『武将ジャパン』大河コラム、第42回後半部分関連記述への疑問点です。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第43回「資格と死角」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/11/14/172015
もしも前回、唐船の渡海が成功し、日宋貿易が実現していたら?
京都に、鎌倉を経由した宋渡来の品を献上できたでしょう。
それができないから、干し蛸というなんともつまらないものになった。兼子も容赦なくそこを突いてくるわけですが、政子は負けていない。相手が贅沢な暮らしをしていると揶揄しています。
仮にあの船が進水できて日宋貿易が本格化していたとしても、この上洛にはちょっと間に合わなかったのではないでしょうか。それと政子は、このような交渉でもあり、またかつての上洛の教訓もあり、自分は田舎者だとへりくだって見せることで、こういう仕掛けを用意していたとも思われます。
彼女の言い分だと、鎌倉の方が「民の暮らしを考えている」と解釈できなくもない。
(中略)
「撫民」(民を思いやる)は北条が掲げたひとつの到達点。
北条政子が藤原兼子に返すことで、後に北条政治が到達するものも見えてくる。
思い起こせば頼朝は、上洛時にもっと立派な贈収賄をしていたものです。
頼朝の方が財力をかけることはできるけれども、贈収賄は道徳心がない。源氏に欠けたものを北条は補い、それを政治信条にしていくのではないかとも思える。
ゆえに高度な会話ではないでしょうか。
兼子も相手をみくびれないと思ったか。
汚れたものを口にすると、日々の食事が如何に美味かというセリフですが、それが民の暮らしとどうつながるのでしょうか。この場合はあくまでも鎌倉殿の後継に関する話なのですが。それと
「思い起こせば頼朝は、上洛時にもっと立派な贈収賄をしていたものです」
なぜ現代と比較するようなことを書くのでしょうね。 それがその当時は、必要だったからだとは考えないのでしょうか。それに高度な会話と言うよりは、腹の探り合いといった雰囲気もあり、それもこのシーンは舞台向きかなと思われた所以です。
あと「民」を考えるというのは、『西郷どん』などでも採り上げられていましたが、嫌いな大河のせいか、こちらの方は全くと言っていいほど話題にしませんね。
頼仁親王が鎌倉殿になれば、兼子のことを鎌倉を上げて大事な方であると思うと。
「あら」と心を動かされる兼子。
この聡明な女性も、権力には甘かった。
「権力には甘かった」
とありますが、この場合兼子は卿二位で、政子はまだ従三位を賜っておらず、明らかに彼女より上のはずです。それに当時の「権力」はどう見ても朝廷の方ではないでしょうか。
現代ですとサッカーのリフティング、それを進化させた「フリースタイルフットボール」にかなり近いんではないでしょうか(むろん現代のほうが技ははるかに進歩していますが……)。
蹴鞠のことですが、リフティングもさることながら、私としてはラグビー代表の山沢拓也選手が、オールブラックス戦で見せたボールのドリブル、あれを思い出します。昔は、ラグビーボールのドリブルも結構見られたようです。
そして後鳥羽院を親しげにバシッと小突く時房。あーっ、いけません!
小突くのではなく、肩を平手で軽く叩いだように見えますが…。無論上皇の体に手を触れるのはあるまじきことでした。
トキューサで笑ってごまかされそうだけれども、後鳥羽院が敗北する理由がわかりました。
このトキューサが泰時ともども都に乗り込むと思うと皮肉なんですよね。
何が駄目か?
