『武将ジャパン』大河コラム、前半部分の記述に関する疑問点です。最近は武者さんのこれより、小檜山氏の朝ドラ記事の方が、何やら『青天を衝け』コラムのようになっているのですが、それはまた改めて。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第39回「穏やかな一日」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
1.政子って、地に足がついた人だと思います。
権力が欲しいわけではないけれど、そうしないといけないことを責任感から学び、さらに全うしようとしている。真面目で誠実。本当に善良な方で良かった。
あくまでもこの大河ではそういう設定ということでしょう。しかし史実では、彼女の評価は人により様々ですし、この大河でも今後どうなるかは何とも言えません。
2.ついに義時は、実朝を傀儡にすると宣言しました。開き直っています。義時もきっと政の勉強を果たしたのでしょう。
「傀儡にする」とは言っておらず、自分が政を進めて鎌倉殿にはそれを見守っていただくと、もう少し婉曲な表現をしていますが。
3.内容は高野山と太田荘の争い。実朝が迷い、三善康信も戸惑っていると、義時がズケズケと一方的に高野山の言い分を決めてしまいます。
思わず実朝は、自分がいてもいなくても同じではないかと北条泰時にこぼしてしまう。
そんなことはない!
まずこの評定なのですが、高野山が、太田荘の年貢の取り立てを地頭が妨げていると訴えて来ます。
義時「太田荘の年貢は、亡き後白河法皇様の供養を行うためのもの。(康信の方を向いて)それを邪魔立てするのはいかがなものか」
実朝「(康信に)あそこの地頭はそなたであったな」
康信「さようにございます」
実朝「太田荘の代官をかばいたい気持ちもわかるが…」
義時「道理は高野山にございます。ここは、高野山の言い分を聞いてやりましょう。(実朝に向かって)よろしいですか」
となっており、康信は太田荘の地頭であるためばつが悪く、しかも実朝は自分が話そうとしたところを義時に押し切られてしまい、不満そうな顔をしています。
しかし武者さんの書き方だと、実朝はただ迷っているだけのように見えますし、康信が太田荘の地頭であることにも言及されていませんね。
4.つまりは歌で返事をするわけで、泰時は狼狽するばかりですが、鎌倉に文化が浸透してきたことの証しでもありますね。
思い出してください、上総広常が素朴に書状を書いていたあの姿を。
当時とくらべて、もはやそんな時代ではなく、和歌を詠めなければ話にならない。
やることが増えてきたぞ!
「鎌倉に文化が浸透してきた」と言うより、実朝のように特に高位の人物は、京との付き合いもあるため、こういう嗜みを身に着ける必要があり、源仲章が藤原定家を紹介したがるのも、それと関連があると言えそうです。第一本当に鎌倉にそれだけの文化が浸透して来たなら、御家人たちの多くも歌を作っているはずなのですが。
5.時政のように露骨に自分へ利益誘導するのはよろしくない。
そうではなく、大義名分と理屈をこねて、自分にとって有利な制度設計をする。
悪辣なやり方です。
時政を反面教師にしたからこそ、このような、北条を有利にするための策を打ち出したわけですが、北条一族が武士の頂に座るためには、やむを得ないことではありました。
6.ステータスに浮かれてしまう実衣と違い、手直しなんかしなくていいと言いきる政子。
我が子の素朴な感性を伸ばしたいのかもしれません。確かに定家は技巧を凝らしておりますから。
京=朝廷との付き合いがなければ、それでもいいでしょう。この場合実衣の方が、乳母という立場もあってか、京との付き合いをかなり意識していると言えそうです。
7.このドラマは何かがおかしい。
周囲が主人公を過小評価しているように思えて来ました。
北条義時を甘く見てはいけないはず。それなのに、どこか侮っている。そうしているうちに手遅れになるような気がします。
「何かがおかしい」のであれば、それをテーマに、もっと具体的に書いてほしいところです。私としては、まだ北条の天下になっていない以上、実際は義時が権力を持ちつつもそれを表沙汰にできない、あくまで実朝を立てる必要があるからだと思いますが。
8.政子も義盛は好きだけど、政は身内だとか、仲がいいとか、そんなこととは無縁の厳かなものだと嗜めます。
実朝は素直に反省しますが、それができなかった北条時政は結局身を滅ぼしたものです。
この部分ですが、2の評定のところで、康信が太田荘の地頭であること、そして実朝が康信を庇おうともする発言をしたことが、ここの伏線のようになっていると思えなくもありません。
9.父の時政を殺していれば、御家人たちは恐れ慄きひれ伏した。それができなかったのは自分の甘さである、と。
果たして本当にそうでしょうか?
これは義時ではなく、政子の甘さかもしれません。
彼女があのときキッパリと「時政とりくを殺せ! 逆らうものは始末する!」と義時を急かしていたら、その先どうなっていたか?
この姉はそこまでやる強敵なんだ、そんな凶暴な雌虎ならば、我が子を守るために牙を剥くかもしれぬ――義時がそう警戒したら、実朝に政治の実権を返したかもしれない。なんてことも考えてしまいます。
なぜ政子の甘さになるのでしょうか。時政に引導を渡したのは義時のはずですが。そして親子の情を押し殺して殺そうと思ったにしても、そうはできない事情があったから、伊豆に帰すにとどめたわけでしょう。
つまりこういう女性像が、武者さんが理想とする女性像なのだなとは思います。 しかし鎌倉殿の実母である彼女がそれをやると、実朝の分が悪くならないでしょうか。いくら何でも、そこまで政子は愚かではないでしょう。仮にそう言ったとしても朝廷との兼ね合いがあります。下手をしたら、政子も引退を勧められたかも知れません。
いずれにしても、義時は北条の世を作るために、もう源氏に政を任せようとは思っていなかったのかも知れませんね。
10.妻にすると言っていたのにさんざん弄ばれ別の女子と……そう怒りを込めて語ります。
「この鎌倉にそんなひどい男がいるのか!」
驚く実朝ですが……まぁ、いるでしょうよ。あなたの父・頼朝も中々のものでしたよ。
頼朝は平安時代末期に京で育っているため、多くの女性と関係を持つのはさほど罪悪視していなかったはずです。頼朝のそういう考えと行動については、この大河の最初の方で、散々出て来ていますね。
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