『武将ジャパン』大河コラムへの疑問点、MVP関連です。
しかし、今週は何もかも、のえがかっさらってしまった。
それなりのお嬢様なのに御所の女房。あのゲスな本音。過去に何かあったんですかね?
あの振る舞いですから、何も知らない娘ってことはないでしょう。二階堂行政にしても、さっさと片付けたかったんじゃないですか。
何やらページ数、ひいてはPV数を増やすだけのような存在に見えるMVP関連記述ですが、ここでなぜ北条政範と藤原兼子(卿三位)が出てこないのでしょうね。出番は少ないけど今後の鍵を握っていると思います。それと行政の孫、ここではのえが出て来るのなら、彼女の父親(行政の娘の夫)伊賀朝光も、今後のことを踏まえて出してしかるべきでしょう。この人の息子の光季は、承久の乱で朝廷方に招聘されたにも関わらず応じなかったため、自害に追い込まれています。
あの甘ったるい理想のプロ彼女から、一転してゲスな本音。
いやあ、これは教育にいいドラマですよ。
予告のきのこに喜ぶ時点で、これはもうダメだとは思いました。見抜けない義時、もうダメだと。
義時が本当に見抜けなかったか否かはともかくとして、
「いやあ、これは教育にいいドラマですよ」
という武者さんの言葉が、非常におじさん臭く見えて仕方ないのですが…日頃武者さんが軽蔑している(たぶん)おじさん臭さに、本人が嵌ってしまっているような感じです。
それにしても、つくづく今年は良心的です。
いくらイケメンの小栗旬さんが演じていても、義時はもういい歳のオッサンの上、人を殺しまくっています。
そんな男に惚れる女はおらんでしょ、という現実を見せつけてきました。
どこか「良心的」なの不明です。相変わらずと言うか、牽強付会ではあります。
「いい歳のオッサン」はともかく、それなりの社会的地位も権力もあるのですから、本気で惚れ込んでいなくても、言い寄って来る女性がいても特におかしくはないかと思います。それと
「人を殺しまくっています」
これは笑うところなのでしょうか。武家政権、それもまだ創業時の段階に於いて、何らかの形で人を殺める、あるいは間接的にそれに関与している人は多いはずなのですが。なぜ変に現代的視点でものを見るのでしょうね。
去年の大河も、変に美化せず、そう描いていれば面白かった。
渋沢栄一と兼子の再婚なんて、妊娠期間からして千代の死後間も無く関係があったとしか思えないわけです。
そもそもが出会いは明治の愛人クラブ経由です。
ここも変に現代的視点になっています。妾を持つのは男の甲斐性とまで言われてもいた時代、別に美化も何もしておらず、しかも千代はそれとなく栄一に圧力をかけてはいるのですが。あのシーン、ちゃんと観ていたのでしょうか武者さんは。
愛人契約を純愛にしたり、史実をあまりに歪めて描くから、ワケがわからなくなる。
なぜ金で女を転がすおっさんを美化せねばならないのか?
その過ちを繰り返さない今年は良心的です。
別に「純愛」として描いてはいませんけどね。栄一もちょっとばつが悪そうでしたし、史実を歪めて描くと言うのであれば、栄一のどのような史実をどのように歪めて描いたのか、その点の具体的な指摘がないから、武者さんの批判あるいは非難がどこか的外れになっているわけです。
それに比奈も当初は、金と力のある男性である頼朝の側室となるはずだったのですが。過ちを繰り返さないのであれば、最初から義時の許に行かせる設定にしたでしょう。しかし「良心的」て…。
中年以降の徳川家康にだって、別に純愛など期待されていません。
松本潤さんはイケメンですが、それはそれ。来年もこの調子で頼みますよ。
そしてなぜここで、来年の大河を唐突に引っ張り出してくるのかも意味不明。自分の希望を、こんなとこで押し付ける必要もないでしょう。第一古沢良太氏も、中年以降の家康に純愛させるなどとは一言も言っていないし、今現在わかっているのはまだ若く、しかも歴史に翻弄される家康が、家臣と共にどのようにして己の行く道を選び取るかなのですが。
そして栄一の妾関係でいくつか記事のリンクが貼られています。その内のひとつだけ見ましたが、正直言って武者さんの主観メインであると思われます。
たとえば
むろん、襄に妾はありません。
敬虔なプロテスタントである襄は考えただけでゾッとしたことでしょう。
また「プロテスタント」で一括りにしていますが、プロテスタントという名を持つ教派はありません。せめてピューリタンとしてほしいところです(厳密には会衆派)。新島自身が学んだアマースト・カレッジを始め、アイビーリーグのハーバードやイェールもこの会衆派で、禁欲的かつ自治と聖書のイメージです。
何事も近代的な渋沢栄一ですが、女性の見方は古風でした。
「近代化を成し遂げた人」が女性観、または家族の在り方に関して、必ずしも当時の西欧人と同じではありませんし、逆に当時一代で名を成した人の場合は、寧ろ愛人がいてもおかしくはなかったでしょう。
そしてまた『論語』から。思うのですが、真に漢籍を専門にしている人の場合、こういう形でちょこまか出してこないのではないかと思いますが…すべて自説補強にしかなっていないし。
ここで少し『論語』の擁護でもさせていただきますと……。