・感情由来で物事を決める
→後鳥羽院が上機嫌になったのは、自分の権力にトキューサが平伏したということにスッキリしたからに思えます。戦というのはそんな感情ではなく、利害を考えて起こさなければ危険。
・ワンマンでやる
→そういう感情的な人物を止める人が周囲にいればいい。しかし、なまじ才知溢れる後鳥羽院は自分一人で決めてしまう。蹴鞠ですら一番出ないと気が済まないという感情由来で戦おうとしても、誰も止めない。
・「東夷(あずまえびす)」
→ハッキリと言ってしまいましたね、「夷」と。
このドラマは北条宗時が序盤に「坂東武者の世を作る」宣言をして以来、個人的にはずっと脳内に「華夷」という言葉がよぎってなりません。
ここがよくわからないのですが。
「後鳥羽院が上機嫌になったのは、自分の権力にトキューサが平伏したということにスッキリしたからに思えます」
それが原因で上皇は承久の乱を起こしたのですか?発想が飛躍し過ぎでは。
そしてワンマンも何も、この後朝廷を巡る不穏な動きが続き、その結果上皇の院宣が発せられたわけで、しかも討つべき相手は時房でなく義時です。それと「東夷」もこの当時はそう珍しくなかったでしょう。現に鎌倉ではまだ血生臭い事件が起こっていたわけです。私としては、「いずれまた勝負しようぞ」の言葉が意味深だとは思いましたが。
何よりも武者さん、このようなことを言いながら、幕末大河の西国諸藩の武士を、薩長出身という理由で叩いているのですが、それはどうなのでしょう。
日本だけのことでもなく、中国大陸でも同じで、南宋が滅び、元が成立して華夷秩序が逆転します。
そうして逆転した「夷」同士、元と鎌倉幕府がぶつかり合う。そういう流れが興味深い。
後鳥羽院が時房を「東夷」と呼んだことで、そんな流れがますます加速したように思えました。
元の行政や経済のシステムは、南宋のをそのまま受け継いでいるのですけどね。
現代人は、仏像に似ていると言われても嬉しくないかもしれませんが、昔は仏像に権力者の顔が反映されたと言います。
武則天は龍門石窟の盧舎那仏を、自分の顔に似せたそうですよ。
なぜかここでまた武則天。政子はそこまでの権力者ではありませんが。
かくして大河では珍しい女性同士の飲酒が始まるようです。飲む場面までは入りませんが。
『風林火山』での三条夫人と由布姫の会見では、実際に酒(正しくは甘酒)が出て来ていますね。個人的には今回の政子と兼子よりも、この2人の会見の方が、もっと駆け引きめいたものを感じて怖かったです。
時代を超えた普遍的な美貌で、ただ美しいのではなく、豊かさをもたらすように思えます。古今東西女神像にありそうなお顔立ちなんですよね。
そりゃ大江広元も酔いしれますよ。風格が違う。
ここでまた政子上げですね。最終回まで続くのでしょう。別に小池栄子さんが悪いとは言いませんが。
実朝はこうなったら太郎泰時にも官位が欲しいと言い出します。
菅原道真と同じ讃岐守はどうか?
仲章がそう提案すると、泰時は畏れ多いと答え、義時も国司は早いと牽制しています。
それでもなって欲しいと実朝。上皇様ならば聞いてくれる、自分が頼めば必ずだと仲章は意気揚々です。
はぁ……なんだこの実朝は。もしも和田義盛の亡霊がいたら「ウリン、それはねえぜ!」とでも地団駄を踏みそうな流れだ。
実績でなくて上皇との距離感で官位やら国司がもらえるというのは、明らかにおかしいでしょうよ。危ういですってば。
なぜここで和田義盛?それはそうと、実朝は元々朝廷寄りなところはありますし、政子も兼子の覚えがめでたくて従三位を贈られていますが。平清盛などは妻時子の妹滋子(建春門院)が後白河上皇のお気に入りで、上皇との太いパイプができたこともあって昇進を続けているわけですし。
若い頃からイケメンと言われ尽くしで、もう飽きましたもんね。こんなトリカブトの妖精みたいな役をできて素晴らしいことじゃないですか。
トリカブトの妖精とは何ぞやと検索したら、それらしきイラストがありました。しかし女性に言うならまだしも、この場合はやはり普通に奸臣とか、あるいは偽善者と呼ぶべきではないかと…(生田さんに悪意はありません)。
今回は突っ込みたくなる箇所が多いので、もう1度このコラムについて書きたいと思います。
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