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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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『鎌倉殿の13人』第44回「審判の日」あらすじと感想-1

第44回「審判の日」前半部分です。


運慶の戌神像が鎌倉に届いた。今月中にはすべて揃うと運慶。政子が朝時を像の隣に立たせたのをきっかけに、北条家の人々は思い思いのポーズを、像を真似て取ってみせる。はしゃぎすぎだと言う義時に、身内から右大臣が出るから嬉しいのだ、こんな時がいつまでも続くようにと願うと政子。運慶は後ろの方で義時に、京からの人出が足りなくて遅れたと話す。四月でこれだけのものを作ってくれてと感謝する義時に、俺が絵を描いて作るのは弟子たち、早くできた方が喜ばれると運慶は答える。

一方公暁は右大臣の拝賀式で実朝を討つと三浦義村に打ち明けるが、それは謀反人となることを意味した。御家人たちの心が離れないようにすることが肝心と義村。公暁はそれを見込んで、暗殺の後に御家人たちの前で、北条が父を闇討ちしたこと、実朝がひどい謀略によって鎌倉殿になったことを知らしめ、本来鎌倉殿になるべきかは誰なのかを示すと言う。胤義は同意し、義村は三浦の兵に打倒北条を叫ばせる、それで御家人はついてくると公暁に伝える。

建保7(1219)年1月27日。信心深くもない義時が薬師堂を作ったことに、政子も実衣も驚いていた。半年ほど前夢に出て来た白い犬が気になっていたのである。とはいえ、義時は夢のお告げを信じてはいなかった。元々薬師堂建設の話はあり、それを早く進めるように催促しただけだったのである。そして拝賀関連の行事もこの日で終わることになっていた。義時は翌日から頼仁親王をお迎えする手はずを整えるつもりでいた、慶事は同時に進めるとよくないと大江広元に言われたためだった。

実衣は親王様の次の鎌倉殿は時元かと尋ねるが、義時は、実朝が右大臣になったことで鎌倉殿の格が上がり、時元は無位無官だから諦めろと言う。政子は取りあえずは、実朝の右大臣昇進を喜び、見物に行こうと実衣を促す。そして泰時は朝時や盛綱たちを集め、混乱のないようにしたいとその場を取り仕切っていた。朝時は昨年の左大将の時と同じだろうと言うが、今回は都から大納言も参列するため失敗は許されなかった。その朝時は、昨日八幡宮の坊主が来て、行列の並びを聞いて行ったのを思い出す。教えたのかと盛綱。

実朝は八幡宮に向かう前に、跡継ぎができないことに触れずにいてくれたと、政子に謝意を述べる。政子は聞いたところでどうにでもなるものではないと言い、血のつながりはないが、間もなく素晴らしい跡継ぎが京からやって来られる、私はそれで満足と答える。一方でのえは仲章と貝合わせをしていた。仲章は晴れの服装ののえを褒め、北条殿もここまで来るにはかなりの苦労をされたことでしょうと意味ありげに尋ねる。

仲章はさらに頼家が亡くなった時はどうだったかと訊き、さらにのえに近づき、頼家が北条に殺されたと言う輩もいる、まさかそのようなことはと囁く。うちの人がやったわけではないとのえ。その義時は、のえが仲章に頭を下げているのを御簾越しに見る。義時はその後のえに、仲章が自分を追い落とそうと必死である、お前に近づいたのも魂胆があってのことと戒める。手も握っていませんとのえは答えるが、義時が知りたいのはそういうことではなかった。

義時はのえに何を聞かれた、余計なことは喋っていないだろうなと念を押され、のえはみくびらないでと答える。一方鶴岡八幡宮では、実朝参詣の準備が行われていた。雪になりそうな天気のため、暗殺を決行する公暁には蓑が用意されており、それを泰時が知ることになる。公暁は御堂からは出ることはできないはずだったが、盛綱は、公暁の世話役駒若丸は三浦義村の子であると言い、泰時は義時にこの件を知らせることにする。

泰時は三浦の館に武装した兵がいることも伝えるが、義時は式の警固のためだろうと素っ気ない。それにしては数が多い、今日の出席は取りやめた方がいいと泰時。公暁が実朝を襲うことを案じた義時は、義村に真偽のほどを訪ねる。一笑に付す義村。信じていいんだなと言う義時に、若君が鎌倉殿に取って代わろうなんて気持ちはこれっぽちもない、俺が誓ってやると義村は言う。しかし義時は泰時に、あいつは言葉と思いが別の時、必ずこうすると襟を直してみせる。つい先ほど義村が取った行動だった。

義時は実朝と仲章の前で、式の中止を申し出る。何かあってからでは遅いと言う義時に、既に後鳥羽上皇から遣わされた方々が既に鎌倉入りしていると仲章。ならば警固の数を増やすようにと義時は言い、仲章は、式のことを任されているため余計な口出しは無用、警固のことは考えておくと答える。実朝は、何故公暁が私をと訝しげだった。鎌倉殿の座を狙ってと言う義時に、寧ろ公暁は、実朝の目には頼仁親王の東下を喜んでいるように見えたと実朝。

