第44回後半部分です。
身内でもめただけだと義村は言うが、同じことがまたあっては困ると泰時。義村は感づかれたことを悟り、胤義に、若君に今日は取りやめだとお伝えしろと命じる。泰時は警固を増やすべき父義時に主張するが、義時は謀反の証拠は何一つなく、これ以上の詮索は無用と泰時の言葉を押し切り、めでたい日に水を差すなと去って行く。泰時は何かが腑に落ちなかった。
公暁は自分達だけで暗殺を決行することにする。その時つつじがやって来る。つつじは公暁の挙動に疑問を抱いており、なぜそのようにお思いかと尋ねる公暁に、あなたの母親だからだと答える。厳しい修行に励む隣で実朝の右大臣拝賀の式が行われていては、恨みも募るだろうとつつじは言うが、公暁はめでたいことだとはぐらかす。その息子につつじは、貴方の道を生きよ、立派な僧となって八幡宮の別当として鎌倉殿をお支えするのが、天から与えられた道と諭す。
しかし公暁は母が与えられた道、夫を無残に殺され息子を仏門に入れられ、暗君の妻としていわれなき汚名を着せられた母上の道とはと問いかける。公暁はすべてを知っていたが、つつじは悔いていない、頼家が授けてくれた公暁がいたからだと言い、まず千日の参篭を成し遂げ、命を危うくしてはならない、生きるようにと言って聞かせる。
泰時は念のためにと甲冑を実朝に渡すが、公暁が自分を狙う理由がわからない実朝はそれを拒絶する。ならばと泰時は守り刀を差し出すが、実朝は本宮にそのような物を持って上がれば罰が当たると言う。一方義時は運慶に、以前会った時顔が悪くなったと言っていたが今はどうかと尋ねすが、あまりひどい時は気の毒が先に立つから言わないと運慶は答え、好きなだけ拝んで行け、戌神はお前の守り神と言って去る。時房と2人だけになった義時はお前にだけは伝えると前置きし、ここからは修羅の道、付き合ってくれるなと言った後、源仲章には死んで貰うと口にする。
鎌倉殿にはどうご説明をと時房は尋ねるが、公暁が恐らく今夜の拝賀式の最中に、その鎌倉殿を狙っていると義時。時房は取り押さえようと言うものの、義時は余計なことをするなと言い、またこうも口にする。
「もはや愛想は尽きた」
さらにあのお方は鎌倉を捨て、武家の都を別の所に移そうと考えておられる、そんなお人に鎌倉殿を続けさせるわけには行かん、断じてと義時は決意を述べる。
実朝は三善康信(善信)に、頼家の跡を継いで鎌倉殿になった自分を公暁が恨むのもわからなくはないと言う。しかし幼くして仏門に入った公暁がなぜそこまでこだわるのか、あの頃のことを知る者は少ない、何があったのかと康信に尋ねる。一方その頃トウは、仲章に襲い掛かろうとしていた。
実朝は政子に、兄上は突然の病で亡くなったと聞かされていたが、生き返ったらしい、しかし居場所がなく伊豆へ追いやられたことを話し、なぜ黙っていたのかと尋ねる。あなたが知らなくてもよいことだからと政子。しかし実朝は、それが公暁の自分への恨みになったと言い、自分は鎌倉殿の座を返上しなければならないとまで言う。公暁は出家したとの政子の言葉に、母上が無理やりさせたと実朝。あの子を守るためとの政子は言うが、兄上が比企と近かったためだと実朝は返す。
北条が生き延びるためではあったが、すべては北条のためかと実朝は言い、私は鎌倉殿になるべきではなかったと悔やむ。無論頼仁親王は迎えるし、そうでなければ上皇に顔向けできないと言いつつ、実朝は公暁を憐れむ。そして公暁をないがしろにしたこと、自分同様腹を痛めた子なのに、兄上がそんなに憎いのかと実朝は涙を流し、母上がわからないと言って去って行く。その後実朝は公暁の許へ赴き、許しを乞うと同時に、親王を迎え入れる件を断るわけには行かないと話す。
私が許せぬだろうと言う実朝に、貴方に私の気持ちなどわかるはずがないと公暁。幼い頃から周囲から持ち上げられた実朝に、志半ばで殺された父頼家や、ひっそりと生きて来た母の悔しさなどがわかるはずもないと言う一方で、公暁はただ父の無念を晴らしたい、さらに実朝ではなく、父を殺しその実朝を担ぎ上げた北条が許せないと言う。
