返ったため、離縁を余儀なくされていた。その後も菓子や着物が、自分を思う手紙と共に添えられて来たと元康は回顧するが、しかし信元は嫌っていた。そして戦支度が始まり、多くの民が兵として駆け付ける中、元康は瀬名に文をしたためる。たやすい務めじゃと書かれたその文には、りんどうの押し花が添えられていた。
瀬名の父、関口氏純は文を見て何か思うところがあるようだった。しかし瀬名はその直後に産気づく。そして7月下旬、松平軍は刈谷城を攻め、先駆けの忠勝が大奮戦する。存外もろいかも知れませぬなと数正は、しかし城中の信元は言う。
「つくづく博打の才のないやつだ」
さらに戦っている相手は俺でなく、俺の後ろにいるお方だ、背中に気を付けろよ甥っ子と叫ぶ。
陣中の元康に知らせが届く。背後から織田の軍勢と思われる軍が迫っていた。元康は即刻撤退するように命じ、またこの戦いで行方不明や戦死者が80名あまり出ていて、戦場には、死者の武具を引きはがして売ろうとする者たちが来ていた。本多忠勝の名もあり、家臣の夏目広次は耳を疑う。しかし忠勝は気を失っていただけで、面頬をはがされようとした時に意識を取り戻す。
元康は信長に怒りを覚える。その信長は鉄砲の試し撃ちをしながら、狩りで肝心な役目は何と心得ると信元に尋ねる。獲物を追い込む役目であると信元。信長は信元の方に鉄砲を向け、弾を撃ちながらこう言う。
「しかと追い込め、兎を俺の目の前に」
慌てふためいたように、必ずと答える信元。
風に風鈴が揺れるある夜。蚊帳の中で寝ていた元康は、知らせを受けて目を覚ます。信長の手にかかったはずの義元が来ていたのである。桶狭間のことを口にした元康に、お主までだまされて何とすると義元。信長如きに討ち取られるわけがないと義元は言い、駿府へ帰ろうと促す。いつの間にか元康は駿府にいて、瀬名そして竹千代と会い、2人を抱きしめる。
しかしそれは夢であった。一方駿府では。生まれたばかりの娘亀姫を抱いた瀬名に、女たちがおくるみやおむつを差し出す。早うお殿様にもお見せしたいですねと言われ、瀬名は彼女たちもきれいな衣で夫を迎えるように、端切れを渡そうとする。私たちみたいな三河の者にと言う彼女たちに、私も三河者の妻と言う瀬名。
同じ頃氏純は先軍を氏真に求めるが、氏真はそれどころではなく、助けは必ず送る、それまでこらえよと元康に伝えるように命じる。そして我が元にはそなたの妻子と、家来たちがいることを忘れるなと付け加える。
岡崎では今川の助けがくるのかどうか、家臣たちは半信半疑になっていた。その時、東条城から吉良義昭が援軍に来るという知らせが入る。吉良は今川方であり、今川を全面的に信頼する一方で、松平と連合軍を組むことになるが、どこか軽いところがあり、元康の家臣たちは当惑気味だった。
岡崎城に入って織田と戦う宣言をした元康ですが、氏真の手紙を読む限り、三河平定は自分たちだけでやらねばならず、忠吉がある洞窟へ一同を連れて行きます。そこには勘定方であるのをいいことに、元康のためにくすねた城の銭が沢山あり、これで戦ができると家臣たちは踊り始めます。
なかなか忠世も隅には置けません。そして刈谷城攻めとなりますが、ここにいる元康の伯父水野信元が博打好きで、これまたなかなかの曲者のようです。『真田丸』に出演した寺島進さんが演じているせいか、どこか真田昌幸がダブります。
そしてこの信元の背後にいたのが、かの信長でした。この両者の対面シーンを見てしまうと、あれこれ悩む元康が如何にも初心で、戦慣れしていないかがわかります。そして吉良義昭の援軍を受け、連合軍を組むことになるわけですが、この人物が如何にも軽いノリの人で、あまり当てにできなさそうです。
ところでこの三河吉良氏、言うまでもなく後に高家となり(これは今川も同じ)、かの吉良上野介を出す家柄です-但しその後改易されてしまいますが。尚東条城は、この永禄3年から数年後に落城します。
それと義元はやはり夢落ちでした。しかしこの時期に駿府の夢を見たこと、瀬名と竹千代に会ったと思ったものの、実際は会えていないことなどを考えると、何か色々と示唆するものがあります。
そして氏真、関口氏純に元康への伝言として、お前の妻子や家来が我が元にいると伝える辺り、あるいは元康は裏切るのではないかと、多少疑心暗鬼になっている感もあります。結局それは的中するのですが。
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