西洋から「一夫多妻制はありえないのではないか」と言われた東洋の人々は、文化の違いであり野蛮だと言われる筋合いはないと抗弁したものです。
ただし『論語』はじめ儒教にそうした戒めがないかと問われれば、そうとも言い切れません。
酒色は控えるべきだという観念は東洋の儒教国家にもあります。
玄宗と楊貴妃はじめ、女性に耽溺した君主は問題があるとみなされました。
栄一は若い頃、志士であったこと。それに彼が「明眸皓歯」(めいぼうこうし・明るい瞳に白い歯で美人のこと)に目がないと語っていたことも考えましょう。
夫は女好きを隠そうとしない。
何人もの明治の女性はそうため息をついていました。兼子もその一人です。世間は騙されようとも、妻はそうじゃない。
まず「『論語』の擁護」などとあるから何かと思ったら、つまるところ「『論語の正当性』」なのでしょうか。そして中国歴代王朝にそういう戒めがあったということは、酒色に関する問題が多かったとも取れます。しかしそれと、美人が好きだと言っていた栄一を同一視できるのでしょうか-要は武者さんは志士が嫌いなのだなと思います。
それと栄一のみを女に目がないとするのは筋違いです。志士の多くは妻以外に愛人もいたり、また愛人を作っても妻を持たないという人もいました。さらに
「西洋から『一夫多妻制はありえないのではないか』と言われた東洋の人々は、文化の違いであり野蛮だと言われる筋合いはないと抗弁したものです」
と言うのであれば、栄一の時代のことを、今の我々がどこまでとやかく言うべきなのかも考えてしかるべきでしょう。単なる『青天を衝け』叩きのためでしかありませんし。特定のドラマを批判あるいは否定するために、違う時代の道徳を持ち込むのは、正に一夫多妻を否定した西洋と変わらないのではないでしょうか。
『鎌倉殿の13人』は、三谷幸喜さんが今までの大河の中でも最も力を発揮しているように思えます。
資料が少ないだけにミステリのような展開ができる。
歴史研究者が推理でバリバリと話を進めると問題がありますが、そこを作家が補う。
個人的な意見ですが、所謂三谷大河の中で、今一つ面白く感じられないのが今年の大河です。
始まる前は、戦国や幕末と言ったポピュラーな時代でなく、吾妻鏡に則るとあったため、より今までの大河に近づけるのではないかと思っていました。しかし先日分でも触れたように、どうも現代に寄せている感があり、しかもそこに三谷さんらしい描写を織り交ぜると、歴史ドラマの面白さとはまた別になって行っているように思うのです。
確かにオリキャラとか、特定の人物像の描き方などは面白いと思います。その一方でアレンジし過ぎて、この時代特有の雰囲気とどこかそぐわない印象も同時に受けています。また考証にしてももちろん異論もありますし、『真田丸』の頃から感じるのですが、どうも考証を前面に押し出し過ぎな嫌いもあります。
そして政範の死因ですが。
・状況的に見て病死とは思えない
・殺害現場が平賀朝雅邸
・遺体が人目につかぬよう、早急に処理されている
・政範と同時に別人も死んでいる
どうです? ミステリでしょう。
いや武者さんがそう思うのは勝手ですが、ここで持ってくるべき話題かと思います。それを言うなら歴史上の人物の生涯など、多くがミステリですし、信長や龍馬の最期などその最たるものでしょう。それと史料によっては、時政も政範に同行していたようですね。
そしてあらすじ部分で書いたことを、もう一度持ち出しています。
そして不気味なのは、りくと時政の反応が見えにくいところ。
時政は重忠を討つ気でいますが、その動機がまだ見えてきません。
今週はいわば溜めで、来週どう展開するか引っ張っています。
わかりやすすぎると興醒めだし、同じ週で解決するなんて勿体無い――そういう極上の歴史ミステリにしたいからこそ、ひねりにひねったうえで、ひっかけも用意している。
義時の結婚でわちゃわちゃ盛り上げておくのがそうでしょう。
何だか「極上の歴史ミステリ」などと言われると、かえって興ざめするのですが。
時政の動機が見えてこないのは確かですが、そしてこれも前に書いていますが、彼らは息子の死因が何であるのかさえ確かめようがないわけです。やはりここは定説通り、重忠の子で政範に同行しており、しかも朝雅とうまく行かなかった重保に責めを負わせるのでしょうか。それと、同じ週で解決するなんてもったいないと言うより、ペース配分からして、複数回に分けた方がいいと制作陣が判断したせいかも知れません。
今年のはここまで善意に解釈すると言うか、持ち上げることができる一方で、『青天を衝け』は悪意に満ちていますね。好悪でドラマを判断するとどうなるか、その見本のようなコラムです。
それにしても、色々な意見があるのは承知しているが、自分はこれを応援したいと書くのであればまだわかりますが、どうもこのコラム、あるいは朝ドラ記事の場合でも、自分と違う意見は言語道断のようになっているのが多いし。特にネット上のファンダムを、目の敵にしてやしないかとも思われます。
あと、視聴率のことでまたあれこれと書かれていますが、これに関してはまた改めて。
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