第122回の気になった点です。
急にやってくる大里五郎 なぜか突っ立っている姉妹と和彦 五郎が会った人なのに奥さんの遺品? 「お父ちゃん」不在 そしてなぜ「優子さんのおかげ」? 健彦がいない どうも唐突に感じられます
この回、どのような事情なのか、優子が主人公で戦争の記憶を絡めた回となっており、まるでこれだけがスピンオフのようでした。まず房子が尋ねて来たのは、今は東京で町工場を経営していた大里(おおざと)五郎という人物が、与那城優子と秀夫と言う人物を探していることがわかったためでした。全国の沖縄県人会に問い合わせが回り、房子が三郎から頼まれてやって来たのでした。そして与那城とは優子の旧姓でした。
五郎、そして足の悪い彼の介添え役としての、娘の悦子がやって来ます。五郎は既に島の言葉も忘れていました。そして悦子は、五郎の亡くなった妻の遺品の中にあった、ジーファー(簪)を渡します。
優子はジーファーを握りしめます。五郎は沖縄での戦争の際、焼け残った小屋に逃げ込んだところ、そこで優子や秀夫の姉の時恵を看取ったのでした。両親は機銃掃射で既に亡くなっており、時恵も最早長くはもつようには見えず、しかし自分は食べられないからと、五郎に小さなおにぎりをくれます。そして時恵は妹と弟がいること、見捨てたのではなく、必死に探したけれど見つからなかったと伝えてほしいと言います。
そして時恵は、ジーファーを妹に渡してほしいと亡くなる直前に言います。それは時恵の宝物でした。時恵は亡くなる直前に水を欲しがり、五郎は少しだけ水を持っていましたが、自分の今後のことを考えて、水を飲ませることはできませんでした。
それが五郎の心の重荷となっていました。優子は生きているのか死んでいるのか、わからなかったと言い、涙を流しながら五郎に礼を述べます。そばに立っていた姉妹と和彦もその様子を聞いていました。そのジーファーに、弟を守れなかったことを詫びる優子。その夜優子は浜千鳥の踊り(ツイッター情報)を披露します。そして翌日、浜辺で祈りをささげた優子と房子は打ち解け、房子は初めて帰って来た故郷にただいまと言い、優子さんのおかげですと言って去って行きます。
と、それまでとはかなり違った雰囲気なのですが、かと言って疑問点がないわけではありません。まずなぜジーファーがなぜ五郎本人が持っていたのではなく、亡くなった妻の遺品の中にあったのか、それも不思議ですし、そもそもこの人が来るということは、前もって連絡されていたのでしょうか。アポなしでやって来ても、優子が必ずしも会えるとは限らないのですが。
あと子供たちがなぜか突っ立っているのも変ですし、それとこれもツイッターで指摘されていましたが、せっかく優子が踊っているのだから、賢三の写真を誰か持って来て、お父ちゃんも仲間入りさせてあげればいいのになと思います。そして最後のシーンの房子の、「優子さんのおかげです」も疑問。寧ろ房子が尽力したと思うのですが。そして何よりも、家の中に健彦がいないのですが、もう寝てしまったのでしょうか。
この回を観て思うことですが、優子が姉の行方を探していたとか、簪の話などを日常的にしていたとか言うのであれば、今回のような展開もまたありだし、一種の伏線回収となったでしょう。しかしそうでないため、何か唐突に感じられてしまいます。五郎が優子の行方を探していたという設定なら、最終回間際ではなくもう少し前に持って来て、それからまた新しい物語を始めて行くというやり方もあったはずなのですが…。言っては何ですが、何かテコ入れのようにも見えます。で、次から最終回まではまた暢子の店関係になるのでしょうね。
しかし、この浜辺の光景や独特の形の簪を見ると、『西郷どん』の奄美大島編を思い出します。
それと今までを振り返って。
これは先日も書いていますが、暢子の経歴に関して。
東京に行きたい!で単身上京して、たまたま出会った三郎にフォンターナを紹介される
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披露宴の席で沖縄料理を口にするお客を見て、独立を宣言、沖縄料理店を立ち上げる。そして鶴見で食い逃げしていた矢作に再会し、その後自分の店の料理人として迎える。しかし妊娠が分かり、房子から一旦見送るように言われるも、開店を強行する
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ちむどんどんというその店は当初は売れるが、2か月ほどで客が来なくなる。改装と称して一旦休業し、売り物の沖縄そばの味を再検討する。するとたまたま近くのスナックで仕事をしているリリィという女性が、豚肉を持って現れ、それが味の決め手となる。リリィは、賢秀が出たり入ったりしている養豚場の娘で、賢秀からなぜか出て行けと言われ、水商売をやっていた
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ちむどんどんは再び客が入るようになり、暢子は男児を出産する。その後4年間その店をつづけるが、1984年の春に帰省した際に故郷で農業をすることに決め、店を矢作に譲ることにする。
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やんばるへ帰って農業を始めた暢子は、沖縄料理の勉強会を始め、その時のおばあたちの言葉がきっかけで、再度店をやりたいと思うようになる。そして実家をレストランに改造することを思いつき、近所の人たちが木材を調達してくれて、改造計画が始まる。
観ていて思うのですが、彼女の場合長期計画があってそれを実現させるとか、自分の技をじっくり磨き、その道を究めるというものがありません。料理の技は磨いているのかも知れませんが、その腕前が披露されなくなっています。とどのつまり、自分の思いつきとか、何となくやってみたいからといった理由で次のステップに進んでいる感があり、その部分にやはり共感ができないのです。
しかも三郎のフォンターナ紹介、リリィ(清恵)が持って来てくれた豚肉、そしてやんばるで近所の人が木材を持って来てくれるところなど、何らかの形で、他人が無償で助けてくれることが前提となっています。最初のフォンターナの紹介くらいはまだ納得できますが、その後の豚肉を探すとか、レストラン建設をするなどというのは、本人もきちんとリサーチしてしかるべきでしょう。
この朝ドラのOPテーマの歌詞、最後の部分には「大丈夫、ほら、見ていて」とあります。普通の朝ドラのヒロインに当てはめた場合、「ほら、(努力して成長するところを)見ていて」なのでしょうが、これを暢子に当てはめた場合、「ほら、誰かが助けてくれるから見ていて」といった意味に取れてしまうのです。
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小檜山noteの『ちむどんどん』レビューの回数につき、レビューの追加と修正があったようです。
なお、前のコメントで「小檜山氏は第114回のレビューを飛ばした」と申しましたところ、本日17:15時点(※1)で「第114回 失敗してもいい、二人やりなおせるなら」と表記されているのは第113回の放送内容、「第113回 二人で養豚をしたい」と表記されているのは第112回の放送内容であることを別サイト(※2)を利用して照合しましたが、それ以前のものについては未確認です。
小檜山マジックの全容については私もよく分かりません。
(※1)小檜山noteトップページの魚拓 ttps://archive.ph/HmjP7
(※2)『日々のダダ漏れ』様 ttps://ameblo.jp/pikataa3/
→ 朝ドラの内容を全文文字起こしされているので、ちょっとした確認には大変重宝するブログです。