第43回前半部分です。
今日から頼家の子公暁(こうぎょう)が戻って来た。乳母夫の三浦義村は、鎌倉殿の跡を継ぐのは若君(公暁)しかいないと義村は言い、公暁もそのつもりだった。その願いをかなえてご覧に入れますと義村。そして公暁に同行して御所にやって来た義村は、若君は頭脳ばかりでなく剣の腕もいいと義時に話す。修行の合間の剣の稽古とは悪僧だなと公暁は笑い、政子に挨拶に向かう。
義時は物おじせぬ様子は頼家似、鼻筋の通った辺りは頼朝似だと言うが、義村は頼家よりも賢く、僧だから女子の問題もないと言う。源氏のいいとこ取りかと義時。義村は実朝に子ができないことから、公暁が跡取りで決まりではないかと言うが、その義村に義時は養子の件を話す。公暁の父頼家が鎌倉の安寧を脅かしたため、実朝が跡を継がせないと義時は言うものの、自分でもそれに違和感があった。いずれ鎌倉は西のやつらに乗っ取られるぞと義村。
政子に会った公暁は出家できたことの礼を述べ、いずれは亡き祖父と父の願いに沿い、立派な鎌倉殿になると明言する。政子はこのことを義時と義村に伝え、なぜ養子の件を説明しないのかと問いただすが、話すいわれはありませぬと義時。しかし義村は、そこまで覚悟を決めておられると義時に反論する。公暁は実朝とも会っていた。実朝が養子の件を話さないか懸念する政子だが、そんな軽はずみなことはないと義時は諭す。しかし実朝はそのことを話してしまい、自分は大御所、公暁は鶴岡別当になって、新しい鎌倉殿の話し相手になって貰うつもりだった。
この話は未定だと実衣は実朝を窘めるが、泰時は実朝が話すことで、周りが後に引けないようにしていると言う。その後公暁は義村に話が違うと不満をぶつけ、義村は鎌倉殿が勝手に言っているだけだと答えて、とりあえず千日の参篭に入るように促し、その間に自分が実朝を説得するつもりだった。参篭は外界との交流もなく、堂に籠って神仏に祈ることで、その間堂に出入りできるのは、身の回りの世話をする稚児のみだった。
やがて京から、新しい鎌倉殿のことで文が届く。一方で実衣は、都の出だからと言って出自も定かでない、貧乏貴族の小せがれをあてがわれてはたまったものではないと不満そうだった。これが帝の御子なら俺も納得すると義村は言い、実衣も同意する。義時もこの養子には反対するつもりで、2人に協力を求める。義村は公暁はもうやる気になっている、それを忘れるなと念を押し、実衣も公暁か自分の息子(時元)だと言うが、血筋では公暁の方が上だった。血筋など不吉もいいとこだと言う実衣に、似たようなもんだろと義村。
一方これでよかったのかと言う政子に大江広元は、尼御台は今後も、ご自分の思った道を突き進むべきと答え、さらに今まで自分が仕えて来たのは尼御台、最早その姿を両眼で見ることは叶わぬまでも、ありありと焼き付いていると口にする。政子にはそれが重すぎたが、鎌倉殿が養子を取れば、御家人同士の無駄ないさかいはなくなると言い、広元もそれにうなずく。そして実朝が声をかけた者たちが集まった。腰を痛めた三善康信は杖をつき、実朝の前に現れる。
その場で義時は、かのお方が頼朝様の跡を継がれた時、13人の宿老が並んだことを思い出すと話し始める。今は12で1人たりないと時房。しかしその場に公暁が現れる。義村は立ち上がり、一同に公暁を紹介する。先代に似ておられると康信。公暁は参篭を百日目で抜け、翌日から出直すつもりで、鎌倉の今後を決めるこの話し合いに加わろうとしていた。勝手に八幡宮を出たことに難色を示す義村だが、自分は別当であると公暁。時房がこのことを知らせに行き、1名足りなくなるものの実朝は話を切り出す。
しかし義時はそれを遮って、一部で決めたら御家人たちが騒ぎかねないと言い、実朝は大事なことだから自分で決めたいと言い返す。義時は、ご先代の頃から大事なことは評議で決めるのが鎌倉の習わし、しかし評議で決まったことはないと康信。実朝は頼家をご先代呼ばわりすることに意義を唱えるが、義時は時をかけて宿老が話し合うべきと言い、そして実衣は、鎌倉殿にお子がいなくても、公暁も時元もいると口にし、時元も悔しいと述べる。そりゃそうよと実衣。