ならば力を合わせよう、父上が作ったこの鎌倉を源氏の手に取り戻すと実朝は誓う。ただし血を流すのではなく裁きを受けさせるべきと実朝は言い、義は我らにあると言って、拝賀式へと向かった。しかし公暁は実朝を信じてはいなかった。
義時は政子に、私たちは自分のして来たことを背負って生きるしかないと言う。政子は私たちと言う表現に違和感を覚え、決めて来たのはあなただと言うが、正しいと思った道を選んでここまでやって来たのではないのかと義時。誰に何を言われようとひるんではならない、私たちはいつだって正しかったと義時は姉を諭すように話す。その時実衣が入って来て、鎌倉殿の出発を伝える。
広元の取り計らいで、実衣と政子は式の様子を御簾の後ろで見られることになった。しかし政子はそれを拒否し、尼御台が行かないのに行けるわけないと実衣は不満げだった。そして義時は雪の八幡宮に到着し、太刀を渡される。公暁が実朝を斬ったらその場で公暁を討ち取り、それですべてが終わることを、義時は時房にだけは打ち明けていた。そして義時は仲章の姿を見つける。
仲章は罠を仕掛けてトウを捕らえていた。必ず吐かせてみせると仲章。そして仲章は義時の方に手を伸ばす。一方実朝は、千世からの見送りを受けていた。実朝は上皇に2つ感謝しなければならない、過分な官位を賜ったこととお前を引き合わせてくれたことと言い、千世の手を取る。その後実朝は八幡宮に着き、列が石段を登って行った。
三浦の館では、胤義が八幡宮へ向かいたがっていたものの、義村はそれを止める。若君が見事本懐を遂げられたら我らもすぐに挙兵すると言い、それまでは様子見を決め込むつもりだった。実朝は裾を引き、本宮へ入る。無事に本宮へ入ったらしいと言う警固役の朝時に、まだこの先どうなるか分からないと泰時。そこへ盛綱がやって来て公暁が不在であること、これが残っていたと言って帰りの行列の並びが描かれた図を見せる。それを見た3人は、公暁が潜む場所と、誰が標的であるかを察する。その標的の1人は義時だった。
粉雪は戌の刻辺りから牡丹雪となった。そして拝礼する実朝を、政子は御簾の陰から見ていた。
まず、私としては様々な人々が胸に一物ある状態で、拝賀式と暗殺に至る流れが粛々と進むのかと思っていました。しかし、何だかフラグ立ちまくりですね。まあ主人公である義時の気持ちはぶれていなかったので、よしとしてはいますが。薬師堂で時房相手に心の内を話すところは、本能寺直前の明智光秀といった感もあります。
実朝。自分が鎌倉殿になったいきさつ、そしてそのために公暁が出家せざるを得なくなったことを知り、自分は鎌倉殿になるべきではなかったとまで言い出します。この辺りがこの人らしいと言うか、ある意味鎌倉を引っ張って行くにはどこか弱く、清濁併せ呑むイメージとはほど遠い印象があります。しかし公暁が参篭を行う御堂のシーン、事情が事情だけに1人で来たのでしょうが、ちょっと危険ではないかとも思います。
義時。例の御所を六波羅に移す案を聞かされ、完全に実朝には見切りをつけたようです。この人は実朝とは異なり、姉政子に、今までの私たちを否定するべきでないという意味のことを話します。考えてみれば政子も、義時の決断した道を歩いた以上、義時とは無縁でいられない存在でした。一方で義村も不穏な動きを見せており、仲章もトウを捕らえて八幡宮に赴いており、最早彼としてはこの仲章と実朝を抹殺し、そして義村が担ごうとする公暁をも討ち取るという、かなり難易度の高い「仕事」をこなす必要に迫られていました。
ところで。今までも書いていますが、千世がいつも同じ袿を着ているのはどうかと思います。実衣でさえ、この日のために新しい袿を仕立てているのですが。あと八幡宮に集まった重鎮たちは衣冠ですが、実朝は裾を引いているから束帯ですね。尚義時も、既に衣冠をまとう身分となっています。
義時の守り神の戌神、そして雪がやや収まったのが戌の刻。戌の刻は今の午後8時ですから、かなり暗くなっていたでしょう。しかも足場の悪い雪が積もった石段ですから、襲う側にしてみればいくらか有利であったと思われます。
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