第37回後半部分です。
朝雅は親能と立ち話をしていた。時政から、鎌倉殿就任を依頼する文が届いたのである。朝雅は鎌倉でこの先何が起こるか全く読めん、ひとつ間違えると命取りぞと朝雅。親能もそれにうなずく。その鎌倉では実朝が食膳の魚に手を付けようとするものの、小骨が気になっていた。取って差し上げると千世は言うが、実朝は渋る。遠慮しているのですかと尋ねる千世に、もう満腹だ、今度頼むと実朝は言って席を立つ。
実朝は和田館に出かけようとするが、急な外出は母から止められていると時元。しかし実朝はあそこは心が落ち着く、八田の兵を警固につけると言う。実衣は和田館で何をするのかと呆れるが、ただゆっくり過ごされるようですと時元から言われ、暗くなる前には連れて帰るようにと時元に命じる。尼御台にも話しておいた方がと時元は言い、実衣はこう答える。
「それはいいわ、しゃしゃり出てこられたら困るから」
和田館では義盛が、自らの武勇伝を実朝に聞かせる。義盛の弁舌は時にタメ口になりながらも冴え渡り、頼朝の偉大さを強調していたが、実はそれは義盛ではなく上総広常のことだった。警固の知家も、巴もそのことを指摘したが、細かいことはいいんだよと義盛が言ったことから、巴との間でたわいない喧嘩が始まり、実朝はそれを面白そうに見ていた。その頃のえは初に、京の話を聞くべく、政子と千世に会いに行こうと誘うが、初は気乗りがしなかった。のえはいずれ義時に高い官職について貰い、京に戻るつもりでいた。
政子は千世に頼朝も実朝同様小骨が駄目であったこと、親子はおかしなところが似ると話すが、のえの方は賀茂の祭で、千世が斎王を務めたことがあるかと尋ねる。しかし政子は斎王を知らなかった。源氏物語にも出て来ますとのえは言う。政子は思い出したと言うものの、話題を実朝に戻したため、のえはまたも祭の話を始める。政子はのえを牽制するが、のえは千世殿の話を聞くために集まっていると思ったと言い、千世にいささかわざとらしく謝る。
時政は義村と胤義が待つ部屋へ入り、実朝の身柄を今宵ここへ移して出家する旨の起請文を書かせ、平賀朝雅を鎌倉殿とし、政子や義時の口を封じるつもりだった。時元は、鎌倉殿は本日も和田の館に向かわれると言い、それを利用して身柄を確保することになった。その言葉を信じていいかと義村は尋ねるが、時元は自分が実朝の乳母子にも関わらず、扱いが違うのが不満だと言う。義村は納得し、時政は細かい点の説明に入る。りくはこの計画にすっかり気をよくしていた。
しかし時政はどこか浮かぬ表情だった。この期に及んでおじけづいたとは言わせないと言うりくに、腹は括っておると時政。そして、お前の喜ぶ顔をそばで見ていられたらそれで満足と言ったため、りくはだったらもっと喜ばせてくれ、りくは強欲にございますと耳元で囁くように言う。時政はよう分かったとりくを抱き寄せた後、夜までにやっておきたいことがあるからと出て行く。その頃義時はこのことを義村から聞かされていた。どうせあの女子の手引きだろうと義村。
平賀朝雅を鎌倉殿にという話は、正気の沙汰ではないと2人とも思っており、義村は時政は嘘をついている、朝雅になれば善哉が鎌倉殿になる目はないと言う。しかし義時は知らん顔を決め込み、義村に時政に従って行動するように指示する。政子はこの計画を止めさせるように言うが、義時にしてみれば、時政に誰の目にも明らかな謀反を起こして貰わないと、信頼を失うのは自分達だった。そこへ時政がやって来る。伊豆からうまい酒が届いた、実衣にも声をかけたから一緒に飲もうと言うのである。その頃りくは政範の遺髪を手にし、祈るような気持でいた。
時政は盃を干しながら、「オンベレブンビンバ」と口にする。子供たちは怪訝な顔をするが、大姫が教えてくれたまじないじゃ、これを唱えるといいことがあると時政。子供たちは口々にそれは違うと指摘し、めいめいが自分の考えた呪文を披露する。そんな中実衣が記憶を手繰り寄せて口にしたのは「ボンタラクーソワカー(オンタラクソワカ)」だった。時政は久々に上機嫌だったが、りくはいいのかと話を振られると、不意を突かれたように、今日はあいつはいいんだと答える。
庭先には、政子が昔を懐かしんで作った畑があり、ナスが植えられていた。しかし時政はもっと間を開けて植えろと言い、義時や時房も手伝うことになる。父と子供たちの時間はゆったりと流れて行った。そして実朝は和田館を辞し、義盛は実朝に親しみを込めて、武衛と呼んでもいいかと尋ねる。唐の国では親しい間のことを武衛と呼ぶと言い、知家がだれがそんなことを吹き込んだのかと問い詰める。そこへその張本人、義村がそうだそうだと言いつつ武装した兵と現れ、この先は三浦がお連れ致しますと頭を下げる。
