第42回「夢のゆくえ」前半部分です。
実朝は寝苦しくなり目を覚ます。するとそこに後鳥羽上皇が現れ、共に日本を治めよう、北条に惑わされるな、義時は食わせ者よと言い、実朝の鼻をはじいて去って行く。急に飛び起きる実朝と驚く千世。翌日実朝は泰時を呼び、父上が作られたこの鎌倉を源氏の手に取り戻すと言うが、それは北条から取り戻すということですかと泰時。実朝は上皇を手本にするつもりでいた。
すなわち何事も人任せにせず自分で裁きをする。そしてお前の力を借りたいと実朝は言う。自分も北条の者であると泰時は答えるが、義時に異を唱えることができるのはお前だけだと実朝。泰時は鎌倉殿のためにこの身を捧げると言うが、これにより実朝、三善康信と泰時、そして義時と三浦義村と大江広元が二手に分かれた感があった。
実朝は日照りが続いたことにより、将軍家領の年貢を減らそうとするが広元が異を唱える。義時は年貢が減れば政も滞ると言い、義村も御家人たちから文句も出ると意見する。泰時は御所領をいくつかに区切り、年ごとに年貢を減らす土地を変えて行くと言い、康信も文書を見せるが、義時は泰時に、どういう立場でそこにいるのかと厳しい目を向ける。自分が頼んだと実朝。泰時も父上が義理の弟という理由だけで頼朝様に仕えたように、私も鎌倉殿のいとこということでここにいると答える。
のえは行政共々、義時に執権になることを勧める。執権になってくれないと、のえが何のために北条に嫁いだかわからんよと行政。しかし義時は執権という言葉に、政をほしいままにして追放された父時政をダブらせていた。考え過ぎである、悪い癖だとのえは言い、結局義時は執権を名乗ることにする。義村からは執権殿と呼ばれ、名乗るつもりはなかったがその方が都合がいいと答える義時。遅かったくらいだと義村。
一方で実衣は、鎌倉殿が御家人たちに任せず自分で政をすると政子に話していた。頼家の二の舞を案じる政子だが、自分がついていると実衣。政子は実朝と義時が不仲なのを案じ、自分がそばにいようかと言い出す。しかし実衣は言う。
「私が何かしようとすると、いつも姉上は邪魔してくる」
そんなに信用できないのならあとはおまかせしますと実衣は、政子の制止も聞かず出て行こうとする。政子は実衣に任せると言わざるを得なかった。
広元は訴状を読もうとするが目を患っており、代わりに康信が読み上げる。伊豆の御家人長岡七郎からのもので、米が昨年の半分しか取れないのに近くの将軍家領が年貢を3分の1に引き下げられ、百姓たちが不公平だと怒っているらしい。将軍家領だけ減らすからこうなると、泰時の方をにらみながら義時は口にする。実朝は泰時を伊豆にやって実地検分させおうとするも、義時は既に時房を派遣していた。さすが執権殿は打つ手がはやいと義村。色々試してみて、不具合が見つかれば別の手を考えるのが大事と、実衣は実朝をうちわで扇ぎながら言う。
義時は実朝を責めているのではなく、周りの者にもっとしっかりせよと申しておると一喝する。泰時は考えが甘かったことを詫びるが、実朝は上皇から贈られた聖徳太子像の前に座り、世を治めるために自分が慈悲深い名君となるべき、尊い生まれながらそれに満足することなく功徳を積んだ聖徳太子を、自分の道しるべだと言う。そこへ康信が慌ててやってくる。源仲章が宋人の陳和卿を連れて今日から戻って来たのである。
陳和卿は涙を流し、私たちは初めて会うわけではないと実朝に言う。前世の実朝は宋の医王山の長老で自分はその門弟であったと言い、恭しく実朝に手を合わせて長老様と呼ぶ。実朝はこの光景を以前夢に見ており、自分の夢日記を見せる。さらに実朝は和卿に言いたいことがあるのでは、船にまつわることではないかと尋ねる。和卿は誰も見たことのない大きな船を作り、宋との交易を勧め、仲章もかつての聖徳太子の遣隋使の礼を引き出す。実朝はすぐに船を作らせることにする。
伊豆から戻った時房は、時政が膝を悪くして、歩くのもままならないという話を耳にした。見舞いに行こうと思うと言いつつも、義時が不機嫌そうなのを観てやめておくと時房。そんな時房に義時は、泰時に行かせるように言う。その頃鎌倉を丹後局が訪れていた。彼女は修行と称して諸国を巡っていると言う。自分もあなたも大きな力を持つ人物につかえた似た者同士、困ったことがあればあったら遠慮なく言うようにと政子に話す局。
