以前書いていましたが、『武将ジャパン』大河コラムの総評関連です。前にも触れていますが、
今回の実朝描写が秀逸だったのは、あくまで「多様性の尊重として丁寧に描かれたからではないか?」と思います
とあり、腐女子サービスのはずがないなどという小見出しまでついていますが、私は関連投稿で書いたように、実朝という人物に跡継がいなかったのは、こういう事情もあったというのを、会話で表現しているのだと思っています。そもそもこの時代に「多様性の尊重」などと言うのをいきなり入れてくるのも妙な話です。
また
『西郷どん』の場合、BL二次創作を促進するような番宣を公式がしていました。
西郷隆盛が男にも女にもモテモテ!
そんなよくわからないフレーズも公式が出しておりましたので
などとありますが、これに関しても、以前制作発表当時の記事をご紹介しておりますので、その時書いたものを再度上げておきます。
制作発表時の記事で、中園さんはこう説明しています。
「中園氏は「林さんの原作はいろんな愛にあふれています。島津斉彬との師弟愛、家族愛、男女の愛、ボーイズラブまで(笑)。ラブストーリーもたっぷり散りばめられているので、一年間、テレビの前の皆さんに『西郷どん』にどっぷり惚れていただきたい。上野の銅像とは全く違う西郷像になると思います」と自信をみなぎらせた」」
「色々な愛がある」と言い、最後に「ボーイズラブまで(笑)」とあるのを見ると、半ばジョークとも言えそうです。実は私も最初は半信半疑で、始まるまでどうなるかと心配で批判もしましたが、案ずるより何とやらで結局好きな大河となりましたね。どちらかと言えば吉之助と正助(一蔵)はバディ的ではありましたが。
無論「男にも女にももてた」と言うのも、色々な人を惹きつけたという意味ですし。
また、
そもそも大河での同性愛描写は腐女子を自称する皆様が楽しむためのコンテンツではないでしょう
とありますが、これも前に書いているように、大河の楽しみ方とは人それぞれであり、武者さんが一々口を出すものでもないでしょう。
そして大河でもない『アンという名の少女』を引き合いに出し、先住民描写、フランス系カナダ人描写など、随所に見て取れるとあり、
大河ドラマで多様性の尊重――というテーマに触れると、悲しいかな、こんな意見が返ってくることがあります。
「大河にポリコレを持ち込むなw」
そもそもポリコレとは何なのか?
英語だと”political correctness”だから、政治が絡んでいる必要があると思うわけですね
ポリコレ、political correctnessとは「政治が絡む」と言うよりは「政治的、社会的に公正な」という意味なのですが 。そして
となると、近年大河では2015年、2018年、2019年、2021年……と「全部お前が嫌いな大河だろ」と言われそうですが、まさにその通りで政治的な胡散臭さも嫌いな理由のひとつに入ります
となっています。以前は嫌いな大河は、「歴史が改竄されている」などと書かれていたのですが、いつの間にか政治的に胡散臭いからという理由になっていますね。しかし政治的に胡散臭いと言うよりは
西国諸藩絡みの幕末大河
オリンピックを描いた大河
徳川慶喜がメインで(悪役でなく)登場する大河
だから嫌いなのではないでしょうか。
しかし自分の好き嫌いのみで作品を判断し、嫌いなものには見るに堪えない言葉をこれでもかとぶつけ、好きなものはどのような描かれ方でもすべて上げまくり、かつ正当化する人をレビュアーと呼ぶべきなのでしょうか。
そしてまた「直近2021年に注目しますと」と言う出だしで『青天を衝け』批判。これもかなり鬱陶しいものがあります。何度も言いますが、このコラムは『鎌倉殿の13人』関連のコラムのはずです。なぜ嫌いな大河の悪口を延々とここで書く必要があるのでしょうか。単にそれでスペースを埋めているようにしか見えないのですが。
なのになぜ、そんなデタラメな描き方が大河で放映されたのか?
そこを考えてみるのもpoliticalでしょう。
「political」とはこの場合「政治的な」の意味ですが、大河の描き方を考えるのが政治的なのでしょうか?
そもそも「ポリティカルコレクトネス」とは胡散臭い言葉です。
最終的には、抵抗勢力や少数派の口塞ぎになっていることも多い。
そういうニュアンスがあるから、個人的にはこの言葉を使う時点であまり信頼できないと感じるのですが、便宜上、私もここで使っています。
「ポリコレに屈した結果w」と草を生やしながら盛り上がるのではなく、多様性への配慮とか、Critical Race Theoryとか、もっと別の理論で話したほうがよい。私はそう思います。
今まで散々嫌いな作品(大河、朝ドラ)の描写を、ポリコレを基準にして叩いていながらそれはないと思います。 それと多様性への配慮というのは、ポリコレに含まれるという指摘もありますね。あとCritical Race Theoryは「批判的人種理論」という訳語がちゃんとあります。
元々は1970年代に、白人至上主義がなおアメリカ社会に組み込まれていると指摘された概念のことです。白人警官による殺人事件がもとで、今再び話題となっていますが、なぜ、アメリカ社会に今なお残る人種差別と、大河の描写を関連付けなければならないのでしょうか。
ところで。30日はフィギュアを観たため和田合戦は観ていません(録画はしています)。それで思ったのですが、やはりスポーツ中継というのは、数字を稼げるコンテンツとしてはかなり強いのではないかと思います。
今後TVがスポーツ中心路線にシフトしたとしても、それはそれで納得が行きます-ただ野球とかバレーボールのような、時間制限がなく、そのため中継が放送フォーマットに影響する場合は、BSでの放送がいいかとは思いますが。
そして大河を観てやはり思うことですが、現在歴史関連ドラマは、映画が率先して映像化しているように見えます。スポーツ中継が盛んになるのであれば、そして今後も大河を看板番組にしたいのであれば、これから先をもう少し考えるべきではないでしょうか。やはり大河を続けたいのか、今の1年体制でいいのか、受信料で作るべきなのか、色々議論すべき問題はありそうです。個人的にドラマは、基本1クールでいいのではないかとは思いますが。
それから『カムカムエヴリバディ』、東京ドラマアウォード受賞のようですね。
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