まず先日ご紹介した分の、1日前の小檜山氏の記事です。(大河関連は次回以降になります)
https://note.com/54seikobi85/n/n0157657c7446
『ちむどんどん』第117回 ちむどんどんし続けることが大事
コメントで指摘していただいていますが、実際の放送回と2回分のずれがあり、この回は本当は第119回です。で、この記事なのですが、
暢子は「和彦くん」といまでも夫を呼ぶんだなと改めて思ったり
この点ですが、私としてはプライベートな関係であればまだしも、お姑さんにまで「和彦君が」と言うのは正直ちょっと解しかねます。
あと、
和彦は反省会界隈からありえないほど無能だと罵倒されていますが、無能有能はさておき、特殊な人物ではある。フリーランスだから東京にこだわらなくてもいい。重子と同居しないことを選んだのも、ここにつながってきます。夫としてやんばるに住んでもいいわけよ。
この和彦がやんばるに住むことに関しては、先日の投稿でも触れています。まだネットも一般に普及せず、しかも東京の出版社から原稿を依頼されているにも関わらず、距離のある沖縄、それもやんばるに住もうとし、しかもそのデメリットを考えないという点に、疑問を持つ人は多いのではないでしょうか。場合によっては、和彦は連載を打ち切られてもおかしくないと言えます。
またこの和彦はフリーライターではありますが、仕事をしているシーンがきわめて限られていますし、そういう点もまた、ライターとしての彼に疑問符がつく一因とはなっているでしょう。
しかしこのように書くと言うことは、やはり小檜山氏は、自分と異なる意見が多い反省会の存在を、かなり意識しているようにも見えます。かと言って小檜山氏の意見が絶対的なわけではないのだし、人それぞれでいいとは思いますが。
では本題に行きます。
「ちむどんどんできるか」という小見出しで、このような記述があります。
そんなわけで、やんばるに戻る決断というラストへ向かうわけですが。極めて慎重に、2022年らしくしているわけさ。優子の面倒を見るという親孝行でもない。和彦がやんばるでライフワークを完遂したいからでもない。地方で生まれた女性である暢子が、自分がちむどんどんするか、そこで決めています。
まず
「極めて慎重に、2022年らしくしているわけさ」
などとありますが、この朝ドラの今現在の時代設定は1984年であり、2022年から40年近く前なのですが…。
それからこの少し前の方で
「フリーランスだから東京にこだわらなくてもいい」
「夫としてやんばるに住んでもいいわけよ」
とあるのですが、ここでは
「和彦がやんばるでライフワークを完遂したいからでもない」
となっています。どこか食い違っていますね。
また
「地方で生まれた女性である暢子が、自分がちむどんどんするか、そこで決めています」
「朝ドラもここまで到達しましたね。いや、近年の朝ドラの流れかな。女性が自分の意思で人生を決める。そういう流れがきっちりある」
と言うことなのですが、これもおかしな話です。
まず暢子が、ちむどんどんするかしないかを判断基準としている点ですが、それと「女性が自分の意思で人生を決める」のは違うのではないでしょうか。暢子の場合は極めて感覚的なものであり、周囲のことを顧みず、自分がちむどんどんすればそれでよしとしているわけで、如何にも身勝手で子供じみた基準でしかありません。それと「近年の朝ドラの流れ」と言うのであれば、あれだけ叩いた『カムカムエヴリバディ』も『まんぷく』も、女性が自分の意思で人生を決めたということでいいのですね。
それと「地方で生まれた女性である暢子が、自分がちむどんどんするか、そこで決める」と言うよりは、「沖縄(またはやんばる)で生まれた女性である暢子に取って、ちむどんどんできるかできないか、それもまた重要な決め手であった」とでも書いてほしいです。
そしてこの後も反省会が登場しています。この反省会の存在、または嫌いな朝ドラor大河の存在は、ご本人にはかなり心理的負荷となっていて、このnoteや大河コラムでの反発につながっているように見えますが、そこまで敵視することもないかと思います。何よりも、好き嫌いで価値を決めたがる小檜山氏または武者さんの姿勢もまた問題です。
それと前出の時代設定ですが、この朝ドラは、離婚歴があるもののまだ付き合ってもいない清恵に、なぜそのことを隠していたと賢秀が詰め寄る一方で、和彦が沖縄でも仕事はできると、まるで今の時代のようなことを言ってみたり、設定基準がかなりあいまいであると思われます。清恵が、離婚歴を黙っているのが責められるのが当時の価値観であるのなら、和彦も、沖縄には行きたいが東京から離れている、仕事をどうするか問題だなどと悩むシーンが欲しいところです。
もうひとつ、暢子の出産シーンについて。まず破水、それから病院に行って、かなりあっさりとお産が終わったことになっています。これで思い出すのが『ER』の看護師長、キャロル・ハサウェイが雪の中を出勤する途中で産気づき、何とかもちこたえて病院でお産をするシーンです。あれは、お産に至るまでの様子がかなり詳しく描かれていました。もう一度DVDを観てみようと考えています。少なくとも制作サイドが「一人の女の子の何十年という歳月を濃く描きたい」と言うのであれば、あれくらいの描き方を心掛けてほしいものです。
それにしてもこの「一人の女の子」、「女性」でないのが気になりますね。
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