既に話は進んでいると源仲章は言い、これはもう決めたことなのだと実朝は言う。そして後鳥羽上皇の子、親王たちの誰かを遣わしてもよいと返事をよこしたのである。これ以上のことはあるまいと実朝。しかもその1人頼仁親王は千世とも縁続きだった。これならば反対する御家人はいないと実朝は言い、義時は実現すればこれに勝る喜びはないと、また義村も御家人たちも皆喜ぶとそつなく返す。実朝は話を早く進めたがり、上洛したいと言い出すが、義時はそう簡単には行かないと反対する。
広元も京の方々に侮られないためと実朝を諭すが、実朝は早く話を進めたがっているため、政子が、ならば自分が熊野詣のついでとして行くと名乗りを上げる。広元も賛成し、そうすれば向こうからは藤原兼子が出て来る、女子同士話が弾むのではと言い出す。しかし義村はこのままでは、公暁が一生鎌倉殿になれないと言い、胤義も上皇の御子となれば諦めるしかないと言うが、三浦が這い上がる最後の好機であるため、義村は公暁の鎌倉殿就任を諦めるわけには行かなかった。
政子は時房を伴って上洛する。その時房は、坂東に対して上から目線という理由で都嫌いだった。そして政子は思い出したように時房が蹴鞠をやっていたことを口にして、披露する機会があればいいけどと言う。一方慈円は兼子に、征夷大将軍の母親とは言え、元は伊豆の田舎娘、侮られてはならないと言われ、鼻をへし折ってやると答える。鼻をへし折った上で話に乗ってやるのが、談判をうまく運ぶコツであると慈円。
そしてやはり同行していた広元は、兼子は頼仁親王の乳母でもあり、鎌倉殿になるのは願ってもない事、そこをうまくくすぐると政子に忠告する。そこへ兼子が現れたため、政子は実朝のことで礼を言い、持っていた箱の中身を見せる、中身は干しだこで、兼子は一瞬驚く。お口汚しと言う政子に、坂東の習わしでは、口が汚れるものを差し出されるかと兼子。
何やら混沌としてくると同時に、実朝暗殺、ひいては源氏の崩壊への序曲のようにもなっています。公暁が鎌倉殿になりたがっていたのは、政子に取っては計算違いと言えますが、義時と義村が、利害関係の一致で糸を引いていたとすればうなずけます。この当時、乳母の存在は武士の社会にも影響を持っていました。しかも公暁は剣の方も優れているというのも、近い未来を伺わせて穏やかならぬ空気です。
一方実朝ですが、朝廷から養子を取ることを公暁に喋ってしまいます。どうもこの辺り、天然キャラと言っては何ですが、いささか脇が甘いところがあるようです。しかも自分の養子の案が皆に理解されたと思ったのでしょう。京に行って交渉したいと言い始めますが、鎌倉殿の上洛などそう簡単にできることではありませんし、義時と義村の本心を読めてなさそうです。結局母政子が代理で行くことになりますが、政子も息子可愛さゆえだったのか、別の理由があったのか。
また実衣ですが、何もかもあけすけに話す彼女の性格もあるのでしょうが、実朝の話が未定と言うのはまだしも、時元の不満にあの場で同意を示す辺り、ちょっと立場をわきまえていないように見えます。しかし鎌倉殿の決意表明の場と言うより、家督を巡っての論争の場といった感じです。
そして目の具合がよくなかった大江広元は、失明してしまうのですが、それと同時に思い切ったことを喋り始めます。寧ろこうなることで、心の内をさらけ出せたとも取れますし、あるいは政子の信頼をいいことに、何か別のことを企てているようにも見えます。一方で三善康信も杖を持つようになり、鎌倉幕府第一世代は老境に入りつつありました。
義時。ここでにわかに評議という言葉を持ち出しても、それがどこまで機能したのか疑問ですが、実朝がそれを嫌って逃げ出した=親政をやろうとしたために、敢えてこの言葉、ひいては頼家のことを持ち出したとも取れます。ともあれ義時に取っては、実朝が朝廷に接近したこともあり、また船の失敗もあって、彼は最早使える駒ではなくなっていたとも言えるでしょう。
ところでタコを見ると、なにわバードマンのたこ焼きを思い出してしまいます。それと源仲章役の生田斗真さん、最近とあるコンビニで、サンタスーツ姿でケーキを手にしているポスターをちょいちょい見かけます。
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