義村は実朝を連れ去るが、気になった知家は義時にその件を打ち明ける。義時は、一行が向かったのは名越の北条館であると睨み、それを聞いていた政子もうなずく。義時は兵を出すことを決めた。そして義村からの知らせとして、実朝が北条館に「押し込められている」状態であることを時房が伝え、政子は企ての無謀さに驚き、なぜ父上は気づかないのかと言う。義時は、父上は気づいていると言う。
昼間何故時政が皆を集めたのかと義時は政子に尋ね、政子はお別れを言いたかったのだ、事と次第によっては自分たちを殺すつもりではないのかと答えるが、実際は違っていた。時政はこの企てはうまく行かないこと、りくの言う通りにすれば必ず行き詰まることを知っていたが、敢えてその道を選んだのである。どうするつもりかと政子に訊かれ、父上は恐らくと義時は言いかけるが、あなたのことを聞いているのですと政子は強く言う。義時は泰時に、お前をなせ父のそばに置いたのか、父の覚悟を知ってもらうためだと告げる。
義時は立ち上がり、執権北条時政謀反、これより討ち取ると宣言するが、泰時は父を止め、政子は命だけは助けてくれと頼む。しかし義時は、それをすれば、北条は身内に甘いと日本中からそしりを受ける、此度の父上の振舞いは許すわけには行かないと、泰時を従えて出て行く。一方で時政は実朝に、起請文がないと、じいは死ななくちゃならねえんですと哀願する。意を決した実朝は筆を執り、何と書けばいいのかと尋ねる。
「速やかに出家し、鎌倉殿の座を平賀朝雅殿に譲る」
実朝は義時に相談したい、母上とも会いたいと言うが、時政はそれはならぬと言う。ならば書けんと筆を置く実朝だが、時政は太刀を抜き、実朝の前に立ちふさがる。
いよいよ牧氏事件の核心部分に入って行きます。ところでこのサブタイトル「オンベレブンビンバ」ですが、放送前はオランダ語だ、イタリア語だと様々な説が飛び交っていたようです。実際「オンベレブン」はオランダ語で「比類のない」、「ビンバ」はイタリア語で「少女」なのですが、どう考えてもオランダ語とイタリア語をくっつけるのも不自然で、また発音が若干違うのではと思い、仏教用語かとも考えていました。実際は「オンタラクソワカ」でしたね。しかしなぜこれが「オンベレブンビンバ」になったものやら。
ところで実朝の和田館行きはほぼ日常化しているようです。そして義盛もまた実朝の来訪を喜んでいるようで、自分の輝かしい経歴を熱弁を振るって聞かせるわけですが、しかし、実はそれは上総広常の経歴でした。しかも帰り際に、実朝のことを武衛と呼んでもいいかとまで言う始末で、何やら広常と自分を同一視しているかのようにも見えますが、実際は実朝はこの時右近衛権中将で、この場合唐名は「羽林」です。ところで義盛の館の歩き巫女、如何にも予言者といった感じでしたが、彼女はあの時だけ登場したようですね。
一方で政子は、千世とのえとの会話の場を設けます。しかしこの場合、のえの格好がどうも普段着に見えるのですが、これでよかったのでしょうか。そしてのえは、京のことに関しては自信があるとばかりに、賀茂の祭(葵祭)の話を始め、千世にその話題を振ろうとします。政子に対してマウントを取ろうとしているようにも見えます。しかし政子が実朝の話題に持って行くので、のえは面白くありません。このいくらか棘のある女子会のシーン、『真田丸』にも登場しましたね。ところで彼女たちが食べているのは揚げ菓子のようですね。
時政、りくと子供たちの板挟みになりつつ、敢えて無謀と思われる方を選択します。「オンベレブンビンバ」を巡る各自の解釈、ナスの植え方など、恐らく最後となる父と子の時間が流れて行きます。その後和田館から戻る実朝を、義村が名越の北条館へ連れて行き、実朝は時政の姿勢に戸惑います。そして義時。自分の父を討ち取るべく立ち上がります。ここでの義時のセリフは、前半部分でちえが口にしたのとほぼ同じです。あれを教訓としたのでしょうか。
京では平賀朝雅が、鎌倉へ戻るなどとんでもないと考えていました。そしてこの人物もまた在京御家人に討ち取られることになります。ところでこの大河では、この朝雅こそが政範を殺した張本人であり、その彼を鎌倉殿にと言うのも如何にも妙な話ではあります。それから先日投稿分の後鳥羽上皇の似顔絵、慈円はどう見ても天狗に見えますが、大天狗と言われた自分の祖父、後白河法皇のイメージをだぶらせているのでしょうか。
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