『武将ジャパン』大河コラム、前半部分関連記述への疑問点です。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第46回「将軍になった女」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
1.その上で鎌倉では時元に決めたと京都に報告すれば、朝廷も宣旨を出さざるを得ないと、悪だくみを呑み込んだような言い方をします。
「悪だくみを呑み込んだ」と言うのはあまり聞かないのですが…。裏のあるとか、含みを持たせたとかそういう言い方をしたいのでしょうか。
2.「災いの火種は放っておけばいずれ必ず燃えあがる。公暁のようにな……鎌倉は誰にも渡さん」
そう言い切る義時の倒錯よ。
「倒錯」とありますが、この言葉は、社会的規範から外れた行動とか嗜好を意味しており、義時の場合はそこまで外れているわけではありません。 北条の政権に強いこだわりを持ってはいますが。
3.最終局面へと迫ってゆく鎌倉。序章は終わり、この先はいよいよ神との戦いです。
よほど「神との戦い」がお好きなようですが、つまるところ朝廷との我慢比べの果てに武力での衝突となり、朝廷が敗北して、武士の意見を飲ませるようになったわけです。『終末のワルキューレ』ではないのですから。
4.伊豆へやってきた頼朝のため、鏡に向かって化粧をしていた政子――すべてはあのときから始まったのでしょうか。
少し前のことですが、武者さん、この大河は第1回の頃は鏡などなかったと書いていました。 あれは、その後訂正したのでしょうか。
5.優しい慈愛の人物。義時が暗い闇に沈んでいくのだとすれば、政子は泥の中でも咲く白い蓮のように思えます。
政子は優しい慈愛云々より、どっちつかずな印象があります。この場合義時と共に闇に沈み、その汚れをいとわずに凛とした態度を見せることこそが、彼女が真の意味で花咲くのではないかと思うのですが。
6.政子が義時に問うと……。
「首を刎ねる」
妹に対して無情すぎる言葉に対し、いつもは義時に従順な北条時房もここは「本気ではない」とフォロー。
しかし泰時はわかっている。父は本気だとして、そんなことをしたら人心が離れてしまうと訴えます。
「もちろん本気だ。謀反を企んだ以上、あれを許すことはできない」
これには、女子の首を刎ねるなぞ例がないと康信も慌てています。
ならば、どの程度の罪であれば頃合いがよいのか、というと、耳と鼻を削いで流罪と大江広元が言い出す。
ここまで言うということは、政子をいわば揺さぶって、その気になれ、つまり鎌倉を象徴する存在として、御家人を鼓舞しろと言っているに等しいとも思うのですが…。本気で実衣を処刑したいのであれば、一月も引き延ばすことはないし、結局は、実衣を利用しての政子への説得とも取れます。
7.言葉のやりとりだけで進むこの場面ですが、非常に重要ではないでしょうか。
私は『麒麟がくる』における信長と光秀の問答を思い出しました。
松永久秀から平蜘蛛を託された光秀は、信長に対して仁のある政治を行うものこそ、これを手にするにふさわしいと言います。
すると信長は、あれほど欲しがっていた平蜘蛛を売り払うとあっさり言ってのけた。
両者が重視するものの差があります。
政子や泰時たち、そして光秀は情を重視する。
義時と信長は理。ルールを守ることを重視します。
現実は、両者ともにバランスを取ってこそ、よりよい世の中にできるはず。
そこでどんな結論が導き出されるのか注目です。
例によって『麒麟がくる』を持ち出していますね。しかし時代的にもそれぞれの状況を見ても、比較対象にならないかと思います。そして当然義時と信長の立場の違いもあります。
あと義時はルールを守ることを重視などとありますが、義時はいわば自分がルールブックだと言いたげですから、これは当てはまらないように思えます。それとバランスを取る取らない以前に、朝廷の前に鎌倉が一丸でなければならなかったのではないでしょうか。
8.約束通り親王を下向させるも、それは今でもない。なんでもどの親王にするか迷っているとか。