政子はたまに心の芯が折れそうになる時がある、4人の子のうち3人を亡くし、背負う物が多すぎる、家族のだれ一人失わずつつましやかな方がよかったと打ち明ける。しかし丹後局は頼朝と一緒になったのはいつかと尋ね、40年と答えた政子に、それでまたそんな甘えたことを言っているのか、いい加減覚悟を決めるのです。あの源頼朝と結ばれたということはそういうことと厳しく言い放つ。人並みの人生など望んではならないとも言い、さらにこう言い添える。
「何のために生まれてきたのか、何のためにつらい思いをするのか、いずれわかる時が来ます」
泰時は実朝が、聖徳太子に倣って宋へ使者を送ろうとしていると義時に伝える。余計なことをと義時。大きな船は世に鎌倉殿の力を知らしめることになる、北条に取っては確かに余計だなと義村はずけずけと言う。義時は御家人たちの負担が大きすぎるのを案じていた。
そして時房に言われ、泰時は陳和卿が実朝の夢を当てて信頼を得たが、夢日記はあの部屋に出入りする者なら誰でも見られるし、和卿自身は京から来たばかりではあるが、仲章ならそれを見ることができたと打ち明ける。西のお方が糸を引いているということかと義時はため息をつく。そしてこの船は坂東のためにはならぬ、完成させるわけには行かぬとも言い、泰時によう知らせてくれたと言うが、泰時は複雑な思いだった。
その泰時は普請の名手で聞こえた八田知家に、陳和卿の手伝いをしてくれと頼む。描かれた設計図は見事なものだった。その知らせを受け取った上皇に藤原兼子は、思いの他早かったですねと言い、これで実朝の威光は高まると上皇、そして北条の影は薄くなると慈円。
なぜ北条を目の敵にされるのかとの兼子の問いに、たかだか伊豆の豪族に過ぎぬのに将軍に指図するなど身の程を知れと上皇。北条など上皇様から見ればごみ虫と兼子は言うが、なぜか放っておけぬ、なぜだ慈円僧正と訊かれ、慈円はこう答える。
「人が最も恐れるものは己に最も似た者」
と答え、上皇は持っていた太刀を慈円の鼻先に突き付けるが
「親譲りの大事な鼻にございます」と言われてほくそ笑む。
実朝の夢枕に立つ後鳥羽上皇、何やら頼朝の夢枕に立つ後白河法皇を思わせます。尤もあの時とは、鎌倉と朝廷の関係は変わりつつあるわけですが。ところで上皇が実朝の鼻をぴんと弾くシーン、アドラー先生とホームズを思い出した人は、かなりのパペットホームズファンと言えます。アドラー先生の声はりく、そしてホームズの声は慈円が担当していましたね。
そして実朝は上皇に倣い、自分で政を行うと言い始めますが、どうもこれは失敗フラグと言った感もあります。どう見ても実朝は実務家ではないし、清濁併せ呑むイメージでもありません。それに実朝に出て来られたら義時が困るわけで、だからこそ不本意ながらも執権を名乗ることになります。
ところで泰時が、父が義理の弟というだけで頼朝に仕えたから、鎌倉殿のいとこである彼も、実朝のそばにいると言い出しますが、鎌倉幕府創設のために頼朝と戦った義時にすれば、実朝と泰時の関係は重みに欠けるような気がしたことでしょう。第一泰時を側近としたいのは義時自身でしょうから。そして聖徳太子を手本とする、陳和卿に言われて船を作るというのも、義時にしてみれば浮世離れした人物に見えたかも知れません。しかし自分の領地の年貢を減らすと言う一方で、御家人に負担を強いる造船というのもどうかと思いますが…。
その陳和卿が夢を当てたことは、源仲章の企てだったようです。そう言えば北条政範暗殺にもこの人が関わっていましたね。朝廷が実朝を通じてこの鎌倉に入ってくることを、義時は懸念します。そしてこの仲章の介入を伝えた泰時は、義時が船を作らせるわけに行かないと言ったことから、状況がまずくなったことを感じ取ります。
そして朝廷関係と言えば丹後局。彼女に比べると、政子は如何にも坂東の女といったイメージです。頼朝と夫婦になった以上覚悟するべきことはあったにも関わらず、温かい家庭を望んだ彼女に局はぴしゃりと、まだそんな甘えたことを言っているのかと言い、何のために生まれ、つらい思いをするのかいずれわかると諭すのですが、この「いずれ」は、さていつを意味しているのでしょうか。
ところで7日から13日まで、三谷さんの『ショウ・マスト・ゴー・オン』の福岡公演が行われていますが、出演予定だった小林隆さん(鎌倉殿の三善康信)がケガで出られなくなり、三谷さんが代役として出演するとの由。
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