人の心はわからないと言う義時だが、実朝は伝えたいことがあると言い、近い内に御所を西へ移すと言う、仲章も、右大臣は上皇様のそばにお仕えすべきものと言い、しかも実朝は候補地を六波羅と決めていた。頼朝様が作った鎌倉を捨てるということかと義時は尋ねる。ここは験が悪いと言う仲章に、鎌倉殿にお聞きしていると声を荒げる義時。しかしこれはまだ先の話だと実朝。

義時はこの式では太刀持ちを務めることになっていた。その義時に仲章が近寄り、のえから頼家が身罷った真相、一幡に何をしたかを聞いたとにやつく。しかし義時は、かまをかけても無駄だ、妻は何も知らないと返すが、まるで知られてはいけないことがあるような物言い、あとはとことん調べるのみといやらしい態度を取る仲章。さらに主殺しは最も重い罪、鎌倉殿にも知らせねばなるまいと告げて去ろうとするが、義時は何のために鎌倉にやって来たと問いただす。

仲章は京でくすぶるよりこちらで思う存分腕を試したい、そして人の上に立ちたいと言い、やがて目障りな執権は消え、鎌倉殿は大御所になって新たに親王様を迎え、私がそれを支えると豪語する。無理だと言われるも、仲章は血で汚れた義時など意にも介していなかった。義時は広元に言う。
「今にして思えば私が望んだ鎌倉は、頼朝様が亡くなられた時に終わったのだ」
しかし広元は、貴方は頼朝様より鎌倉を託された、放り出すことはできないと諭す。

さらに広元は
「貴方の前に立ちはだかる者は、みな同じ道をたどる」
と言い、臆することはない、それがこの鎌倉の流儀と義時の肩をつかみ、仲章には死んで貰おうと言う。義時はトウに仲章暗殺を命じる。その頃実衣と政子は出かける用意をしていたが、雪が降って来たため、式は公卿、殿上人と御家人のみで行うことになり、政子は御所に残った。

一方で三浦館を泰時が訪れていた。兵の数の多さを泰時は疑問に思うが、多くの兵を揃えろと言うお達しであると義村は答える。しかし泰時は、三浦勢は参加しないでほしいと伝える。昨年の直衣始の際に三浦によって出発が遅れ、実朝はそれを気にしていると泰時。


『真田丸』の終盤同様、ちょっともやっとしたものを感じるようになっていますが、それはさておき。義時の薬師堂が完成し、運慶の像も鎌倉に届けられます。元々この大倉薬師堂は建設予定であったものの、義時が白い犬の夢を見て、建設を急がせたようです。しかし白い犬と言うと、某携帯会社のCMを思い出します。

実朝の右大臣就任で北条家は喜びますが、一方で公暁はこの叔父の暗殺計画を着々と進めていました。しかも三浦がそれを後押ししており、ことが成った暁には、御家人を従わせるための声明文(と言うべきでしょうか)まで準備しているようですが、いくら頼家の子とは言え、また北条に罪を着せる算段とは言え、鎌倉殿を殺した張本人に御家人がちゃんとついて来るでしょうか。

しかも御所では仲章が調子づき、なれなれしくのえに近づいて、頼家の死の真相を聞き出そうとします。前回彼女を口説こうとしたのも、もちろんこれが目的でした。この人物に取って、鎌倉幕府と言うのは如何にも「ちょろい」存在に映っていたのかも知れません。しかし義時が何のために「血で汚れ」、それから何を学び取っていたかは理解できていたのでしょうか。その辺が如何にも浅薄さを感じさせますね。

また実朝が御所を六波羅に移したいなどと言い出します。それで東国の御家人の共感が得られるとは思えないのですが…。この人も結局は理想家肌であり、前に書いたかと思いますが、公家とか既に引退した人物であれば、このような理想を抱くことも可能だったでしょう。しかし彼は「鎌倉殿」であり、この東国に地盤を築いた人物の子である以上それは許されず、仲章から何か吹き込まれたと思われても仕方のないものでした。

仲章が実朝に入れ知恵したかどうかはともかく、この人物が義時を敵視したように、義時もまたこの人物を葬り去るべきと考え、広元の忠告もあってついに義時は決断します。そしてこの時の義時のセリフ
「私が望んだ鎌倉は、頼朝様が亡くなられた時に終わった」
このブログのあらすじと感想、あるいは武将ジャパン関連の投稿でも触れましたが、この人物に取って、頼朝がいたからこそ「鎌倉あっての北条」という発想もまた生まれたわけでしょう。しかしその子たちは、義時にしてみれば、どちらも頼朝とはあまりにも違い過ぎました。


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[ 2022/11/22 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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