「どの親王」ではなく、頼仁親王と雅成親王のどちらかですね。
9.京都人の「ぶぶ漬け理論」ですね。
「ぶぶ漬け=お茶漬け」を勧めるということは、この程度のものしか勧められないのだから「はよ帰れ」と婉曲的に表現。
これに関してですが、必ずしもそうでないと言われていますね。あまり決めつけない方がいいと思います。
10.素朴一辺倒だった序盤の頃でしたら、このような駆け引きにはなりません。素朴で正直な北条時政が、後白河院とすっとぼけた双六をしていましたよね。
しかし、そうなると後鳥羽院も気づかないものですかね。
朝廷の権威に恐れ慄いていたならば、こんなしょうもない駆け引きをするはずなかったのに、今では立派に交渉するようになっている。
なぜそれとこれを比べるのでしょうね。 この場合鎌倉殿がいなくなり、朝廷からその地位にふさわしい人物を迎えようとして交渉が続いているわけです。一方時政は京都守護として法皇に拝謁していたわけで、しかも法皇が追討せよと命じた義経と行家を捕らえるために、地頭を置きたいと後押しするようなことを言っているわけで、元々の立ち位置が違っています。
11.この瞬間、彼は理想の結実を噛み締めているかもしれません。
そもそも広元が京都から鎌倉へ下向して来たのは、認められたいとか、出世したいとか、そういう野心もあったけれど、本心では「民衆に慈悲を施す政治をしてみたい!」という気持ちもあったのでは?
それを叶えるのがこの尼御台。だからこそ愛を感じているのかもしれません。
その「『民衆に慈悲を施す政治をしてみたい!』という気持ちもあったのでは」は何か根拠があるのでしょうか。広元はそういうことを以前から口にしていたのでしょうか。そして何度も広元と尼御台政子の愛がどうこうと書かれていますが、そのきっかけがその都度微妙に違って来ていないでしょうか。少し前はこんな感じでした。
「北条政子も、義時だけではなく大江広元に意見を求め、こんなアドバイスを受けています。
確かに頼朝は朝廷の干渉を拒んだけれども、時代は変わった。いま頼朝が生きていればどうなのか。
広元は、一方で義時の言うこともわかる、と立場を重んじながら結論を出します。
『あとは尼御台のお気持ちひとつ……』
広元の声が完全に心酔していますね。京都から来た彼は、鎌倉の坂東武者と違い、冷静で理知的な判断を常としてきました。しかし、政子に近づくとカッと酔ったように燃え上がる。」
12.そう泰時と初が、ういういしく夫婦愛を確認し合っています。両者ともに愛くるしくて、素敵です。
「ういういしく夫婦愛を確認し合っています」
もう結婚してかなりの年月が経つ上に、 この当時泰時は既に継室を迎えているはずなのですが。 この継室は御家人の安保実員の娘で、2人の間に時実が生まれたのが建暦2(1212)年です。なおこの時実は早世し、初(矢部禅尼)との子である兄の時氏も二十代で病死したため、泰時は後継者に孫の経時を指名することになります。
しかし
「ういういしく夫婦愛を確認する」
のは、『青天を衝け』の栄一とお千代も同じだったのですけどね。
あと前回で武者さんが、視聴率について書いていましたのでそれに関して。まず11月27日放送の第45回は、リアルタイムの世帯視聴率が6.2パーセント、これは『いだてん』を除けば最低とされていた、『平清盛』の第47回の7.3パーセントを下回る数字でした。無論BSを観たとか録画したとか、あるいはNHKプラスで観たと言う人もいるでしょう。
元々『鎌倉殿の13人』は、夏以降は13パーセント台に達することはなく、鎌倉時代という設定もあるのでしょう、リアルタイムの世帯視聴率は低めでした。またドイツに勝ったことから、コスタリカ戦も観た人は多かったようですが、6パーセント台にまで視聴率を落としたスポーツ中継の破壊力というのは、やはり侮れないものがあります。無論あまり数字を取れていなかった『いだてん』で、裏にラグビーのワールドカップが来た時の3パーセント台よりは高い数字でしたが。
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